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言うまでもないことだが嘗ては野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』が有名。『The Catcher in the Rye』が何で「つかまえて」になるのかなんとも解せない感覚とメルヘンのようなニュアンスを醸し出すタイトルに違和感を覚えていた。そういう意味では本作『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の方がしっくり来る。

野崎訳を読んでも同じなのだがどうしてこの作品がアメリカの青春時代のバイブル的な扱いを受けているのかよく判らない。日本語に訳すと消えてしまうニュアンスやキリスト教の世界観が分からないと理解できない何かが有るのかなとも思うが原文を読んでも実は同じ感想だった。村上春樹の訳で何か違うものが得られるのかなと期待するも結局大きな違いを感じられないままであるというのが正直な感想。

主人公のホールデン・コールフィールドがペンシー・プレップスクールを退学処分になり、寮を飛び出し実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の出来事を一人称で綴る物語。

権威や制度や既成の倫理観や宗教観や流行や上っ面だけの欺瞞やそういった物諸々が我慢できず体制になじむことができない若者を描いている。

ただ僕から見ると何に対しても不満ばかり感じてさりとて何をするわけでもない、いわゆるルーザー(敗者)の遠吠えにしか聞こえない。1945年発表の短篇『気ちがいのぼく』(I'm Crazy)を敷衍していることからも察することができるが主人公は精神的にも壊れた若者であることが随所に出てくる。事実とは異なると思われる誇張表現や支離滅裂な言動、つまらないことに興奮して大声で喋る・・・等々。

自分だったら青春時代にこういう若者に決してあこがれなかっただろうなと思う。むしろこんな風にはなりたくないなと思うかもしれないくらいだ。そういう意味で僕は体制側の人間なのか?そうじゃない。でも同じ反体制だとしても、これじゃただの変わり者としてしか機能しないよ。体制や制度が変わったとしても何かしそうにはとても思えない。そういう怠惰で文句ばっか言っている自分を擁護する手段としてアメリカの若者はこの作品を支持したのか?若者達は永遠にモラトリアムを欲していたのか?

作品の終盤にでてくる二つの場面。一つは妹のフィービーが主人公に「けっきょく、世の中のなんでもかんでもが気に入らないのよ」と言うところ。もう一つはミスタ・アントリーニが主人公に「君はほんとに、どこまでも変わった子どもだね」と言うところ。僕にとってはこの二つの場面が彼に抱いた印象そのもの。彼から見た世界観は、何の努力もしないで不満ばっかり言っている少年を見る周りの人々の世界観とは永遠に交わることはないだろう。
お土産でもらった三九ラーメンのインスタント版、その名も「三九ラーメン道」。

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取材を拒み続けた幻の名店とか。

ということで早速指示通りに作って見た。

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なかなか旨そうでしょ。麺は博多とんこつラーメンの定番、細麺。茹で加減が良かったのか柔らか過ぎずコシのある歯ごたえ。

スープはコクがあり旨みがが良く出ていてほんのりと甘く柔らか。濃いが臭みはない。

インスタントとはいえ本格的な味が楽しめた。

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