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 名古屋市美術館の「ピカソとクレーの生きた時代」展に行って来ました。

 いつもながら、閉館間近に行ったので、さらっと観てきただけですが・・・なかなか見ごたえがありました。ピカソとクレー以外に、シャガールやカンディンスキー、ドイツ表現主義のフランツ・マルク、マックス・ベックマン、最後のコーナーにはミロやマックス・エルンストまで、中々多岐にわたっています。

 ピカソは、実は余り得意ではありません。この超有名画家の作品の良さが、いまいち体感できないんです。キュビズムのブラックやピカソ、彼らに大きな影響を与えたセザンヌ。こういった画家の目指す姿がどうもしっくり私の中に入って来ない。
 
 勿論、誰もが名前を知っているピカソですから、皆さんしげしげと作品を眺めているわけですが・・・本当に心から良いと思ってます?と意地悪な質問を投げかけたくなるくらい、私はイマイチ。勿論、その中で良いなと思う作品は幾つかあります。造形的に感覚的に素直に美しい作品もたくさんありますし、「ゲルニカ」の表現力とかが、類稀なものであることは理解できます。今回も、「ギター」や「鏡の前の女」など、色調の美しい作品は、何とも言えない味わいがありました。
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存在感と美しさのある「鏡の前の女」


 しかし、そもそもセザンヌの「自然を円錐と、円筒と、球体で捉えること」とか、キュビズムが目指した「風景も、人物も、家も、すべてのものを幾何学的図形に、立方体に還元する」とか・・・
正直、何を言ってるかわかりまへん・・・

 いやいや、言葉の意味がわからないわけではないんです。しかし、感覚的に理解ができない。三次元の現実世界を、絵画の二次元世界に再現しようということを究極的に追い求めた結果、そういう姿に行き着いていく、ということが。ものすごく体質的・感覚的に、自分とは遠く隔たったものを感じてしまうのです。

 非常に男性的だなーとも思います。(別に私が女性的な人間でもないけど)物事の真の姿を、理知的に分析的に積み上げていこうとする、そしてそれを偏執的にまで突き詰めていくやり方が。私だったら、彼らの一万歩手前で「もういいじゃん」と言ってしまうでしょう、、、しかも、はっきり言って、余りに理屈を積み上げて積み上げて、結局こんなにも現実からかけ離れた形態に辿りついてしまうのも男性的という気がします。でもそれが、新しい想像力を生み出す源でもあるわけですよね。

 そんなこんなで、超文系でいいかげんな私は、今回もやっぱり、ピカソやブラックの絵の前で「なんでそこまでしちゃうかなー」という気持にさせられてしまったのでした・・・何となく気圧された感じで通り過ぎて歩いていくと、パウル・クレーのコーナーが始まり、ほっとしました。

 クレーは嫌いではなかったけど、まとめて作品をちゃんと観たことがありませんでした。今回ちゃんと作品を観て、ほんとに素晴らしかった!!この色調は、実物を観ないと中々良さが伝わらないな、と思いました。「ピランブ近くの風景」や「リズミカルな森のラクダ」など、淡い色調はほんとに美しい。
一人の人間の心だけで、こんなに美しいとりあわせがつくられるなんてと、ため息が出ます。
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まさに音楽的なコンポジション「リズミカルな森のラクダ」

 それから、今回初めて知ったのは、クレーの作品に意外とエキゾチックな要素が濃いということ。何でも、クレーがこの豊麗な色彩の使い方に目覚めたのは、チュニジアに旅行に行った時からだそうです。だからでしょうか、直接それらの風景から触発された「赤と白の丸屋根」などのほかにも、「黒い領主」や「異国風の響き」「短形と半円」など、どこか色彩や雰囲気が北部アフリカや中東風のエキゾチックさがありました。
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「赤と白の丸屋根」
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抽象画なのに叙情的な「短形と半円」

 クレーは音楽をこよなく愛したそうですが、きっと茶目っ気のある、粋なセンスをもった人だったのではないでしょうか。作品のタイトルの面白さが、それを忍ばせます。今回、誰もが足を止めてくすりと笑っていたのが、「直角になろうとする、茶色の△」「頭と手と足と心がある」などの作品。どちらも、「まさにそのとおり!」という感じ。タイトルの言葉の響きが、絵の中にさらにリズムや生き生きとした感じを与える、なかなか心憎い演出ではありませんか。
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真ん中のハートがニクい「頭と手と足と心がある」

 ピカソとクレー以外の作品で印象的だったのは、ドイツ表現主義のフランツ・マルク「3匹の猫」とシャガールの「祝祭日」という作品。前者は、独特の暗い色調と強い赤や緑のコントラストが美しく、不気味さとスタイリッシュさと力強さが同居している感じが素晴らしかった。後者は、シャガールにしては珍しく単調な灰色っぽい色調の絵で、シャガールっぽい幻想的な感じと、他の彼の絵よりもシュールな感じが見事にマッチしていて面白かったです。
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色も形も面白い「3匹の猫」

 とにかく、鑑賞するときには余り考えず、論理的なことも抜きにして、自分の感覚で作品を好きなように観る。観終わってから、色々な印象や雰囲気を自分の中で咀嚼してみる、、、最近そんな自分なりの鑑賞方法ができてきて、前よりも美術館に行くのが楽しくなって来ました。

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 東京都美術館の「フェルメール展」の混雑にうんざりしてしまった私は、完全に消化不良状態。ついでとは言え、はるばる名古屋から来たのに、この状態で帰るには悔しい気分・・・

 時間があれば、国立博物館の「大琳派展」も観たいと思って来たのですが、8月から開催している「フェルメール展」があの様子じゃあ、先週から開催されたばかりの「大琳派展」の混雑も推して知るべし、というもの。ふと、帰る途中で、上野駅公園口のすぐ目の前にある国立西洋美術館の看板が目に止まりました。「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展。画家の名前は聞いたことがありませんでしたが、看板に掲げられた、女性の後ろ姿を表したシンプルな絵に、不思議と心が惹きつけられます。「静かなる詩情」というサブタイトルも、人ごみでイライラした私の心を落ち着けてくれそうな予感がしました。閉館まで1時間を切るような時刻でしたが、試しに覗いてみることに。
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 はっきり言って、これは大当たりでした。
 ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864−1916)は、生前にヨーロッパで高い評価を得た、デンマークを代表する作家のひとりです。没後、急速に忘れ去られましたが、近年、再び脚光を浴びています。彼の作品は、オランダ17世紀のフェルメールを思わせる写実的な室内表現が特徴的で、自宅を舞台に妻のイーダが繰り返し描かれました。(展覧会 作品目録の説明より)

 ハンマースホイは、日本ではあまり知られておらず、今回初めて本格的に紹介される画家だそうです。ハンマースホイの絵を見て感じたのは、まさに「夢」の中にいるような絵だということ。それも、静かで音が無いのだけど、心理的に何かざわざわしたものを感じさせるような夢です。そういう意味で、フェルメールが宗教的ですらある静謐感を感じさせるのとは対照的で、静かなんだけど、どこか心を乱すようなところがある。
 
 私が特に素晴らしいと思ったのは、「旧アジア商会」という絵です。この絵の前に立っていると、大げさではなく、絵の中に吸い込まれて、自分も建物の間から奥を覗いているような気分になります。そして、何か、垣間見える船とその向こうに、何か重大な忘れ物をしたような、どうしてもあそこに行かなければならないような、或いは、どうしても見たいけど見てはいけないものがあるような、焦燥感と切ない気持で胸がどきどきします。それは、夢の中で覚えるのと本当に同じような感覚なのです。原因や正体はわからないのだけれど、その気持ちだけははっきりとしている、という感覚。
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 他にも、「木立のある風景」「農家」「居間での夜会」など、シュールな気分にさせてくれる素晴らしい作品が幾つもありました。それから、この展覧会の目玉でもある、ストランゲーゼ30番地にある画家の自宅の中に居る、妻イーゼルの後姿を描いた幾つもの作品。展覧会の展示も素晴らしく、同じ室内の作品を、鑑賞者を取り囲むようにずらっと並べてあるので、見ているうちに、本当に部屋の中に迷い込んだような気分になります。また、展示室の中央にパソコンが置いてあって、コンピューターグラフィックを使って、画家の自宅の間取りを再現し、彼が描いた絵を重ねるという面白い企画もありました。
  
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 写実的な室内表現や静謐感の溢れる画面構成などで、フェルメールからの影響を指摘されているハンマースホイですが、まだまだその具体的な研究は進んでいないようです。私自身は、先ほども述べたように、フェルメールとハンマースホイでは、鑑賞者に与える心理的インパクトは、対照的なように感じました。

 しかし、室内にある物質のテクスチュアを写実的に、ありありと描いてみせる技法は、確かにフェルメールと共通したところがあります。ハンマースホイの室内画も、手前にあるテーブルや椅子のマホガニーの光沢や、ストーブの金光り、パンチ・ボウルの陶器の質感など、「光」を上手く使って、本当に見事に表現しています。フェルメールの絵を観たときにも感じましたが、描かれている物質のテクスチュアを生き生きと再現する、ということは、鑑賞者を絵の世界に惹きつけるために、ものすごく重要な要素だと思います。もののテクスチュアを細部まで眺めると、人は思わず手を伸ばして触ってみたい、という気にさせられます。その生理的な衝動が、一気に鑑賞者と作品の距離を縮めるのではないでしょうか。

 ハンマースホイの作品について言えば、テーブルや陶器などの「もの」が、ありありとまるですぐ目の前に実在するかのように描かれている「現実感」と、空間全体が微妙に歪んでいたり、奥に座っている女性の顔が見えず、なんだか輪郭がぼやけているように曖昧に見えたりする「非現実感」との両立が、まさに、夢の中でその情景を見ているような感覚を創出しているのだと思います。夢の中って、細部がものすごく生々しいのに、全体がぼやけていたり歪んでいたり、非論理的であったりしませんか?そういう感覚に似ているな、と思いました。
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 とにかく、この展覧会は、本当にお薦めです。フェルメール展や大琳派展を目的にいらっしゃった方でも、時間が許せば是非覗いてみることをお薦めします。
 

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 東京に遊びに行ったついでに、1人で上野の東京都美術館で開催されている「フェルメール展」を観に行ってきました。

 フェルメールの実物は観たことが無かったし、何て言っても、あの光の微妙な加減や画面全体の静謐さなどは、画集を眺めているだけでは中々味わえないものがあるだろう、とものすごく期待をして観に行ったのです、が・・・何て言っても美術館が混み過ぎ!企画展は今年の8月から開催されていて、もう2ヶ月経っているし、3時過ぎという遅めの時間に行ったので、まあ大丈夫だろうとタカをくくっていたのですが、チケットを買うのにも20分待ち、作品の前には人だかり、という状態でした。

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 私は、何事も待つのや行列に並ぶの好きじゃないんですが、何よりも、美術館が混んでいたり、自分のペースで観たりできないのは大嫌い。観ている途中で人に話しかけられるのも嫌なので、美術館には基本的に1人でしか行きませんし、ほんとは後戻りしたりして、好きなペースで鑑賞したいタイプなのです。なので、はっきり言って、今回のフェルメール展は、余りに人だかりの作品は素通りし、20分並んで30分鑑賞して出てくる、という、かなり意味の無いものになりました・・・

 その中でも、印象に残っていることを幾つか。

 フェルメールと並んでお目当てだったピーテル・デ・ホーホは、完全に素通りしてしまったのですが、思いのほか良いな、と思ったのは、カレル・ファブリティウスという、レンブラントの弟子にあたる画家の作品です。レンブラントの弟子の中で唯一、独自の技法を確立した作品を描いた、ということで有名だそうです。レンブラントの明暗をはっきりとさせて劇的な効果を生み出す手法とは逆に、グレーなどの淡い色合いの背景に、すごく印象的で生き生きとした像を浮かび上がらせています。特に「歩哨」などの作品は、こちらがぞくっとするくらい、重苦しい空気や病んで疲れ果てたような歩哨の様子が生き生きと伝わってきました。

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 現存の作品全て合わせても32〜36作品程度しかないと言われている、寡作で知られるフェルメールですので、「フェルメール展」と言っても、フェルメール自身の作品はわずか6点のみでした。実際に目にしてみて印象的だったのは、初期の作品「マルタとマリアの家のキリスト」は勿論のこと、中期から後半期に描いたとされる「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」なども、想像以上に色彩が鮮やかで、装飾的な感じのする絵だ、ということでした。

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 特に「ワイングラスを持つ娘」などは、娘のドレスの光沢は勿論のこと、奥のテーブルの濃紺のクロスやステンドグラスなども、うっとりするほど色彩豊か。フェルメールと言うと、不思議な静謐感が漂う絵、というイメージでいたのですが、思っていたよりもずっと、華やかで装飾的です。何の本で読んだのかは忘れてしまいましたが、フェルメールに先行するフランドル派の画家たちは、新しく台頭してきたネーデルランドのプロテスタント・市民階層の趣向を反映し、伝統的な宗教画ではない画題で、しかも、商人の彼らにとって大変重要な、織物などの「テクスチュア」を精密に描くようになった、と言うことです。即物的、という意味ではなくて、物の「テクスチュア」を重視する技法は、フェルメールの絵の中にもしっかり根付いていると思います。フェルメールの絵の中に、何か時代や国や文化を超えて人を惹きつける精神性があるのは確かですが、それとともに、やはりパトロンである商人・プロテスタント市民階層の趣向が、フェルメールの絵の中にはっきりと現れているのを感じ、面白いな、と思いました。
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 マティス・ルオー展を松坂屋美術館で観てきました。と言っても、百貨店の中にある美術館なので、30分くらいでふらーっと覗いてきただけですが。

 あまり期待してませんでしたが、今年初めに松下電工の汐溜ミュージアムでやっていた展覧会をそのまま持ってきているようで、思ったよりも展示数も多く、見応えがありました。

 モネ展の時にも書きましたが、私はマティスが大好き。「純粋芸術」っぽいものより、もっと軽くて洒脱な感じの絵が好きなのです。ま、大衆的な趣味とも言えますが・・・分析も何も必要とせずに、目に映って楽しいものがいい。マティスの色彩とかたちの面白さ、胸をはっとさせるものがあります。

 有名な「ジャズ」シリーズなど、やっぱり観ていてなんか心が浮き上がって自由になってくる感じがしました。好きだったのは「ピエロの葬式」という、馬車をモティーフにしたお洒落なトランプみたいな絵。今観ても前衛的というか、ポップでお洒落です。

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 マティスと言うと版画のイメージが強かったのですが、今日数あるリトグラフなどを観ていて、彼の絵のデッサンの線がもつ表現力の豊かさに驚きました。「ひざをつく裸婦」というのがあったのですが、本当に白地に黒い線で書いただけのリトグラフなのに、びっくりするほど色っぽくて華やか。こういうデッサン力の確かさが、マティスの奔放で自由な造形感覚と結びついて、「ジャズ」シリーズなどの優れた版画の作品も生まれたのだなーと納得。他にも「座る踊り子」「黄色のドレスとチェックのドレスの娘」など、素敵な作品がたくさんありました。

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 で、ルオー。私は、ルオーってちゃんと観たのは初めてですが、すごいな、と思いました。今回の展覧会は、マティスとルオーが若い頃、同じギュスターブ・モローに師事していたので、その頃の絵から始まるのですが、習作の頃の風景画や、若い頃の裸婦像など、ルオーの表現力の方が断然マティスを抜いている、と感じました。ルオーは「フォービズム」に属する画家と言われるので、強い原色を使っているイメージがあったのですが、むしろ微妙な藍色やグレーの使い方がすごく上手い。そして、琳派みたいな明確で主張性の強い輪郭線。あの自由なフォルムと色彩で、心理的・精神的な部分まで見事に表現しています。「サーカス」という連作がずらっと並べられているコーナーでは、なんとなく背筋が寒くなるような迫力を感じました・・・

 それから私が面白いと思ったのは、「ヴェルヴ」という美術雑誌。当時、テリアードという有名な美術出版人がパリで発行した「世界でいちばん美しい美術雑誌」と言われたそうです。表紙や挿絵に、マティスやルオーのほか、ジョルジュ・ブラック、ボナールなど蒼々たる画家の作品が使われている、という夢のような雑誌。展覧会ではマティスとルオーの表紙の刊が展示されていたのですが、これがまた、ため息がでるほど美しい本で、ほんとに手にとって眺めてみたい、と思わせるのです。

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 考えてみれば、雑誌にして、手にとって眺めるのがサマになる、というのも、現代美術ならではという感じがします。ジオットとかミケランジェロとかルーベンスとかドラクロワとか、手にとって眺めたい、とは思わないですから・・・この軽快さ、背景とか場面とか切り離された軽やかさが、現代美術の目指した姿なのかな、とも思いました。「写実」や「描写」から抜け出し、全てのバックグラウンドをそぎ落として、自分の自由な造形的感覚だけでこんなにも美しく表現力のある、いろ、かたち、コンポジションを纏め上げる。そこに至るまでの道のりは、大変なものだっただろうなあ・・・などと思いながら、21世紀の私は気楽にマティスの絵を眺めているのでした。

  
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 ちょっと、高階秀爾とか読んでARTづいているので、名古屋ボストン美術館で開催されている「クロード・モネの世界」を、独りで観に行って来ました。私、美術館が余り好きじゃなくて、1年に2、3回行くかいかないか、という感じです。美術館て、なんかリラックスして絵を観れない。場数が足りないせいかもしれません。しかも、ついつい絵の解説とか読んで頭で理解しようとして疲れてしまうのです。今日は、解説とか一切読まずに、フィーリングだけで絵の鑑賞しようと思って出かけました。

 モネは、日本人にはすごく人気のある画家です。今日の展覧会も、もう終わり頃ですけど、結構人が来てました。でも、なぜか私は昔から余り好きじゃない。印象派自体は好きなんです。ゴーギャンはかなり好きだし、マネやドガやセザンヌの絵も結構好き。モネの影響をモロに受けている後期印象派でさえも、シスレーとかは嫌いじゃないです。なのに、モネはなぜか好きになれない。

 そもそも、私は、デザイン画とか抽象画とかで装飾的な感じのものが好きなのです。日本だったら、俵屋宗達や尾形光琳、西洋であれば、マティスとカンディンスキーとかロートレックとか、そういうやつ。で、今日も「あ、いいな」と思うのは、全部モネじゃない作品。モネを中心とした展覧会ですが、一応影響を与えたり与えられたりした同時代の画家の絵も、一緒に何点か展示してありました。マネの果物籠の静物画は、色使いが都会風でお洒落な感じですごく素敵だったし、ドガの「ロンシャン競馬場の競馬」や「稽古場の踊り子達」のスケッチ、シスレーの「マルリーの堰」も良かった。
 
 思いのほか、眼を奪われてしまったのは、ミレーの「洗濯女」。夕焼けの色使い、空気感、洗濯女の生き生きとした感じ、見事でした。ミレーって全然良いと思ったこと無かったんです、正直。自然主義って、文学でも美術でもあんましいいと思えなかった。この作品も、多分、画集とかでは見たことがあったと思いますが、全然気に留めたことなかったです。でも、実物を前にすると、そのリアリティと質感は、観ているこっちが場面に吸い込まれそうなくらいでした。

 で、モネの作品は、結構流して観てたんですけど、初めて眼にしてちょっと新鮮だったのは、モネが海の風景を描いているやつです。それも、「日の出」とか港のようなのじゃなくて、もっとスケールの大きい海。今回初めて観ましたが、海にせり出した崖にぽつんと立つ漁師小屋と青い海原を描いた「ヴァランジュヴィルの崖の漁師小屋」は、素敵でした。海の青さがとてもきれいだし、モネの作品の光と空気の中に掠れてぼやけってしまっているような感じが無くて、明るい太陽と澄んだ空気を感じられて。
 
 私みたいに、装飾的な絵が好きな人にとっては、モネは写実主義過ぎるのかもしれません。セザンヌの有名な言葉「モネは一つの眼に過ぎない。だがなんて素晴らしい眼だろう」が語っている通り、画家が意識的に造形や装飾を施したり、主題に意味を込めたりするのを、モネは出来るだけ避けようとしています。だから、私には物足りなく思えるのかもしれません。

 それにしても、久しぶりに美術館を訪れて思ったのは、どうして、作品の絵画と額縁のバランスを誰も考えないのだろう、ということです。花とか蔦をあしらったゴージャスな金縁の画家と、ミレーの生き生きとした「洗濯女」とか、シスレーの淡い色使いの「マルリーの堰」とか・・・どう考えても、絵の雰囲気を損なっているように思えるのですが。西洋絵画の伝統だから、ということでしょうか・・・?

 ちょうど、隣で「駒井哲郎」という人の銅版画に展示も行っていて、覗いてみたのですが、こちらは白黒の小さな銅版画が、シンプルな木枠の中に飾られていて、とてもシックでかっこよかったです。ボストン美術館の館長が個人的に気に入ってる画家で、今回その所蔵作品を展示したらしいのですが、私は初めて眼にしました。私の好きな、デザイン系の絵でしたし。特に、「喰う女」という絵は、フォークやワイングラスと一緒に、ハートのアクセサリーや香水ビンみたいなものがごちゃごちゃと並んでいて、楽しい感じで気に入りました。

 今日みたいに、あんまり堅苦しくなく、好きじゃないものは(たとえ目玉作品や大作であっても)「ふーん」って感じで素通りして、自由に観るなら、美術館も悪くないなあ、と思いました。帰りにミュージアムショップに立ち寄り、ポストカードのコーナーを覗いてみましたが、結局手にしたのは、ピカソの「Toros en Vallauris」というポップなポスター画とか、マティスのお花のリトグラフとか、今回の展覧会に関係無いものばかり。ちょっと迷って、「ヴァランジュヴィルの崖の漁師小屋」のポストカードも買いました。一応今日の記念に。

 
 

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