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最近の集中豪雨は何十年に一度とか下手をすると百年に一度とかの規模になり、ニュース映像だととてつもない濁流が川べりの家を崩して飲み込んで行ったりしています。
川を司る神様はどうされているんだろうと思いますが、どうも神様自体も少し戸惑っているというか、この何でもかんでも飲み込んで流していくのは不本意な部分があられるのか、なんだか圧迫感のある波動を周囲に流しているような感じがあります。 神様の本質は「自然」そのものなのですから、ひどく雨が降ったと言ってもそれは当たり前のようですが、人との縁もあるわけでつながっている霊的な道筋に沿って自らの状態を送ったりもしているわけで、あのような滅茶苦茶な濁流は少し不本意ではあるようです。 古代にはきっと川(の神様)はその近くに住む私達に災害の前には何某かの雰囲気を伝えて逃げる準備もさせていたんだろうなぁと思います。川と人がもっと身近に密接につながっていたんだろうなぁと思います。人のそういう原始感覚というようなものは衰えてしまったんだなと思いますね。 |
霊性
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楽天主義の私のいつも考えることです。トラブルや悩みに直面したときに考えに考え抜いた後は「何とかなる」と思います。
何とかなるものです。何ともならないということはありません。もがいていると何とかなるものです。神様仏様がおられるのは間違いないとそんな時は感じます。どこからか助けが入ったり、誰かが何かがわかってくれたり、状態が好転したり、危機は必ず脱出できます。 それは必ず何とかなると信じているからかもしれません。信じるものは救われるというのは神仏の事だけではなくて現実の問題が何かあっても「何とかなる」と信じているとその通りになるものです。 それでもそれでもどうにもならないこともあります。だからと言ってあきらめたりせずに何とかなると思い続けていればきっと良い結果がいつかやってきてくれると私は信じています。 そうですね。あまらめない・・・何とかなる これが大切なのだと思います。 |
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金沢も雨です。しかし九州北部などの豪雨に比べれば穏やかな雨のように思います。今、現在雨の被害に遭われている方達、どうかご無事で被害もなるべく少なくすむようお祈りしております。
冬には豪雪を生み出す白山という高山が台風やこういう極端な雨雲に対しては防壁の役割を果たしてくれて金沢はそういう災害からは守っていただいているようで自然のありがたさに深く感謝して暮らしております。 ぜいたくな悩みなのかもしれませんが、猛暑は少し過ぎたようにも思われますが高い湿度を伴った蒸し暑さが現在は北陸をも襲っています。気温はさほどでもないのにむしむしと息が詰まるような暑さを感じる日々が続いております。 この気候はやはり体に相当の負担を与えます。通気性のある服装と適度なエアコンの利用で部屋の湿度を適度に下げて暮らす必要があります。そうしないと身体の中の熱が逃げ場を失って持続する軽い熱中症のような状態になりかねません。多湿なこういう時期こそ食中毒の心配やカビの発生とともに身体の中の熱の発散に注意を払ってほしいものです。 |
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もちろん成仏されて天もしくは極楽浄土へ行かれてしまう方もおられますが、ほとんどの方は生きているときに一番気にかけていた人のそばに行かれるようです。
生きているときには離れていたり、生活する場所が違っていたりで行けなかった人であっても魂ならば簡単にすぐに行けるようで(実は最初に行くときには生きている人と同じような交通手段で行く場合もあるようです。)気にかけている人のそばで助けようと頑張るようです。 大抵は身内の方の場合が多いようで、残された身内の方のそばに就いているようですね。私に聞かれる人は自分のそばにと思われる方が多いのですが、案外とそういう方は心にも余裕があるわけで亡くなった方は心配ないと判断されていることが多いようです。そのことが分かってもご本人ケロッとしていますね。 先日読んだ心霊漫画に浮遊霊が様々な場所にたくさんいるとおっしゃる霊能者の方が出ておられましたが、これはこの霊能者の方のちょっとした思い違いのように思いました。浮遊霊などというものはそんなに数多くいるものではないと私は思います。たぶんわずかな残留思念のようなものをこの霊能者の方は読み取ってご自分の中で脚色してしまっておられるのだと思いました。霊体はそれほど不安定なものではありませんし、生きている人に影響を与える存在ではないと私は思っています。 人の「縁」というものが霊を導くことが強いわけで、この「縁」というものの力を侮ってはいけないと私は思っています。ただ「縁」に支配されているわけではなく、主体はあくまでその人の意思ではあるのです。 |
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竹や竹林が氣視の中で視える場合の意味については以前書いたことがあります。それは神仏を信じていない心を表すと言うこと。
でも何故かということについてはしっかりとはわかっていません。ただ神社についていうと、私が知っている限りにおいては神社のいらずの森などに竹林はありません。境内にも竹林があるのを見た記憶があまりありません。もしかしたら竹という植物は神域では嫌われているのでしょうか?寺院にはときおり竹林があったような気もしますが・・・。 竹はとても生命力が強い植物で4.5年で成長してしまいます。また根を張っていってどんなところからも発芽しますから、厄介な植物と言うならそうなると思います。 これは語呂合わせか駄洒落のような話ですが、竹というものには「芯」がありません。空洞です。「芯」がない・・・「信」が無いなんていうことではないですよね、アハハハハ(乾いた笑い)。 竹林は神秘的ではありますが、神様の雰囲気ではないのかもしれません。 |



