|
私の亡くなった父はとても気の弱い性格で自動車教習所の厳しい指導が耐えられず生涯自動車の免許は取れず仕舞いでした。
そのため我が家のレジャーは徒歩か電車がバスか自転車しかありませんでした。金沢には卯辰山という市民が憩う低山があります。子供のころはよく家族で徒歩のハイキングに登ったものです。子供の足でも一時間もかからないで頂上付近の「望湖台」という場所まで来れました。ここからは北に河北潟という大きな湖が見えました。その当時も干拓が行われて湖面は狭く、その先の日本海のほうがはっきりと見えたものでした。 子供にとっては背の低い松が何本も植えられているその公園は木登りをしたり、虫を捕まえたりと面白いものがいっぱいある場所でした。少し後の時代には近くに動物園と水族館を併設した「金沢ヘルスセンター」というレジャー施設が出来たりしたものです。 気の小さな父のお陰で私達家族は金沢近郊だけでレジャーを楽しんでいました。そのころの人の楽しみというのはそういう狭い地域で工夫して何某かの遊びを追及したものだったように思います。もし父が車の免許を持っていたら、私の子供時代はもっと違ったものになっていたのかもしれません。 |
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
お客様から相談を受けていて時々イラッとすることがあります。私も人格高潔な人間ではないので感情が抑えられない場合もあります。
人は誰でもそうなのですが、他人に相談していても答えが自分の中に揃っていることがあるようで、相談していても相手の答えが自分の中に用意されていた答えと違うといつの間にか自分の答えを持ち出してきて相手を否定しているということがあるようです。 相談されている方は一生懸命考えて相手の立場になっているのに、それなら相談なんてしないで一人で動けばいいじゃないかと思ってしまいます。 まぁしかし人というのは弱い部分があって、答えを見つけていてもそれが本当かなと常に不安があるのも事実で、誰かにそれを上書きしてもらいたいと思うのだろうと思います。ただ相談される側からすると「助けてください」と言っている人は救い上げることが出来ますが、「助けていらない」と言っている人は決して救い上げることはできないなぁと空しくなります。 相談を受けるというのは何もかも相手の矛盾も含めて受け入れる気持ちでないとうまくは行かないようです。人と人の関係というのは難しいものです。 |
|
生きている人が送ってくる怨念が形になったものが生霊と呼ばれるものですが、これは本当に凄まじいというか哀れすぎるというか、情けないものがあります。
相手のことを思いやる気持ちというのは「愛」があれば素晴らしいものになるはずなのに、愛のかけらも無くて悪意のみになってしまうとひどいものになります。 先日視させていただいた生霊の本質は「悋気」でした。やきもちというか妬みですね。自分は一人になってしまって不幸なのにあいつらは家族揃って仲良く幸せにしている・・・許せない・・・そういう念が生霊という形になって憑いていました。 事情をお聞きしたところ同情すべき点がこの生霊さんにも無いことも無いのですが、送られてきている憑かれた方達には全く何の落ち度もなく迷惑極まりないことなので、念を返す仕掛けを用意させていただきました。 可哀想ですが、悪念は倍になって生霊さんの本体に還ります。人を呪わば穴二つというように人に対して悪意を持つということは自分自身に対しても悪いものを呼び寄せる形になります。決して行ってよいことではないのです。 人の悪口や陰口というものはよく考えると自分自身の本質だったりすることが良くあります。バカと言っている人がバカというのは真実だと思います。車の運転などをしていて無理な割り込みをされて少し腹を立ててそのまま見ていると、割り込んだ車は必ず同じように無理な割り込みをされているものです。 念の強い人というのは体質的に時々おられます。そういう方にはあまり他人に対して強い思いを送らないように注意させていただいています。そうしないとご自身が不幸になりかねません。人に対しては感謝と幸せになってほしいと願うことを基本にしていきたいものです。 |
|
日本三霊山の一つでもある霊峰です。金沢の南に位置していて今回のような台風の強風や雨雲を防いでくれる役割を果たしてくれます。
金沢を含めて加賀から能登の南部あたりまでが台風の強風から結構守られることが多いようです。けれど冬はこのお山のお陰で時に多くの降雪がこの地域を襲います。二年ほど前にも豪雪が襲いました。それでも最近は都市機能がマヒするようなことにはならず、地下水を利用した融雪装置が細かな路地まで敷設されています。 白山はもちろん活火山で大量の土砂が白山全体にあってそれが動くことで地形が変わりやすいこともあり砂防の施設がそこかしこに作られています。しかし広い地域に深いブナ林が広がっていて豊富な動植物が見られるお山でもあります。 金沢の市街地から白山を見ることはなかなか難しいのですが、それでも見晴らしがよい時と場所に恵まれればそのいつも白い頂を仰ぎ見ることはできます。 このお山と隣の富山の立山連峰のお陰で金沢は海の幸山の幸にも恵まれて美味しい食事がいつでも味わえる土地となっています。白山に恵まれたことをいつもありがたく思っています。 |
|
自分が何のために生まれてきたのかわからないと嘆く方が時々おられます。私もある年齢まではそういうことははっきりとわかりませんでした。
しかし天職とも思える今のお仕事を頂いて自分の役割の一部が何となくわかるようになりました。そして産土の神様を知ることにより、ほとんどの「自分のお役目」というものが理解できたかなと思います。 天職を見つける、そういうお仕事に就ける、もしくはそういう立場になれるというのはとても幸せでなかなか無いことだと思います。ただどんな仕事でもそこに何らかの価値を見出して生きて行くということは大切なことだししなくてはならないことなのかもしれません。どんなお仕事にも何らかの意味で社会を構成していくどこかの部品になっている「意味」があります。その意味をきちんと把握することは大切なことなのだろうと思います。 産土の神様はその人が生まれた時に住んでいた場所の一番近くにある神社の主祭神になります。私はその神社を見つけて再度訪れて神様を確認させていただき、その神様の性格や素性と言うようなものを調べて納得しました。あぁ私はこういう事のために生まれていきていくんだなぁとわかりました。 どんな人にもお役目があります。その役目を果たして行かなくてはなりません。そのお役目を全うした時にその人の寿命は尽きるのかもしれません。 |








