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毎朝神棚に若水と濁り酒を捧げ、祝詞を称えて柏手を打ち祈ります。日々神様と相対している感覚があります。神様は形式を尊び、人の敬意というものを善しとする存在です。御仏は何もせず何も言わなくてもそばにいてくださる在り難い存在です。
神様と仏様ではそれだけ対応手法が異なると私は勝手に考えています。もちろん神様を優位に考えているとかと言うことは全くありません。扱う形が違うということです。 神仏に向き合うことで人の心というか魂というものが鍛えられていくような気がします。心を落ち着かせる形式が段々と視えてきます。すると心の在り様というものに現実の世界が影響を受けている割合というものが分かってきます。物事を為そうとしたときに心をどのような状態に持っていけば良いかがわかるようになっていきます。 心という目には見えないものが現実世界という目に見えるものを絶対的に支配しているのだと言うことが少しずつ分かってきています。現実世界を自分の思うようにしたいと思うのなら、まず心をコントロールする方法を学ぶべきであって、それは神仏と向き合うことで知っていくものなのだろうと思っています。 毎朝365日神棚に手を合わす。それが心を、現実をコントロールする第一歩。 |
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今の仕事に就いた22年前、とても怖かった記憶があります。他人の身体を操作する恐怖というのが最初にありました。こんな仕事ができるのだろうかと思ったものです。
それがクリアできたのは、最初に習った施術がマニュアル通りにやり続けるものだったからかもしれません。本当はこの施術はニセモノで人の身体を癒す効果は一割ほどしかありませんでした。 それでも一緒に習っていた同期生の人たちと研究を続けて行って、その中で「操体法」という技術に出会い、次に単独で「動禅指圧」に出会って永井先生に師事させていただき、「タオ指圧」に出会って遠藤先生に師事させていただきと、何かに導かれるように仕事の内容がブラッシュアップされていき、いつの間にか天職だなと思うまでに至っていました。 自分の天職と呼ばれるものに出会っている人が世の中に何人おられることでしょうか。そんなに多くは無いように思います。それでも誰もが懸命にお仕事を頑張っておられるのだと思います。 自分は幸せ者です。生きがいとやりがいと食べて行けるだけの術を得ることが出来ました。生涯をかけて研究精進していける道を見つけることが出来ました。何と在り難いことかと日々何もかもに感謝している次第です。 産土の神様を知り、生涯の自分の役割を知った時に目に見えないものに導かれている事実を悟りました。そういう運命に逆らってはいけないのかもしれません。素直になることが苦悩する世界から浮かび上がる唯一の道なのだとわかりました。 適職に就くには自分に素直になるのが一番なのかもしれません。それは単純な道ではないのですが。 |
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金沢は去年の冬に比べればとても少ない積雪量で、ニュースや天気予報では「北陸」とまとめて伝えられる積雪予報にビビりながらも金沢は違っていた・・・と安堵する日々を続けています。
北陸と言ってもどうも新潟あたりまで入れる場合が多くて、あちらと比べると金沢はまだそれほどの雪にはならない今年の気候のようです。 金沢の町は融雪装置が積雪時には常時作動していて流れた水が歩道の際の雪の溜まりに溜まってしまいそれを車が跳ね飛ばしていくという弊害に苦しんでいます。 我が家は鉄筋コンクリートなので雪下ろしは必要ありませんが、借りている駐車場が露天なので時々除雪に行かなければならない苦労があります。 気候風土というものは些細なものから災害級までなじんで克服していかなければならないものなので、もう与えられたものとして覚悟して住み続けていくだけです。できれば積雪が少ない冬で在りますように。 |
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しがらみというものにまとわりつかれながら人は生きているようです。
家族、仕事、お金、欲、善行、悪行、利他心、利己心・・・・それらを全てしがらみとしてよいのかどうかはわかりませんし、それをストレスと感じるか生きがいと感じるかはその人の心が決めることなのだろうと思います。 人は一人では生きていけないというのは間違いないこと。常に誰かの、何かの「お陰」で生かさせていただいている存在です。しがらみに生かさせていただいていると言ってもいいのかもしれません。 絡み合って転がりあって七転八倒しながら生きて行くのが人の生きざまの基本なのだろうと思います。それなら、何もかもをありがたいなぁと思って生き行きたいですね。しがらみというのは地中に伸びた細かい根のようなもの。そこからあらゆる命の元が入ってくるのかもしれません。 しがらみというのは「命の根」の別名なのかもしれませんね。 |
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お客様の中に時々自分に対する他者の持つイメージと自分自身の中身のギャップに苦しんでおられる方がおられます。
周りからは積極的で何事に対しても自信たっぷりに思われがちな女性が実は表に立つことが好きではなくて影で他人をひっそりと支えるのが好きな性格だと言うことで、与えられる役割の重さに悩んでいたり、見た目が可愛くて話す声も可愛くて女性らしい外見なのに本質は男らしい性格でさっぱりとした竹を割ったような気性で周りには全く逆の人間と見られていて悩んでいたりと様々です。 自分らしさというものと他人の自分に対するイメージからの対応とのギャップに振り回されてしまうと日常の生活が全てストレスになってしまうものです。自分の本当の姿というか性格が周りにわかってもらえないというのは「閉塞感」を生んでしまうものです。そして女性はその優しさから「違うんです。」となかなか周りに言い出せない状況に陥ってしまいやすいようです。 私は身体や氣の本質を視ますから、その方の魂の性質が大体わかります。だからそういうギャップからの悩みがすごくよくわかることがあります。 だからそういうときはよく言います、「無理しないで、時には自分をさらけ出すことをためらわないで」と。自分らしく生きることは当たり前の事。それは我儘でもジコチューでもありません。周りの和を乱すことでもありません。個人が幸せに生きるために努力することは素晴らしいことです。誰にそれを止める権利があるでしょう。時には自分の本質を周りに認めさせることも大切な生きる権利なのだと私は考えています。 |




