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半年くらい前に上映されていて、観に行こうと思っていたのに行きそびれてしまってました。私はサガンの作品が大好きですが、作者本人についてはあまり知りません。彼女自身の人生を想像するには、作品の女主人公たちの生活や風貌を想像するだけで十分な気がしていました。とは言え、サガンの生涯をテーマとした映画と言われれば、やっぱり観ないわけにはいかないし・・・と、観たさ半分、怖さ半分という感じ。 最近ありがちな、ファッションや贅沢感だけを堪能させて女の子を喜ばせる「エセ・セレブ」な映画に仕立てあげられているのではないか(「マリー・アントワネット」みたいに・・・)と若干心配しましたが・・・思いのほか、サガンの読者の期待を裏切らない、と言いますか、彼女の作品からのイメージに近い仕上がりだったのではないかと思います。 逆に言えば、だからこそ、それほど目新しい感じはしない。サガンが同性愛者であったことは、私にとって新しい一面でしたが、もともと彼女の作品の中で、男女の性の区別なんで殆どクローズアップされないので、特に違和感はありませんでした。女とつきあおうが男とつきあおうが恋愛は恋愛、そして孤独は孤独、ということ、サガンの読者なら容易に受入れられることなのではないでしょうか。 主演のシルヴィー・テステューが中々の好演で、サガンの雰囲気、良く出ている気がしました。(別に会ったことがあるわけではないのであくまで想像ですが・・・)あどけなさの残るキュートな顔立ち、それが徐々に孤独と荒れ果てた生活で老け込んでいく感じ。酒やドラッグや孤独で落ち着きのない仕草や表情をしているところ、寂しがりやで甘ったれで争いことやお金が大嫌いだけど自分ではどうしようもできないところ、クールな作家の顔だけでなくて、実際にはこういうところあったんだろうなーと妙に納得。 ストーリー全体としては、莫大な富や成功を手に入れ、最後にはそれらだけでなく、愛する人や仲間や家族すべてを失い、終始孤独なものとしてサガンの人生を描いています。締めくくりは、サガンが自分自身で書いた墓碑「彼女の死だけは彼女の個人的な事件だった」という言葉。 この碑文で、先日久しぶりに再読した「心の青あざ」の文章を思い出した。この作品は、サガンにしては珍しく、物語の登場人物ではなく、作者自身の声として彼女の想いが語られています。フィクション作品としては出来が良くないのかもしれませんが、彼女の想いが込められた文章にはどこか迫力があって、別の意味で好きな作品です。 私は、もちろん、いわば愛他主義的に自分を憎んだこともある。それはたいてい他人を傷つけた時であった。私はもちろん、自分を軽蔑したこともある、それは他人にも自分にもよいことをしなかった時である。私はもちろん、息を切らせて幸せの風を、あるいは英国人が言う<自己満足>を求めながら、ちょうど魚が水を求めるように砂の上にいたこともある。それがどうなのだ?真実はつねに自分であったということだ。自分が存在していることをすでに明け方から憎んでいる時も、自分の人生、自分の呼吸、シーツの上に置かれたむこうの自分の手を静かに意識している他の暁でも。とにかく、自分一人なのだ。 結局、この映画で伝わるメッセージは、サガンのたったこれだけの文章に全て凝縮されている気がします。(もちろん、サガン個人の人となりや生活をより具体的にイメージしたい、という意味では、この映画が追加しているメッセージはありますが)そう考えると、やっぱりサガンの文章は素晴らしい、とあらためて溜息が出る想いです。
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彼女の死は、彼女自身にとっては個人的な事件だったかもしれない。
しかし、彼女の死はそれを個人的な事件とだけ言うことはできない。それは彼女自身の死も!
孤独であることは彼女の場合、高貴さ、倫理的であることの証であったような気がします。それは初期の主要な登場人物すべてに共通しています。アンヌ、ドミニク、ジョゼ、ポール・・・・・
文学作品はテクストで十分な時もあります。作かの背景をよりよく知ったほうがよいこともあります。サガンの場合は前者であると思うのですが、たまたま図書館の新刊書展示棚にあったのを手に取り、読むともなく読んでしまって思ったことは、最後の情報を伝えてくれた人への感謝の気持ちでした。
新聞報道によれば、栄華の全てを失って孤独の中に死んだように書かれていたのですが、実際は少数の固有な友人・縁者に囲まれての死のようでした。人生の後半生においても肝心な人間は彼女を見捨てませんでした。小野の小町のようではなかったのです。面白おかしく書きたがるのですね。
2009/11/22(日) 午後 5:57 [ S.HIROENIMUS ]
高田さん
サガンが仲間に囲まれて死を迎えられた、ということは、ファンとして心がほっとする想いです。教えていただきありがとうございました。
あれだけ孤独ということを突き詰めて、あそこまで豪快に人生を浪費して生きたサガンは、ある意味で人生に誠実で真摯であったと思うので、その彼女が人から裏切られたままこの世を去るのは不公平な気がしてしまうんです。
彼女は徹頭徹尾「自殺」というものを否定していました。あんなにめちゃくちゃな生活をして、人間は究極的に孤独であることを理解していた彼女が。その闘いへの報いが、孤独な死だけだったとしたら、一人の人間としてサガンがあんまりに可哀相な気がします。勿論、一人の人生が踏みにじられてこそ、偉大な作品を後世に残せたのだ、という運命の皮肉もあるかもしれないのですが・・・
2009/11/23(月) 午後 10:28 [ るみ ]
るみさんはサガンが大好きなのに、とっても冷静に作品を見ていて、
素敵だなと思っています。
18歳の作品、すごいと思いつつ、まわりの18歳を思うとちょっと複雑でもあります。
2009/11/29(日) 午後 4:50
あおいさん
ありがとうございます。18歳の作品というのは、本当にすごい。森瑤子さんが「悲しみよこんにちは」を若い頃読んで「18歳でこんな小説を書けるような人がいるなら、自分が小説を書いたって仕方がないじゃないの」と思い、40歳を過ぎるまで小説を書けなかった・・・と書いていましたが、その衝撃はわかるな〜と思います。
2009/12/4(金) 午前 9:21 [ るみ ]
はじめまして。
先ほどは私のコーヒーブログを訪れていただき
ありがとうございます。
この映画はたまたま見に行ったのですが ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/miurakey/28658830.html
年老いたサガンの姿が
何とも印象的でした、、、。
私はこんな人生は送れそうにありませんが
ゆるゆると、幸せな人生を歩みたいものです〜 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=9-xIxA_1m-w
2010/6/6(日) 午前 1:18 [ miurakey ]
miurakeyさん
はじめまして!コメント&ご訪問ありがとうございます!
年老いたサガンを、とてもリアルに描いていましたよね。
早熟の天才、というイメージがあるだけに、
老いてからの彼女の姿は確かにとても印象的でした。
2010/6/7(月) 午前 10:00 [ るみ ]