霊性日記

霊性の時代の始まりかな?不思議なこと面白い!

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何とかなる

 楽天主義の私のいつも考えることです。トラブルや悩みに直面したときに考えに考え抜いた後は「何とかなる」と思います。

 何とかなるものです。何ともならないということはありません。もがいていると何とかなるものです。神様仏様がおられるのは間違いないとそんな時は感じます。どこからか助けが入ったり、誰かが何かがわかってくれたり、状態が好転したり、危機は必ず脱出できます。

 それは必ず何とかなると信じているからかもしれません。信じるものは救われるというのは神仏の事だけではなくて現実の問題が何かあっても「何とかなる」と信じているとその通りになるものです。

 それでもそれでもどうにもならないこともあります。だからと言ってあきらめたりせずに何とかなると思い続けていればきっと良い結果がいつかやってきてくれると私は信じています。
 そうですね。あまらめない・・・何とかなる これが大切なのだと思います。

 金沢も雨です。しかし九州北部などの豪雨に比べれば穏やかな雨のように思います。今、現在雨の被害に遭われている方達、どうかご無事で被害もなるべく少なくすむようお祈りしております。

 冬には豪雪を生み出す白山という高山が台風やこういう極端な雨雲に対しては防壁の役割を果たしてくれて金沢はそういう災害からは守っていただいているようで自然のありがたさに深く感謝して暮らしております。

 ぜいたくな悩みなのかもしれませんが、猛暑は少し過ぎたようにも思われますが高い湿度を伴った蒸し暑さが現在は北陸をも襲っています。気温はさほどでもないのにむしむしと息が詰まるような暑さを感じる日々が続いております。
 この気候はやはり体に相当の負担を与えます。通気性のある服装と適度なエアコンの利用で部屋の湿度を適度に下げて暮らす必要があります。そうしないと身体の中の熱が逃げ場を失って持続する軽い熱中症のような状態になりかねません。多湿なこういう時期こそ食中毒の心配やカビの発生とともに身体の中の熱の発散に注意を払ってほしいものです。
 もちろん成仏されて天もしくは極楽浄土へ行かれてしまう方もおられますが、ほとんどの方は生きているときに一番気にかけていた人のそばに行かれるようです。

 生きているときには離れていたり、生活する場所が違っていたりで行けなかった人であっても魂ならば簡単にすぐに行けるようで(実は最初に行くときには生きている人と同じような交通手段で行く場合もあるようです。)気にかけている人のそばで助けようと頑張るようです。

 大抵は身内の方の場合が多いようで、残された身内の方のそばに就いているようですね。私に聞かれる人は自分のそばにと思われる方が多いのですが、案外とそういう方は心にも余裕があるわけで亡くなった方は心配ないと判断されていることが多いようです。そのことが分かってもご本人ケロッとしていますね。

 先日読んだ心霊漫画に浮遊霊が様々な場所にたくさんいるとおっしゃる霊能者の方が出ておられましたが、これはこの霊能者の方のちょっとした思い違いのように思いました。浮遊霊などというものはそんなに数多くいるものではないと私は思います。たぶんわずかな残留思念のようなものをこの霊能者の方は読み取ってご自分の中で脚色してしまっておられるのだと思いました。霊体はそれほど不安定なものではありませんし、生きている人に影響を与える存在ではないと私は思っています。

 人の「縁」というものが霊を導くことが強いわけで、この「縁」というものの力を侮ってはいけないと私は思っています。ただ「縁」に支配されているわけではなく、主体はあくまでその人の意思ではあるのです。

竹について

 竹や竹林が氣視の中で視える場合の意味については以前書いたことがあります。それは神仏を信じていない心を表すと言うこと。

 でも何故かということについてはしっかりとはわかっていません。ただ神社についていうと、私が知っている限りにおいては神社のいらずの森などに竹林はありません。境内にも竹林があるのを見た記憶があまりありません。もしかしたら竹という植物は神域では嫌われているのでしょうか?寺院にはときおり竹林があったような気もしますが・・・。

 竹はとても生命力が強い植物で4.5年で成長してしまいます。また根を張っていってどんなところからも発芽しますから、厄介な植物と言うならそうなると思います。

 これは語呂合わせか駄洒落のような話ですが、竹というものには「芯」がありません。空洞です。「芯」がない・・・「信」が無いなんていうことではないですよね、アハハハハ(乾いた笑い)。

 竹林は神秘的ではありますが、神様の雰囲気ではないのかもしれません。

心を

 心を落ち着かせるメッセージが何だか久しぶりに届きました。

 「我が身の内に 必ず御仏は おわします」というものです。

 身体の中の真ん中にどんな方にでも御仏がおられます。いつでも信じればその存在を感じ取ることができます。それは救ってくださる存在、温かさを与えてくださる存在、大丈夫だよと言ってくださる存在、決して最後まで一人にはしないよと言ってくださっている存在です。

 あらためて在り難いという気持ちが湧いてきました。これは南無阿弥陀仏という名号の顕す本来の意味です。現代の人たちは意味を知らずに南無阿弥陀仏と唱えておられる方が多いですが、本当の意味はこういう事だと私は思います。

 一度でも名号を唱えた方であれば必ずその身の内に御仏は宿られ心と身体を守ってくださっています。新興宗教ではありません。浄土真宗も、浄土宗も、日蓮宗も曹洞宗もほとんどの仏教が言っている根本はこの意味だと私は信じています。

 ただむやみやたらとお釈迦様を信ずるというのではなくて、身の内に自分自身を決してないがしろにしたリハしない優しいものがいてくださるということを信じるということです。そういう存在が宿る自分というものは決して蔑むべきものではなくて尊ぶべきものだと言うことだと思います。

 必ず身の内におられるその存在を信じてほしいと思います。

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