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今回ご紹介する場所は、今から6年程前にも訪れているのですが
詐欺事件を起こして摘発されたお寺になり、
廃墟マニアの間では「詐欺寺」と呼ばれています。
【↑6年前の写真】
私が初めて訪問した6年前には、賽銭箱の上にお稲荷さんが添えられていて
まだ関係者の方が訪問しているのかとドキドキしたものです。
【↑6年前の写真】
【↑6年前の写真】
ご覧のように6年前は、警察が詐欺事件で摘発したときの押収物が
大広間に綺麗に置かれていたのです。
こちらが現在の写真になります。
当時とは全く違い、見事に荒らされてしまっています。
詐欺事件で摘発されたお寺が今でもこうやって残っているという
珍しさもあって、6年の間に色々な人が訪れたのでしょう。
現在、ここは廃墟としてこれまでと違う展開を広げて
最近また話題となっているのです。
大広間の壁に貼られていたもの。
個人情報が書かれていますのでモザイクをかけています。
3階へ続く階段の踊り場の天井にも何やら紙が貼られています。
かなりの高さですので梯子がないと貼ることは出来ません。
わざわざ山奥に残るこの場所まで梯子を持ってくること自体が
ちょっと普通ではありません。
そして、3階部分には目を疑うような光景が・・・
天井に何枚も吊るされている女性用下着。
その下着には特定の女性を呪うような紙がついているのです・・・
このたくさん貼られている紙などを見ると
ヨガ・ピラティス教室に通ったものの状態が良くならずに、
教えていたインストラクターを恨んでいる内容となっています。
モザイクの下に書かれているヨガ教室は実在しています。
ホームページやブログで紹介してほしいと
書かれた紙も貼られています。
この日は一人での探索でしたので、部屋を開けるときは
緊張してしまいました。
久しぶりに嫌な脂汗をかき、ドキドキしたものです・・・
この気味悪い女性の下着や特定の個人を呪うような一連の物への
感想を求めるアンケート用紙まで置かれています。
一体どういうことなのでしょうか。
これがアート作品だというのでしょうか。
この部屋にダッチワイフを置いて撮影した写真も
ご覧のように貼られています。
人形を釘で刺しています・・・
以前友人が来たときと部屋の様子も変わっていますので、
もしかしたら今でも作業をしに時々訪問している可能性もあります。
上の写真もこの部屋を撮影したものが貼られています。
【↑6年前の写真】
6年前はすぐにでも使えそうな位綺麗だった部屋が
ご覧のようにこちらも女性用の下着が吊るされて
特定の個人の名前がたくさん書かれています。
広島カープの新井選手2000本安打が掲載された新聞、
この森のブラ寺の感想を書かせるためのノートも置かれ、
2016年5月となっています。
本当に最近でもこの部屋の作者が訪れているようです。
【↑6年前の写真】
廃墟マニアを対象にして、こうやって下着を吊るせば確かに
みな気味悪がって話題にはするでしょう。
その反応を見て楽しむ愉快犯の仕業なのでしょうか。
一人での探索だったので、
この作者と鉢合わせにならなくて良かったです・・・
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廃墟系:関東地方
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今回ご紹介するのは、関東地方に残るストリップ劇場の廃墟。
私が廃墟探索を趣味とするようになって
比較的早々に行った場所なので、
今回は約9年ぶりの訪問となりました。
このストリップ劇場は1995年前後に警察の手入れが入り閉館となり、
その後不審火によって火災があったようです。
この場所の周りには牧場や畑などがあったり、
小さなラブホテル街の傍に劇場が残されています。
何故こんな場所にストリップ劇場があるのかといった立地です。
内部はごく一般的で、円形のステージとその周りに客席があり
こじんまりとした造りになっています。
地方都市や温泉地を中心にかなりあったストリップ劇場も、
80年代の風営法規制強化や性的娯楽の増加、
温泉地への社員旅行の減少などで、かなりの数が閉館となり
今では絶滅危惧種といっても過言ではありません。
9年前に訪問した時にはまだ客席は倒されていなく、
もう少し雰囲気はあったのですが、
さすがに9年の月日は流れを感じます。
むしろ今までよく解体されずに残っているものです。
こちらは2階にある音響やライトを操作する場所。
このこじんまりとした劇場の平日に110人も訪問しているのは
かなり繁盛していたのではないでしょうか。
さすがにもう再訪することはないと思いますが、
廃墟探索をやり始めた最初の頃に訪問したきりだったので
今回は良い時間を過ごすことが出来ました。
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今回ご紹介するのは、以前にも一度取り上げた場所になり
雪景色の火薬庫跡になります。
まずは火薬庫を見下ろした場所からになります。
火薬庫の上から見ると分かりやすいのですが、
火薬庫は山をくり抜いた場所に建ち、万が一火薬などが暴発しても
他の火薬庫に被害が及ばないようにされています。 また、同じように被害が広まらないようにトンネル部分と 火薬庫の入口部分もずらして造られています。
山の中腹に、この様に石扉が並んでいる道が現れて、
一列に4箇所の石扉があります。
まず最初の建物が御影石で造られた火薬庫で、
明治45年竣工で雷管の火薬庫として使われていました。
雷管とは、ノーベル賞の提唱者であるノーベルが ダイナマイトの発明に先立ち発明した物で、火薬などに確実に点火する為の
起爆薬を筒に込めた火工品のことである。
石扉の先は、このようなトンネルになっていて、
トンネルを抜けると火薬庫になります。
こちらが2番目の火薬庫。
ここは雷管倉庫と同じく御影石で造られ明治45年に竣工。 火薬や導火線などの貯蔵庫として使われていました。 3番目の火薬庫も同じく御影石で造られ明治45年に竣工。
ダイナマイト倉庫として使われていました。 これまでの火薬庫は、建物の外壁しかありませんでしたが、 ここの火薬庫は内側の木製部分も残り、
当時の様子を垣間見ることができます。
ちなみに、どの火薬庫も屋根が無くなってしまっていますが、
火薬庫もの屋根には、本瓦より軽量な桟瓦が使用されています。
万が一火薬が爆発したときに、
爆風が上に抜けて横に抜ける被害を防ぐ為に工夫されているようです。
最後の火薬庫は、レンガ造りで大正6年竣工。
ダイナマイトや導火線の貯蔵庫として使われていました。
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眼下に採石場跡地を見下ろしながらハイキングをして
山道を迂回しながらあの場所を目指します。
ガイドさんの説明を聞きながら里山を歩き
参加者は各々写真を撮りながら先へ進みます。
まるで遺跡のような佇まいを見せる採石場跡。
切り出した跡がそのまま残り往時の雰囲気が凄く伝わってきますし、
大谷資料館とはまた違った良さがあります。
こちらは石材屋さんのご自宅になるのですが、
大谷石で出来た蔵があります。
この蔵は綺麗なのでパッと見まだ新しく見えますが、
確か明治時代に造られたと説明されたと思います。
また場所を移動して、いよいよ地底湖クルーズのスタート地点付近にきました。
大谷石の切り出した壁に丸太が打ち付けられているのが見えますが、
この丸太の上に板を敷いて階段を造り、職人さんは1個100kg近い
石を背負って運んでいた時代があります。
ここからが一番のメインとも言える地底湖クルーズ。
ヘルメットとライフジャケットを着用してボートに乗り込みます。
このツアーは1開催14名が定員となっているので、
8人乗りのボートに7名の参加者と1名のガイドさんが乗り込み、
2つのボートで先へ進んでいきます。
この水が溜まっている場所はもともとは採石場跡なのですが、
長い年月をかけて地下水や雨水が溜まり、このような地底湖になったようです。
どこかに水が流れ出る場所があるようで常に一定の水位を保っているとのこと。
深いところでは水深6mもあるのですが、上の写真のように
天井が低くなってきて頭ギリギリの場所もあり
ちょっとしたアトラクションのようで楽しいです。
地底湖は水の流れが全くないので、
ガイドさん一人がオールを漕ぐだけで簡単に進みます。
ここで一旦ボートを降りて、次の見所へ向かいます。
ボートを降りて少し歩くと、そこには竪坑の跡が目の前に。
竪坑を下から見上げるなんて事はなかなかありませんし、
この大きさやその迫力に感動です。
壁には丸太が打ち込まれていた跡が見えます。
ちょっと分かりづらいですが、建物の土台となる石が
たくさん並んでいるのが見えると思いますが、
あれは戦時中の中島飛行機の工場跡になります。
再びボートに乗ってスタート地点へ戻ってきたので、
これでツアーも終了するのかと思いきや、最後に上の写真の
四角く空いた穴の場所を見学します。
トンネルを抜けると四角く空いた穴の場所へ出ます。
現在では水が溜まってしまっている場所で切り出された大谷石を
ここでトロッコに乗せて外へ運び出していたようです。
今でもきちんとレールが残り
かつて実際に使われていたトロッコまで残っています。
坑道は崩れてきてしまっていますが、
先に見える明かりの場所は前回の記事でご紹介した
事務所脇の坑口へと繋がっています。
一通り見学をして最後にティータイムをとり終了となります。
ずっと興奮しっぱなしのツアーで大変有意義な時間となりました。
大谷石の採石場跡はまだまだ沢山あることですし、
今度は違うルートもツアーに取り込んでいただけたらと思ってしまいます。
ちなみに、今回ご紹介した場所は全て私有地となっていて
このツアーの為だけに特別に許可されて見学出来ています。
無断で立ち入ることなどがあると、ツアーの存続自体が危ぶまれるので
無断立入はないように願います。
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