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少しずつ北陸にも春の足音が聞えてきました。ストーブも強力な大型のものをしまって小型の小火力のものに変更していきます。窓の断熱シートも少しずつ外していきます。
着ているヒートテックも超極暖から極暖へと変更され、部屋着もモコモコのものから薄いフリースへと変更されます。 そして昨日の休日は車のタイヤを普通タイヤに替えました。もう最近は慣れてきて一時間半くらいで交換終了です。でも今乗っている車はSUVなのでタイヤや大きくて重いです。これくらいになると自分で交換するのはちょっと苦しいかもしれませんね。でも無駄使いが嫌いな私は何とか自分で頑張っています。 気温の変化への対応も高齢者になってくるとこまめにきちんと色々なものを変更していかないと身体の対応力が衰えていますから、経験値と頭を使って工夫していかないとお医者さんのお世話になる確率が上がりますね。 そう言えばタイヤ交換するときにタイヤの空気圧も確認して、自分で足踏み式の空気入れで空気圧調整をしています。自分でできると何だか安心するし乗っていても気分がいいように思います。 本当は何でも自分で出来ればいいのですが。プロに頼まなければならないことはきちんとプロに頼みたいとは思っています。そこを変にケチると碌なことにならないのは経験で認識しています。 季節の変化は自然の営みです。人はそれに従って生きて行くわけです。為すがままに努力する、それも人の生き方ですかね。 |
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亡くなられた方が今、どういう状態なのかというご相談が時々あります。
氣を通して視る私のやり方は一般的な霊視とは違いますから、本当に視えた通りなのかどうかについては保証できるものではありません。 ただ亡くなった方はやはり生きておられたときよりも自分が気にしていてそばにいてあげなくてはならない人のそばに行くことが多いように思います。 お母さんが亡くなられて、視てみるとその頼まれた方ではなくてご兄弟や姉妹の方、おじさんなどの所に就いている場合があります。ご本人にそう伝えると、ちょっと寂しそうではありますが「やっぱりね。」と納得されることが多いです。現世でその守られている方がお身内の中でも一番問題を抱えている場合が多いからのようです。生きているうちから心配されていたのでしょう。 亡くなられた方の亡くなってからの行動原理は「愛」しかありません。そばにいて見守ってあげたいと願っているのが魂の基本的な在り方なのだと思います。ご家族身内に何の問題もなければ、生前ご自分が一番心穏やかに過ごせた場所にずっとおられたりすることもあるようです。 いつまで?・・・それはわかりません。ずっと永遠かもしれませんし、49日だけかもしれませんし、それは何かが何かの理由で決められた期間と言うことになるのかもしれません。 でも目に見えないだけで、愛する人の心の中にはいつまでも亡くなった方は生きておられるのだということは間違いないと思います。 |
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私が子供のころ、つまり昭和40年代くらいまでは金沢のような地方都市では「お寺」がまだ地域の中心にあったような気がします。もちろん「公民館」というような公共施設も出来ていて、そちらも中心的な立場ではありましたが、それでも小さなお寺さんが町内をまとめていたように思います。
人と人のつながりが町内を中心にして現実世界の塊としてそこここにあったような気がします。何やかやと主婦や子供たちがお寺さんに集まっていたように思います。北陸は浄土真宗の根付いた真宗王国でしたから、そういう報恩講のような宗教儀式がしっかりと今も残っています。 目に見えるつながというものが地域社会でしっかりと出来ていた時代でした。 今は目に見えないネット情報社会の繋がりが全国規模で人々を繋げる時代になりました。まだ70歳以上のお年寄りは公民館を中心とした現実世界のつながりによって生きています。地方はまだまだそういう現実世界のつながりが生きている社会です。 でも将来はどうなるのでしょうか?ネットがこれまで以上に発達していけば人と人のつながりというものは目に見えないものに完全になり替わってしまうのでしょうか?それとも逆にネットによって現実の人と人のつながりがより密接になって地域と中央との隔たりが無くなっていくのでしょうか? 人と人の繋がりというのは心がつながることが基本です。生活と生活がつながっていてこそ心が分かりあってつながっていくような気がします。 本当の意味での人と人の分かり合いが出来ることが温かい社会を作っていくような気がします。 そういう意味でネットが良い意味での心と心の触媒のようなものになって行けばいいなぁと思います。 |
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日々当たり前に過ぎていく出来事や物事がいかにありがたいものかと言うことを時々強く感じています。
母親などは86歳で心臓に持病があり、糖尿病で脊柱管狭窄症でもあり両膝には人工関節が入っていて、それでも毎日少しは自分で自分の食べるものは料理して食べています。妻も毎日おかずは作って持って行ってくれたりはしています。こういうことも全て奇跡のように在り難いことで、家族に手のかかる人がいれば大変なことになるだろうと思います。お客様の中にもそういう介護の日々を送っておられる方がおられます。 家族や自分が病気を抱えていたり、生活が苦しかったりすればきっと何やかやと大変だろうと思います。家族が入院などせずにある程度健康でいてくれるということだけでどれだけ在り難いことかと思います。事故や事件に巻き込まれることもなくここ数年過ごしていられることもとてもありがたいことだと思っています。 物事は気の持ちようとは言いますが、どれだけ前向きに考えていても様々な出来事が起きてしまえば大変だと言うことはあります。何に感謝をしていけば良いのだろうと思います。 神仏、関わってくださった全ての人たち、自然界の全てのもの、こと、そういうものすべてに感謝して生きて行くしかないのでしょうね。当たり前の事なのですが、日々これ感謝の気持ちで生きて行こうと改めて思います。 |
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とは言ってもカップラーメンの話ではありません。あれは赤い狐か・・・。
豊川稲荷のお狐様のお話です。ここは日本三大稲荷の一つと数えられていますが、他の伏見・最上と比べると少し毛色が違うというか「蒼い」ようで・・・。 氣視の中で視させていただいたのですが、最初はロボット犬かと思いました。ピクリとも動かないし生き物的な感触が全くなくて何しろ異様なお狐様でした。 私とご縁があるお不動様は狐さんたちとも多少ご縁があるらしくて氣視の中で視るお狐様たちは楽しそうに動き回っているのが普通なのですが、この豊川さんの稲荷はこれまで視たこともなくて初めて視させていただいたのですが、異次元の狐という感じでした。 豊川稲荷は仏教の源流であるインドの神様に今もとても近い系統のように思われます。シヴァ神の化身としての力を今も強く持っていられるように感じました。たぶん呼ばれることは無いように思います。 神仏の世界というのは奥が深くて闇も広がっている部分は在るように思います。気楽に表面の世界だけを楽しんでいる分には問題はありませんが、深いところに潜ろうと思ったらやはり相当な覚悟がいるように思います。強い導きの神様が就いてくださらない限り、立ち入ってはいけないように思われます。 |








