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この女神さまは氣視しているとよく視る方ではあります。女性の方でこの神様の守護を受けておられる方は多いようです。
この神様のメッセージで時々あるのが、家の中に生花を飾りなさいというものです。立花というか生け花というか家庭の中にそういうものがあるとこの女神さまは加護の力を及ぼしやすくなるようで、言われた方もほとんどの方が嬉しそうにそうしますとおっしゃいます。 花の持つ無償の愛の力というものは「家庭」という空間の中に温かい波動を生み出すものになるのだろうと思います。 美しさの象徴でもある神様ですが、生きとし生けるものすべてに対する愛というのは神様のほとんどが持っておられる波動だと思います。富士山の神様でもありますが、それよりは花々の神様と考えたほうが実像に近いのかもしれません。 |
霊性
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その方を氣視すると雨が降り続けているのが視えました。視ていると段々雨が綺麗な光を伴って降っていることが分かりました。
雨の女神様に愛されているんだなぁと思いました。施療が終わってお話を聞いて見ると大病を患って最近までずっと寝込んでおられたそうで、やっと元気になって当院を訪ねてこられたのだそうです。 そうか、身体の瘴気を雨が禊の雨として洗い流していたんだなぁと思いました。よかったね。もう大丈夫。心も体もきれいになって生まれ変わったんだねと思いました。 雨の女神様と考えて気づいたのが以前行った中能登町の雨の宮古墳群にある雨乞いの女神様の祠でした。ご本人に雨の女神様の守護のことをお話して、古墳群に行けたら行ってください、きっとご加護が強くなりますよとお伝えしました。 雨の女神様を後で調べてみると「タカオカミノカミ」様であることがわかりました。京都の貴船神社の神様であり、日本のすべての水に関わる神様の中心に居られる方です。 先日の山形県への旅でも禊の雨が降りましたが、どうも我が家では母親から私へと遺伝のようにこの神様の守護が伝わっているように思います。たぶん白山ヒメ神社の菊理姫様ともこの神様は親戚関係にでもあるんじゃないかなと思います。 この方は女性の方だったのですが、結婚も子供を持つこともあきらめておられましたが、大丈夫結婚も子供を授かることも必ずできますよとお伝えしました。一度しかない人生です。夢を失くして生きて行くなんてもったいないですものね。 |
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人は必ず一度は死にます。どんなに頑張っても必ず死んでしまうと言うことは間違いないのでそれは納得しなければならないのですが、「死」というものが近くならないと人は死ぬことを決して納得もしないし現実の事として認識しないようです。生でさえも我が子が生まれて何年か経って、子供が自身をお父さんとかお母さんとか呼べるようになって、やっと「生」ということを実感するように思います。
私も自分が後30年生きるなんてありえないと思っているので、せいぜい後20年が良いところだと思っています。その前に87歳の母はもうすぐ消えてなくなります。それが「死」という現実ですね。 究極の別れになるわけで、泣こうがわめこうがどうなるものでもありません。人は何十万年も昔からあきらめて生きてきたわけです。 最近の「生」はちょっと面倒な事になっているかもしれません。女性の子宮は身体に取り込まれた様々な栄養素が集まる機能を持っています。ですので現代の食生活における食品添加物や農産物の農薬の類やそんな諸々が少しずつ子宮に溜まるのかもしれないと私は思っています。そのために子宮内膜症にかかっている女性がとても多いとか、自閉症児やダウン症のお子さんが増えているのもそういうことが影響しているのではないかと思います。それなのにそういうことが一切マスコミで出てこないのは、もちろんそういう食品・農産物業界が隠しているのかもしれないとも思います。 生が若干穢されつつあり、死というものももしかしたらこの高齢化社会で穢されつつあるのかもしれません。人が始まりと終わりをきれいなものにしていく努力を失くしてはいけないなと思ってしまいました。しっかりと自らに関わる生と死を見つめ高める努力をしていこうと思います。 |
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お客様にお聞きすると神棚が家にはありません、仏壇が家にはありませんとよく言われることがあります。
何という事でしょう、と劇的ビフォーアフターのように叫んでしまいそうです(笑)。 意外と神縁や仏縁が強い人ほどそういう傾向があるように思えます。個人個人が縁深い関係で現実としてそういう仲介する媒体が必要なかったと言うことでしょうか?それにしても・・・。 神仏に対して感謝を伝える「装置」だと思っています。その「装置」が無いと言うことは感謝の気持ちが無いままに日々過ごしていると言うことになります。それでは心の平安も霊的な守護も与えられることは無いと思われます。だからとは言えませんが、そういうお家には何某かの障害が発生していることが多いように思われます。あくまでも私の私見ですが・・・。 日々何事に対しても感謝する気持ちというのが大切だと思っています。だって周り中が全て奇跡のようなものに囲まれて生きているのが私達なのですから。何故感謝せずに生きられるのかわかりません。ありえないことに包まれているからこその「ありがとう」なのだと思います。 ありがとう装置である神棚・仏壇、在ったほうが良いと私は思います。 |
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NHKのドキュメント72時間という番組を好きで時々観ています。先日は「レンタルなんもしない人」を特集していました。
人がネットでただそばにいて何もしないという人をレンタルするという。ある程度若い男の人がやってきてただそばにいるだけで、レンタルした人は食事をご馳走したり、犬の散歩につきあってもらったり、カラオケで自分の歌をきいてもらったりして、それでとても幸せそうに満足して、お金を支払っていました。 赤の他人が何もしないでそばにいると言うことがどういう意味があるんだろうと番組を見ながら考えていましたが、これは簡易神様仏様のようなものだなと気づきました。神様も仏様も人に対して何かを具体的に現実に何かをするわけではないけれど、それでも人は神様や仏様を自分の身近に近づけようとして神社やお寺に詣でます。それはそこに人の心の平安があるからなのですが、このレンタルなんもしない人はそれの人版と言うように思いました。 そこに何もしないでいるというのは人にとって「許容してもらっている」という証になるようです。許容していなければそういう存在は黙って去っていくか、非難してくるものです。常に自分を許してくれている人がいるということを現代人はどこかで求めているのだと思います。それがネット依存の本質なのかもしれません。 神仏は人の心の中におられます。そこにいて常に人を認め、許し、愛してくださっています。それは万物に対して平等にそうなのですが、そこに人も含まれていると思います。ただそう強く信じることができる人がそれほど多くはおられないのかもしれません。 でも愛されていなければ人なんて生まれてくるはずがないのですけれどね。本当に愛してくれる存在というのはただ黙ってそばにいてくれる存在なんです。 |








