風の迷路──おりおんのブログ。

学習障害者のきょうだいとして、軽度発達障害児教育を考えていきたいです。趣味の記事もあります。

私のこと

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今週の土曜日は、中学生の教え子たちの体育祭です。

例年は、9月の第4土曜日が中学の体育祭なのですが、今年は一週間早いです。

体育嫌いな私は、小中学校の運動会が嫌いだったな…と懐かしく思いながら書いています。

運動会の練習も嫌いでした(笑)。特に全員が出場しなければならないクラス対抗リレーなどは(笑)

勉強では成績を公表しないけれど、体育はできる子とできない子の差が一目瞭然ですよね f^_^;。

運動そのものは嫌いだった訳ではないのです。
クラスの他の子よりも運動神経が劣っていると評価されるのが嫌でたまらなかったのです f^_^;。

私も子どもの頃は、運動会が好きな人の気持ちがわかりませんでした。

体育が得意な子なら、運動ができて活躍できるという理由でわかるのですが、 体育の成績が普通ぐらいの同級生が、なぜ運動会が好きなのか、わからなかったんです。

家庭教師を始めてから、その理由の一部がわかってきました


中三の受験生は、本当に勉強ばかりさせられます。

家庭教師をしていて、受験生の教え子(元教え子)が勉強ばかりさせられて気の毒に思うことも何度かあります

元教え子たちや、今の教え子(特に体育が好きで団体行動が得意な子)にとっては、体育祭は活躍できる場であるだけでなく、受験勉強の合間の息抜きの楽しい行事なんですよね

私が住んでいる地域の中学は、9月に体育祭、10月に文化祭(合唱コンクールが多いです)

特に勉強、勉強ばかりの受験生にとっては、受験勉強の合間の楽しい行事なんですね。

体育祭も頑張れ、受験生諸君! 中学生活最後の体育祭を良い思い出にして下さい

ところで、少数派である軽度発達障害(特に自閉症)の子は「協調性運動障害」に伴って体育が苦手な子が圧倒的に多いみたいですね。
(弟も体育は極端に苦手でした)

これは私の想像ですが、軽度発達障害の子は「運動会が楽しい人の気持ちがわからない」という子が多いのではないでしょうか?

軽度発達障害で、体育が苦手な子には、無理に団体競技を押し付けてはいけないのではないかと思っています。
団体行動が苦手な子には、見学させるなどの学校側の配慮も必要かと思います。
私は小学生以下の子どもが好きなのですが、昔は子どもが苦手だったのです。22歳の時までは、自分のことを子ども嫌いかと思っていました。

高校の時は路線バスと電車で通学していました。路線バスには、時々幼稚園児たちが乗っていました。

当時の私は、幼稚園児のガヤガヤする声がとても苦手だったのです。

子ども好きになったきっかけは、大学を卒業して23歳になってからです。

私は特定の宗教を信じていませんが、23歳の時には毎週日曜に、心の拠り所を求めてプロテスタントの教会に通っていました。

同じ教会のクリスチャン夫婦(当時30代)で、小学校4年生と2年生の姉妹がいる人がいました。

教会での礼拝が終わった後、当時小4だった姉のMちゃんと、妹のKちゃんに恐る恐る声をかけたら、

MちゃんとKちゃんが私に懐いてくれたのです!


その瞬間がとても嬉しかったです。

Mちゃん、Kちゃん姉妹と、教会の礼拝が終わった後で鬼ごっこに誘われたこともありました。

姉のMちゃんは漫画を描くのが好きな女の子(当時はセーラームーンが流行ってました)だったので、イラストを描いて交換したこともありました。

気づいたのです。私は決して子ども嫌いではなく、むしろ好きだったんだということに!

当時は県外に住んでいたので、もうMちゃんとKちゃんの家族とは交流がありませんが、同じ教会に通っていた大学生の男の子と一緒に、クリスマスパーティに呼ばれたこともありました。

多くの子どもは声をかけてくれる人に懐きます。そのことをきっかけに、私は子ども好きになって今に至ります。
子どもの頃の私の記事の続きです。

これは、小学校の時よりも書くのに勇気が要った記事です。 いじめがらみの内容なので、かなり重い内容です。

楽しい思い出だった部活のこととは別に、中学1、2年の時は教室へ入るのが嫌でたまりませんでした。

中一の時

出身中学では、私が卒業した一学年一クラスの田舎の小学校と、一学年5クラスの町中にある小学校、そしてその大きな小学校の分校の3つの小学校の卒業生が一緒になります。

入学したばかりの時は不安でいっぱいでしたが、一週間も経つと、大きな小学校からの同級生の気の合う子たちと友達になれました。

同じ小学校から同じクラスになった男子生徒2人は、いじめをしないおとなしい子だったのですが、

別の小学校の男子生徒の一部が、中一のクラスの女の子を酷い言葉でいじめていました。

そのリーダー格がKという男子生徒。Kと仲良くしていたいじめっ子グループが、

Kのグループは、一学期の時には、私と同じ部活だったIちゃんと、中学に入って横浜から転校してきたRちゃんをいじめのターゲットにしていました(怒)

特にIちゃん(彼女は私と同じ部活でした)は、差別用語かもしれませんが顔のつくりが不美人で、悪質ないじめっ子グループのKたちは、Iちゃんを毎日のように「ばい菌」扱いしていました(怒)

2学期になると、前期の学級委員の女の子(この子は思いやりがあるいい子だった)のTちゃんを「チクリ」と呼んで、毎日のようにいじめていました。

私はズレていたいじめられっ子タイプだったので 、主にKから「ばい菌トリオ」と時々呼ばれていました。

「ばい菌トリオの1人がIちゃん、クラスで一番おとなしかったYちゃん、そして私」

Kのいじめの言葉があまりにも低レベルでくだらなすぎるので、徹底的にシカトしていましたが。

Kたちのいじめっ子グループから毎日のように酷いいじめを受けていたIちゃんやTちゃんよりはまだマシでしたが、教室に入るには嫌でたまりませんでした。

小学生の時も確かに男子生徒から言葉のいじめに遭って、特にH君からは毎日のように「ばかおりおん!」「鈍足!」と言われていましたが、H君は許せる範囲のいじめっ子でした。H君の場合はKと違って徒党を組まなかったのです。

しかし、Kだけは許せないいじめっ子です。「君」付けするのも嫌なくらいです。

Kについてもっとむかついていたのが、勉強はできるヤツだったことです。

(Kと私の進学先は同じ進学校だったんですよ。私は普通科で、Kは理数科だったので、3年間同じクラスになることはなかったのですが)

いじめっ子のリーダー格は、家庭に問題がある子が多いようですが、 Kの場合は両親ともに教師でした。

高校の時に、別の中学出身の友達の担任教師が、Kの母親(国語教師)でした。

Kの母親は、教師としてはやり手でクラスをまとめる力があって、評判はどちらかというと良い方だったですが、息子の教育には大失敗したな、と今でも思いますね。

さて、中二になると、嬉しいことにKやKと一緒にいじめをしていた男子とは運良く別のクラスになったのですが、中二のクラスの女子の一部から嫌な思いをさせられます。

中学の部活の思い出(1)

皆さんは、中学生の時に部活は何をしていましたか?

私は、コーラス部でした。

文化部を選んだ理由は、体育が嫌いだったから(笑)です


また、私の中学時代は、運動部は日曜日も部活があって、日曜日に学校に行くのは嫌!というのもありました。

私の出身中学には、演劇部、家庭科部、書道部、美術部などの文化部が他にありました。

(吹奏楽部はありませんでした)

小中学生の時は漫画家になることを夢見ていたので、当初は美術部に入ろうと思ったのですが、部員が三年生の男子しかいなくて、仮入部しただけでやめました。

コーラス部を選んだのは、出身中学の文化部の中で一番人数が多くて、新しい友達を作りたかったからです。

合唱が大好きな人には不純な動機で恐縮ですが、「歌うのが好き」というより、他の文化部(演劇部は二番目に部員が多かったけれど、役を演じることには向いてないと思った)が、一学年の部員が1人か2人という小さい部活だったからです。


さて、合唱が特に好きという訳ではなかったので、コーラス部に入部した訳ですが。

合唱では、喉を使った声ではなく、お腹に力を入れて裏声を出さなければなりません。

普段の練習は、「コンコーネ」という歌詞と音階が一致している楽譜(ピアノで言うと「バイエル」みたいなものです)を使って発声練習をしていました。

札幌オリンピック(1972年)のテーマ曲になった歌や、合唱コンクールなどでおなじみの「空駆けるペガサス」、「筑後川のフィナーレ」、「樹氷の街」や「大地讃賞」などを部活で歌いました。

合唱用の声を出すために、腹筋を鍛えなければならないので、腹筋や時には腕立て伏せ(超苦手だったのよ〜)、ジョギングの練習もしていました。

中学生の時は、1、2年の時は軽い言葉のいじめに遭って、学校へ行くのが嫌だったのですが、部活のメンバーには恵まれて、良い思い出となっています

中学生の頃の自分についての記事は暗くなりがちなので、部活の思い出などを交えて書いていきたいと思います。

……中学の時は、夏休みに合唱コンクールの地区予選に向けて、課題曲と自由曲の練習をしてました。とても懐かしい思い出です。
発達障害の子のことを書籍で読んだり、ADHDやアスペルガー症のサイトをウェブで閲覧していて常に思うことがあります。

軽度発達障害の子は私(ADHDの可能性がありと診断された)が小さい時と、本当によく似ているのです

場の雰囲気を読むこと にも書きましたが、私は会話のキャッチボールが苦手な子どもでした。

幼稚園に上がった時は、同級生に何を話しかけていいのかわからなかったのです。

遊び方がわかりませんでした。

小学生の時は、忘れ物がクラスで一番多く、友達ができにくい子どもでした。

小3の時の担任が、私が遊び方を知らなくて友達ができにくい子だというのを心配して「おりおんと遊ぶように」とクラスメートに声かけていました。

それから、クラスの女の子達が、一緒に遊んでくれるようになりました。クラスの男子からはいじめられてましたが(苦笑)。

友達が欲しいと思うようになった一方で、小学生の時は好奇心旺盛な子どもでした。

図書室に置いてあった伝記、世界の児童文学、そして祖父母から買ってもらった図鑑を夢中に読んでいました。

図鑑の中でも今でも記憶しているのが「地球」の図鑑です。私に興味は、地球のつくりよりも地理的なもの(太平洋に深い海溝が多く、大西洋の海底はなだらかである、北極と南極の一年間の日照時間など)や、航海の歴史などについてでした。

特に航海の歴史は面白かったです。
バスコ・ダ・ガマの名前を覚えたのも、コロンブスが大西洋を横断した時に乗っていた船が「サンタ・マリア号」であったこと、マゼランが世界一周の途中でフィリピンの原住民に殺されたことを知ったのは小学生の時でした。

勉強ができたのは、本や図鑑の影響が大きかったと思います。

しかし、

体育だけはどうしても苦手でした


親が人並みに体育ができるようにと、逆上がりができるまで練習させられたり、毎朝、家の周りを5周走る練習をして、私としては努力していたつもりでしたが。
通信簿の体育の欄には、いつも「あひる」が泳いでいました(笑)。
体育だけは、努力しても限界がありました。

体育が苦手だったので、クラスの男子からは「鈍足っ!」と言葉のいじめに遭いましたが(苦笑)、小学校の時は女の子からはひどいいじめを受けていなかったことでした。この点は軽度発達障害の子と違うと思います。

小学校高学年になると、少しでしゃばっている女の子をクラスで仲間外れにする行為が何回かありました。でも、私が仲間はずれにされたことだけは、不思議となかったのです。この点も軽度発達障害の子と違うと思います。

私と親しく話しかけてくれた子は、クラスで仲間はずれにされている女の子でした。

(何でささいなことで○○ちゃんを仲間はずれにしたがるんだろう)と疑問に思っていました。

そして、一学年一クラスしかない小さな小学校から、6クラスある中学へ上がります。

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