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 台湾の鬼才アン・リー監督の作品。第二次世界大戦中、日本占領下の上海と香港を舞台に、権力を握る男と、その男の暗殺を目的に男の愛人になりすました女との、息詰まるような関係が描かれます。

 ストーリーを超シンプルに説明すると、日本軍と結託して上海の陰の実力者となった男イーを暗殺しようと、抗日運動家の若き女性ワンは、彼の妻の友人として徐々に近づいていく。イーは非情で自分に逆らう者を悉く抹消してきた男で、常に命の危険にさらされているので、絶対に隙を見せず、油断もしないが、それでも徐々にワンとの関係にのめりこんでいく。屈折したでも激しい愛憎に満ちたイーとの逢瀬に、ワンもいつしか心が揺れていき、苦節4年がかりの暗殺計画が成就しようとする最後の最後で、ワンはイーに「逃げて」と一言明かしてしまう。イーはそれで全てが裏切りであったことを悟り、イーの命令でワンは暗殺計画の仲間と一緒に処刑される。

 この作品は、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞と撮影賞を受賞したと同時に、激しいベッド・シーンが話題になったようです。確かに、一流俳優がここまで?と言うくらいには中々過激でしたが、これらのシーンはこの映画には欠かせないものだ、ということが観ればわかります。イーは毎日死の危険にさらされ、反逆者や裏切り者を次々と粛清したり拷問まがいの尋問をしたりして、殆ど精神が破綻している男。そこに、暗殺計画に命を賭けた女が挑む。その死と狂気を目前にした、鬼気迫る緊迫した関係は、なまぬるい会話や関係では伝わってきません。

「彼を甘く見ないで。彼は誰よりも鋭く嘘を見抜く人よ。私の体だけでなく心の中にも蛇のように忍び込んでくる。奴隷のように受入れるしかない。身も心も投じれば、私も彼の心の中に入れる。毎回、痛みのあまり私が血と涙を流すまで、彼は満足しない。それで初めて生きていると実感できる。暗闇の中ではそれだけが真実だと知っているのよ。」
 
 イーとの関係をもっと深めろ、と命令する抗日運動家の上官に、ワンが言う言葉です。二人の繰り返す激しいベッドシーンは、殆ど暴力的なまでの荒々しさ。どんなに愛欲に身を焦がしても、相手を信じられない。でも愛欲から逃れられない。この緊迫した男と女の関係を、主演者たちは見事に演じ切っています。男優トニー・レオンはさすがのベテラン芸、という感じですが、主演女優のタン・ウェイは、この映画のために1万人のオーディションから選ばれた新人女優。この人が見事で、映画の中で、これ同じ人?と思うくらい幾つもの顔を使いわけるのです。抗日活動に目覚める前のあどけない女子大生の顔があるかと思えば、イーに近づく時にはいかにも若き女スパイといった妖艶さと鋭さを漂わせ、激しいベッド・シーンでは惜しげもなく裸体を晒し、まるで年増女のような貫禄と生々しさを見せる。この七変化は本当に見ものです。

 それにしても、最後に受ける印象は「男の方が何だか可哀想」というもの。女のワンの方が、全然体は張ってるんですが。彼女は、大学生の頃からこの暗殺計画に加わりますが、当時はまだ男を知らない体。イーには貿易商の人妻、ということで近づいているので、イーと関係を持った時に処女ではまずい、と言うことで、イーが誘惑にのってきそうな直前に、好きでもない活動家の仲間の一人と、セックスの訓練までします。でも結局、その時にはイーは誘惑に乗らず、その苦労さえ無駄になってしまう。で、3年後に再び暗殺計画に参加し、身も心もイーに捧げた挙句に、最後は射殺。

 でも、彼女は、もともと抗日運動に参加したのも、政治的な固い意志というよりも、若い同士の仲間に寄せる淡い想いがきっかけだったりして、そこには始めから情に生きる女の匂いがするのです。だからまあ、こうなってもしょうがないか、という感じがしてしまうのですが、イーの方は、殆ど気も狂うような孤独と緊迫感の中で生きてきた末に、最後の最後で心を許した女の裏切りを知る。絶対に警備のゆるい場所には近づかない用心深い彼が、ワンを喜ばせるために6カラットの特大ダイヤの指輪を注文し、その店に立ち寄ろうとするのが暗殺の最大のチャンスを呼ぶわけです。そこで裏切りを知る男。ああ男って、やっぱり愛欲には弱いのね・・・と、だらしなさではなく哀切を感じさせる、中年トニー・レオンのいぶし銀の演技です。

 2時間40分という時間を全く長く感じさせない大人な映画でした。久しぶりに中国映画(含む香港、台湾映画)でのHITが続いているので、週末また何か借りてきて観てみようかしら・・・




 ここからはどうでもいい話(全部どうでもいい話じゃないか、と言われればそれまでですが。)

 今回、この映画を観て、自分の男の趣味というものについて深く考えさせられた次第です。と言うのも、主役のトニー・レオン。ホウ・シャオシェン監督の「非情城市」、ウォン・カーウェイ監督の「ブエノスアイレス」など個性的な作品から、最近の「インファナル・アフェア」や「レッド・クリフ」などメジャー作品に至るまで、何度もお目にかかっている男優さんですが、どうもあの甘いフェイス&胸に一物ありそうなところが気になって、それほど好きになれなかったんです。

 でも、今回の「ラスト・コーション」の役では、思わずぐっときてしまいました。誰も信用せず、ぎりぎりまで追い詰められ、それでもクールでちょっと破綻している男。生死を賭けたゲームに疲れきった中年男が、徐々に心の中に女を踏み込ませてしまう脆さを見せるところ、あの油断ならなさとナイーブさを併せ持つフェイスで、ハマリ役でした。

 思えば、10代の頃、私が憧れていた男性と言えば、映画「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役のクラーク・ゲーブルTVドラマ「高校教師」で教師役を演じた真田広之(時代を感じますねえ)。つまりは、「大人のオトコ」好きなのかと自分で思っておりました。

 ところが、実際つきあっている男性はそうでもないし、最近映画でツボにはまってしまったのは、「ディパーティッド」と「ブラッド・ダイアモンド」に出ていたレオナルド・ディカプリオ。完全ベビーフェイスなタイプなので、いやいや、意外と私は、母性本能くすぐられ系に弱いタイプなのでは・・・と、だんだん自分の趣味がよくわからなくなっていました。

 で、今回、全然タイプじゃないと思っていたトニー・レオンにぐっときてしまった結果、思いあたったのは、私は男性のタイプや外見に惹かれているのではなくて、「強い(またはオトナな)男がつい女に弱さを見せてしまう」というシチュエーションに弱いのだ、ということ。

 つまり、レット・バトラーも、ニヒルで大人なところに惹かれていたのではなくて、それなのに最後の最後で娘を失い、スカーレットの愛を得られずに絶望してしまう、そこのところにぐらっときていたわけです。今思えばしょうもないティーンズ騙しなドラマ「高校教師」で、何より印象に残っているのは、ドラマの始めの方で、仕事も婚約者も失った真田広之が、思わず女子生徒の前で手放しに泣いてしまうシーン。「ディパーティッド」では、マフィアのぎりぎりの世界で生きているレオ様(死語?)が、「助けてほしい」と女性の精神科医のところに倒れこむ危うさが、「ブラッド・ダイアモンド」では、タフでワイルドな役のレオ様が、誰も信じられなかった自分の人生を振り返って最後に愛する女の前に見せる弱さが、私の女心を激しく揺さぶったのでした。

 ん〜、そう思い当たってみると、今までの謎が一気に解ける気がしてきた・・・まあ、女の人は誰でもそういうシチュエーションには弱いかもしれませんが、突出してそれに弱い傾向があるというのは問題な気もする。だって、なんか不健康だし、幸薄そうじゃありませんか・・・?

 まあ、歳を重ねるごとに、「男って弱いのね」という実感だけが強くなっているので、「強いと思っていたあの人が!」みたいなギャップにはまって泥沼に落ちていく危険性は低くなっていると思いますが・・・できるだけ自分を客観的に分析し、将来のリスクにそなえよう、とアホなことを思っている私でした。
 

「北京バイオリン」

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 旦那が突然、「中国語の勉強をするんだ!」とか言って、AMAZONでDVDを購入。説明書きを見てみると、私の大好きな映画「さらば、わが愛 覇王別姫」の監督チェン・カイコーの作品ではありませんか。早速、連休中に押入れから出したばかりのコタツに入りながらDVD鑑賞です。

 この作品は、スペインのサン・セバスティアン映画祭で監督賞と主演男優賞を受賞、中国ではリメイクとしてドラマ化され、そのドラマは日本でもNHKで連続放映されました。

 天才バイオリニスト少年リュウ・シャオチェンは、男手一つで彼を育てた父親と共に、一流バイオリニストを夢見て田舎から北京に出てきます。シャオチェンは、偏屈ながらも徐々に心を開き、彼を熱心に指導してくれるようになるバイオリンの師匠や、水商売(?または愛人稼業?)で一見華やかだけれど寂しい生活を送る隣人のお姉サマとの出会いを経て、成長していきます。やがて、好運にも、父親の熱心な願いを聞き入れて、世界的に有名な教授がシャオチェンを指導してくれることになり、国際大会予選へ参加するチャンスまで掴みます。大都会の中で、父親は過酷な労働に汗水たらして生活を支えますが、徐々に華やかな成功を手にしつつあるシャオチェンの足手まといになることを恐れ、予選の当日、一人故郷へと帰る列車に向かいます。シャオチェンは、予選の直前に実は父親はバイオリンと一緒に駅前に捨てられていた自分を拾って育ててくれたことを知り、最後の最後で予選をすっぽかし、北京駅まで父親を追いかけるのでした・・・

 「覇王別姫」とはまたテイストがちょっと違いますが、俳優陣の演技の良さで魅せるところは、やはりチェン・カイコー。思春期のリュウ・シャオチェンを演じる少年のみずみずしい演技、サン・セバスティアン映画祭で主演男優賞を受賞した、リウ・ペイチーのユーモラスだけど泣かせる父親役の演技は勿論のこと、脇役まで個性的で、でもほろりとさせる演技で楽しませてくれます。偏屈な最初の師匠との出会いと別れ、初めての父親への反抗、隣人のお姉さんへの淡い初恋・・・こうやって書いてしまうと何でもないのですが、それぞれの場面でじーんと胸が熱くなります。

 父親と息子の物語であると同時に、思春期の男の子が成長していく過程が描かれていて、全体的には素朴でほのぼのとしたトーン。しかしながら、情熱的なバイオリン曲の音色や、主人公の淡い初恋の情緒などによって、なんとはなしに、華やかでドラマティックなところが、要所要所に散りばめられている感じです。
 
 シャオチェン役の男の子が、以前写真で見た中学生の頃の旦那になんとなく似ていて(本人も同意していたので間違い無いと思うが)、そんなせいで感情移入もひとしおだったのか、父親が身を引くあたりから二人とも鼻をすする音が・・・お互いに感動していたポイントは微妙に違うような気もしますが、何はともあれ、夫婦ともども、爽やかな涙を流させてくれた作品でした。


 

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 半年くらい前に上映されていて、観に行こうと思っていたのに行きそびれてしまってました。私はサガンの作品が大好きですが、作者本人についてはあまり知りません。彼女自身の人生を想像するには、作品の女主人公たちの生活や風貌を想像するだけで十分な気がしていました。とは言え、サガンの生涯をテーマとした映画と言われれば、やっぱり観ないわけにはいかないし・・・と、観たさ半分、怖さ半分という感じ。

 最近ありがちな、ファッションや贅沢感だけを堪能させて女の子を喜ばせる「エセ・セレブ」な映画に仕立てあげられているのではないか(「マリー・アントワネット」みたいに・・・)と若干心配しましたが・・・思いのほか、サガンの読者の期待を裏切らない、と言いますか、彼女の作品からのイメージに近い仕上がりだったのではないかと思います。

 逆に言えば、だからこそ、それほど目新しい感じはしない。サガンが同性愛者であったことは、私にとって新しい一面でしたが、もともと彼女の作品の中で、男女の性の区別なんで殆どクローズアップされないので、特に違和感はありませんでした。女とつきあおうが男とつきあおうが恋愛は恋愛、そして孤独は孤独、ということ、サガンの読者なら容易に受入れられることなのではないでしょうか。

 主演のシルヴィー・テステューが中々の好演で、サガンの雰囲気、良く出ている気がしました。(別に会ったことがあるわけではないのであくまで想像ですが・・・)あどけなさの残るキュートな顔立ち、それが徐々に孤独と荒れ果てた生活で老け込んでいく感じ。酒やドラッグや孤独で落ち着きのない仕草や表情をしているところ、寂しがりやで甘ったれで争いことやお金が大嫌いだけど自分ではどうしようもできないところ、クールな作家の顔だけでなくて、実際にはこういうところあったんだろうなーと妙に納得。

 ストーリー全体としては、莫大な富や成功を手に入れ、最後にはそれらだけでなく、愛する人や仲間や家族すべてを失い、終始孤独なものとしてサガンの人生を描いています。締めくくりは、サガンが自分自身で書いた墓碑「彼女の死だけは彼女の個人的な事件だった」という言葉。

 この碑文で、先日久しぶりに再読した「心の青あざ」の文章を思い出した。この作品は、サガンにしては珍しく、物語の登場人物ではなく、作者自身の声として彼女の想いが語られています。フィクション作品としては出来が良くないのかもしれませんが、彼女の想いが込められた文章にはどこか迫力があって、別の意味で好きな作品です。

 私は、もちろん、いわば愛他主義的に自分を憎んだこともある。それはたいてい他人を傷つけた時であった。私はもちろん、自分を軽蔑したこともある、それは他人にも自分にもよいことをしなかった時である。私はもちろん、息を切らせて幸せの風を、あるいは英国人が言う<自己満足>を求めながら、ちょうど魚が水を求めるように砂の上にいたこともある。それがどうなのだ?真実はつねに自分であったということだ。自分が存在していることをすでに明け方から憎んでいる時も、自分の人生、自分の呼吸、シーツの上に置かれたむこうの自分の手を静かに意識している他の暁でも。とにかく、自分一人なのだ。

 結局、この映画で伝わるメッセージは、サガンのたったこれだけの文章に全て凝縮されている気がします。(もちろん、サガン個人の人となりや生活をより具体的にイメージしたい、という意味では、この映画が追加しているメッセージはありますが)そう考えると、やっぱりサガンの文章は素晴らしい、とあらためて溜息が出る想いです。

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 ちょっと前に映画館で上映&DVD発売されて気になっていた作品。

 「シェルブールの雨傘」の黄金コンビ、ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグランが手がけたド・ヌーヴ主演のミュージカル。

 かなり期待してたのですが、個人的にはまあまあ、といった感じ。ストーリーはかなりどうでも良い感じで、本当に曲と映像(ダンスや衣裳や画面全体の配色)を楽しむ映画。映画というよりも、舞台作品の感じにより近いかもしれません。

 とにかくドヌーヴがきれい!そして、衣裳がかわいい。誰かのレビューで「なぜいまさらロシュフォール?」と書かれていましたが、トレンド的に最近流行っている感じにマッチするんでしょうね。プリーツのミニスカートやきれい色のワンピースに、ベレーや鍔広の帽子。フレンチ・ポップな衣裳がガールズの目を楽しませてくれます。特に配色にはこだわっていて、画面全体の色の振り分けや街を歩くエキストラたちの衣裳の色まで念入りに選ばれているのは、さすがファッションの国おフランスの卓越したセンスが感じられます。

 ミシェル・ルグランの歌も素敵。なんていうか、フランス語の語調が生きる曲なんですね。あのボショボショ・しゅわしゅわした音(なんだそれは)が、強すぎない滑らかでムーディな曲と合っている気がします。
 
 でも、ミュージカル映画は、個人的には、ハリウッド系の方が好きかもしれません。とは言ってもまだ、「シェルブールの雨傘」の方を観ていないので、いちがいには言えませんが。「ロシュフォールの恋人たち」は曲は好きなんですが、ダンスがモダン・バレエな感じ過ぎて、ちょっと趣味が合わない・・・ミュージカルは、もっと派手なショーっぽくって、ダンサブルで、かつストーリー性がある方が好きなワタクシでした。(多分、ほんとの舞台芸術ものをあまり見慣れていないからだと思います)

 今まで観たミュージカル映画で一番好きなのは、やっぱり「ウエスト・サイド・ストーリー」でしょうか。「キャバレー」も同じくらい好きかもしれません。それから定番の「サウンド・オブ・ミュージック」「マイ・フェア・レディ」や「パリのアメリカ人」。あと、マリリン・モンローのミュージカルも結構好きでした。

 昔の女優さんは、きれいな上に、ダンスもできなくちゃいけなくて、おまけに自分で歌も唄ったりして、ほんと芸達者なことでございます。

 カトリーヌ・ドヌーヴの美しさは今更語るまでもなく・・・しかも、顔だけじゃなくてスタイルも抜群。ジャンヌ・モローやブリジット・バルドーの脚線美といい、さすがフランス女優・・・と言ったらハリウッド女優に失礼でしょうか。ドヌーヴは、「昼顔」や「哀しみのトリスタン」のイメージが強過ぎて、どこかに影があるに違いない、と勝手に思って観ていましたが、今回は最後まで明るくおバカな女の子の役でした。

 双子の姉という設定のフランソワーズ・ドルレアック、初め何も知らずに「こんなに容姿が違って双子ってのは無理があるだろー」とか失礼なことを思っていたら、本当に実の姉妹なんですね。カトリーヌ・ドヌーヴの方がダンゼン美人ですが、お姉さんの方が先にデビューしていて、トリュフォーやポランスキーの作品なんかにも出演している実力派の女優さんだったようです。25歳の若さで交通事故で亡くなっているとのこと。今度はこちらにも興味が沸いてきました。

 フランス映画って個人的には趣味があまり合わないんだけど、観るとやっぱり印象に残るんですよね・・・なんだか悔しいけど。

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 アカデミー賞作品賞、監督賞、撮影賞など計8冠を成し遂げたことで一躍有名になった。ダニー・ボイル監督の最新作。

 舞台はインド。みのもんたのあの番組と全く同じ「クイズ$ミリオネア」というクイズ番組で、スラム育ちの少年が、史上初の全問正解を成し遂げる。クイズの答えは、彼の過酷な半生の中に隠されていて、その半生を振り返ることで映画が進行していきます。最後は引き裂かれた恋人とも結ばれ、ハッピーエンド。エンドロールでは、極めてインド映画的なキャストたちのダンスが披露されます。

 作品のレビューでは賛否両論でしたが、「いまいち」という人達の意見で多かったのは、「アカデミー賞総なめということで期待し過ぎた」という意見。私もこれに納得で、「感動した」とかいう意見の人もいたけど、はっきり言ってあまり感動的な作品だとは思いませんでした。むしろ、インドやそこで生き抜く子供たちのエネルギーとか、全体のスタイリッシュな構成や音楽、疾走感なんかを楽しむエンターテイメント作品という印象が強い。そういう作品だと思って見ればデキの良い映画。映画のつくりかたとして上手い、というのと、舞台がインドのスラムということで新鮮だ、ということがこの映画の肝であり、確かにそれだけでアカデミー賞8冠なのかと言うと、ちょっと疑問符はついてしまうかもしれません。

 私は、こういうつくりかたの作品は、個人的には好きです。あとは題材の重さが、このつくりかたの軽やかさと比較してどうなのか、という問題。題材の重さから考えると、余りにノリが軽すぎるのではないか、と思う人も多いのではないでしょうか。インドスラムの貧困や子供への虐待などの問題を、こんなに軽々しく扱って良いのか、と不快に感じる人もいるでしょうし、私自身も、爽快なハッピーエンドの後に、なんとなく釈然としないような、すっきりこないものが残りました。

 でもこの作品は、「インドのスラムの真実」を描くことを目的とした映画ではないと思いますし、こうやって軽いノリで扱うことで、多くの人達に、インドのスラムの(ありのままの真実ではないにしろ)雰囲気とかパワーとかイメージとかが伝わる、ということが重要なのではないでしょうか。余りに重たい中身だと、エンターテイメントにならないし、先進国の一般市民には受け容れがたいものになってしまうかもしれません。真実の姿ではないにしろ、正面きって「インドのスラム」を題材の中心に据えていること自体に、シンボリックな意味があるのだと思います。

 ストーリーの展開には、はっきり言ってかなり無理がある。でも、この手の映画で、そんなことを言うのはナンセンスだと思います。最後の「なぜ彼は最後の質問に正解できたか?」の答えが、「It is written(運命だから)」というのが安易過ぎる、という意見もレビューの中には多かったですが、この答えそのものが、この物語には全く必然性が無い、ということの証だと思います。だから、真実らしいとか、現実的であるか、とかいう点は余り重要ではない。主人公が、ミリオネアにのぼりつめる、はっきりとした必然性というのは無いのです。主人公の卓越した能力とか、勇気とか努力とか、そんなものをアピールしている映画ではないのですから。目を潰されてスラムで唄いながら物乞いをし続ける子供と、ミリオネアになる子供との間には、映画の中で言われている通り、後者が前者よりラッキーだったという違いしか無いのではないでしょうか。それは、映画を観ている私たちと、映画の子供たちとの間にも、言えることかもしれません。ただの偶然だなんて納得できない!と叫ぶのではなくて、その偶然性の意味を、私たちはもっと重たく受け止めてもいいのかもしれない。

 「It is written」という言葉の中には、大きなアイロニーが隠されているような気もします。私には、この言葉に、「現実にはありえないこと」という響きがあるように感じられてしまいました。映画のストーリーの中に真実は無いけれど、その合間に見える子供たちの生き抜く強さや、ゴミ溜めから最先端のビジネス街まで大きく膨らんで変わってゆくインドのパワーや、一瞬の偶然や運命のいたずらに翻弄される人間たちの生き様や、この作品を敢てアカデミー賞に選ぶ先進国社会の変化や、、、混沌とした物語と映像の合間、その一瞬一瞬に真実がある、そんな印象を受けました。

 結論としては、映画としては良い作品だったと思います。でも、同時代に同じ地球で生きる人間としては、映画を観るだけでは不十分、そんな気にもさせられました。そういう想いを、より多くの観客に生じさせることが、作り手の狙いの一つであれば、その試みは成功していると言えるでしょう。

 

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