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NHKのドキュメント72時間という番組を好きで時々観ています。先日は「レンタルなんもしない人」を特集していました。
人がネットでただそばにいて何もしないという人をレンタルするという。ある程度若い男の人がやってきてただそばにいるだけで、レンタルした人は食事をご馳走したり、犬の散歩につきあってもらったり、カラオケで自分の歌をきいてもらったりして、それでとても幸せそうに満足して、お金を支払っていました。 赤の他人が何もしないでそばにいると言うことがどういう意味があるんだろうと番組を見ながら考えていましたが、これは簡易神様仏様のようなものだなと気づきました。神様も仏様も人に対して何かを具体的に現実に何かをするわけではないけれど、それでも人は神様や仏様を自分の身近に近づけようとして神社やお寺に詣でます。それはそこに人の心の平安があるからなのですが、このレンタルなんもしない人はそれの人版と言うように思いました。 そこに何もしないでいるというのは人にとって「許容してもらっている」という証になるようです。許容していなければそういう存在は黙って去っていくか、非難してくるものです。常に自分を許してくれている人がいるということを現代人はどこかで求めているのだと思います。それがネット依存の本質なのかもしれません。 神仏は人の心の中におられます。そこにいて常に人を認め、許し、愛してくださっています。それは万物に対して平等にそうなのですが、そこに人も含まれていると思います。ただそう強く信じることができる人がそれほど多くはおられないのかもしれません。 でも愛されていなければ人なんて生まれてくるはずがないのですけれどね。本当に愛してくれる存在というのはただ黙ってそばにいてくれる存在なんです。 |
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2019年06月16日
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