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令和最初の日だというのにスピ関係のブログを書いているというのは何となく失礼な感もありますが・・・・。
氣視のイメージの中には全く意味が解らない映像のようなものが視えることがあって、これの意味が分かるのには何年もかかる場合があります。 竹林についてもこれが視えるときにはどういう意味か全く分からず困っていたか視て視ないふりをしていたような感じです。 最近ようやくその意味が分かりました。以前にも書いたかもしれません。それは神仏に対する「不信」の念を表しています。これが視える人は基本的に神仏を信じていません。現実主義というか合理主義というか摩訶不思議なものなどは理解しないという考えの持ち主なわけです。悪く言うと刹那主義というかその場が楽しければ後はどうでも良いと考える人がこういう人のようにも思います。 では何故「竹林」なのでしょうか?竹という植物の「氣」は特殊で大地の氣と大気の氣をストレートに短絡的につなげる役割を持っているのが「竹」という植物です。成長は早いですが、その根っこは地中深く張るものでなくて横に広く早く広がっていきます。ちょっと特殊で樹と草の中間のような木とも言えるかもしれません。 人はパンのみにて生きるにあらずとどこかの偉人が言っていますが、人は現実だけを見つめて生きているのではなくて理想や夢や魂というものを感じて生きることでその人格を豊かなものにしていきます。ロマンチストになれというわけではありませんが、現実主義や合理手記というのは何だかむなしいだけのように感じますね。 |
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2019年05月01日
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