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サブプライム問題、リーマンショック・・・ 他にもいろんな呼び方をされている2007年後半から世界を100年に一度のどん底に陥れた一連の金融危機がどのようにして始まり拡大し爆発し大きな傷跡を残したのかを鋭く抉った名著であると思う。

当時アメリカで(特にニューヨークで)金融関係の仕事をしていた者ならば2007年半ばから金融市場が妙に変な動きをしていたことは知っているはず。そしてその頃から起きていた一連の事象がどういう理由で起きていたのか、この本を読むと良く解る。当然そこに居なかった人にはこの臨場感は解らないと思うしだからこそそれほど面白い本だと感じられないかもしれないが・・・。

この本と同時期に読んだ本に手嶋龍一のウルトラダラーというのがある。別にこの2冊にストーリー的に何かつながりがある訳ではないが、2冊を読みながら同じことを感じた部分があった。

「常識に反したことが起きているとしたら必ず何か理由がある。周辺の事象を丁寧に解きほぐせばその理由が何なのかを見つけることが出来る。」ということである。

もちろん常識というもの自体が客観的な事柄であり、世の中の変化に応じて常に変化するし、唱える人の感性やセンスにそのな精度が大きく依存するので、常識を常にアップ・トゥ・デートにしておくこと自体が相当難易度の高い作業なのだが。

そして変な事が起きている時に皆がそれをやっているから自分もやるのか、やはりそこで変なことの理由を見つけ適切に対処するのか、これが大きな分かれ目なのだろう。エンロンもそうだったし今回の金融危機も然り。

そういえばエンロンが破綻する前には「エンロンのビジネスモデルを理解できない奴はバカだ!」なんてことが平気で声高に叫ばれていた。マンハッタンの投資銀行で働いている奴らはほとんどそういうやつらだった。今回(性質は異なるがある意味では)同じような失敗を(もっと大きな規模で)繰り返したというのは、結局彼らはそこから原理原則や一般論を何も学習しなかったということかも。

ところで、金融の大きな発明を幾つか挙げれば、1.レバレッジの概念、2.指数、3.分解と合成(デリバティブズ)、4.差額決済などがあるが、この何れもが偉大な発明だと思う。

今回の金融危機はこれらが複雑に組み合わされそして途方もなく大規模に使われてしまったということ。もう現物の世界なんかどこかにすっ飛んでしまった。

単純で当たり前のことだが、どんなに素晴らしいものでもその使用量を間違ったり使用方法を間違ったりすれば毒にでも破壊兵器にでもなってしまうということである。

このことを我々はついつい忘れがちだ。

そう言えば、カリフォルニアで働いているとき、同じ部署の無茶苦茶太ったおばちゃんが嘆いていた、「ダイエットコークしか飲んでないのに何故か太っちゃうのよ!」って。そのおばちゃんはたぶんダイエットコークを1日少なくとも3リットルは飲んでたはずだ。1リットルのペットボトルがごろごろ転がっていた記憶がある。いくらカロリーゼロでもそりゃ3リットルも飲んだら別の意味で太るだろうさ。やはり使用量や使用方法は間違えてはいけないのだ。

そしてその使用量や使用方法を制御するものは人間性であり常識なのではないだろうか。
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知り合いの社長さんから年末頂いた本2冊のうちの1冊。太宰治の中期の作品を集めた短編集である。

最近は映画などの話題もあり、太宰ブームだとか。初めて読むわけではないが、印象に残ったのは黄金風景、畜犬談、きりぎりす、風の便り、水仙などの作品。

畜犬談は主人公がいかに自分は犬嫌いかということを滔々と独白調に語るのだが、文章のあちこちに主人公の犬好きが現れていて「オメ〜、ホントは犬好きじゃね〜かよ!」と思わず言いたくなるユーモアたっぷりの笑える作品。好きなものを素直に好きといえない著者の天邪鬼でシャイな性格が現れている。

太宰は対極的な価値観、例えば倫理と欲望、秩序と破壊、協調と孤高、愛と憎しみ、富裕と貧乏などなどこういったものの間を行ったり来たりしながら一方に行き着くと他方が自分にとって正しいことのように思えてまた反対方向に自分を導き行ったらいったで元居た所が本来あるべき姿に見えてまたそっちを目指すと言うような自分を探しを続けながら終わりのない旅に疲れてしまってこの世を去った作家だったと思うのだが、この短編集では彼のそんな性格がはっきりと確認できるように思う。

また、今までに自分がしてきたことに対する贖罪を求める気持ちが強いのも彼の特徴だと思うのだが黄金風景や水仙にはそれもよく現れているように思う。

分別付かずに激情に駆られたり、何の気なしにしたことが後になって妙に心に重く罪悪感として圧し掛かってくるというのは誰にもあることであろうが自分のあるべき姿をまじめに考える人ほどそこから逃れたい、そういう自分を抹殺したい、救われたい、癒されたいという気持ちが強いんだろうなと思う。

僕もそういう系統の人間だと思うが、太宰治という作家はそういう気持ちが極端に強い人だったんだろうな。
久しぶりの書評である。

本を読んでいないわけではないが面白いとか為になると思える本に最近出会わなかっただけである。

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オハイオの片田舎、雪の中に墜落した飛行機の中に残された480万ドル(100円換算で4億8千万円)。

一緒にお金を発見したのは主人公のハンクと兄とその友人の3人。

ほとぼりが冷めた後に山分けするだけの簡単な計画(シンプル・プラン)。

そして雪が降り彼らが飛行機に近づいた痕跡さえも消され計画は完璧に完結すると思われたが・・・

お金の秘密を守るろうとハンクの人生はどんどん狂っていくのだ。

ハンクの犯す犯罪はハンクとその妻しか知ることなくある意味完全犯罪なのだが肝心のシンプル・プランは大失敗に終わる。彼らは残りの人生をある意味抜け殻として生きていかなければならないのだ。

ストーリー・テラーの第一人者ともいえるスティーブン・キング絶賛のこの物語、最初は淡々と話が進んでいきなんとなく停滞感もあるのだが読み進んでいくうちに物語に引き込まれてしまいあっという間に終章を迎える。これがデビュー作とは思えない緻密なプロット、随所に仕掛けられた伏線。

願わくば最初からこれを原書で読んでいれば韻の踏み方とか言葉使いとかもっとその凄さに触れられたかも・・・

単なる犯罪小説として何にも考えずに読んでも引き込まれるが、ここに流れている主題は人間というものを考えさせられ深い。

「人間は斯くも静かに狂い始める」

我々は自分の境遇をいろいろな理屈を並べて正当化し無理やり満足している。

平凡な人生、手に入らないと諦めた夢、大志。刺激のない、愛の感じられない、不自由な結婚生活、自分の能力を認めてくれない会社、学校、友人関係・・・・

だがささやかな夢やちょっとしたうれしい出来事で満足を感じる人生。

本当はそうなりたい自分を無理やり押さえ込んでうらやましい境遇に法律や倫理を持ち出してあれこれ難癖付け自分は幸せなんだと自分で思い込んでいる。人によってはその状況に慣れきって自分で自分を無理やり納得させていることすら忘れてしまっている。

そして大半の人はその状況が大きく変わることなく人生を終えるのだろう。

でも、目の前に自由に使えるお金があるとしたら、愛を分かち合ってくれる新たなパートナーが現れたら・・・・たぶん人は静かにそして急速に狂っていくのだと思う。

そしてそれが人間の人間たる所以なのではないだろうか。

このシンプル・プランは犯罪小説であるとともに人が諦めていた夢をかなえられると知った瞬間からどういう風に狂って行くのかを迫力ある素晴らしい筆致で描いた人間小説でもある。
久々の読書感想だ。

本を読んでいなかったわけではないがワイン資格試験の受験勉強のために読書量が減っていることは間違いない。

その分ワインについては過去20数年に亘る実戦(飲み会)で得た知識プラスαを体系的に自分の中で整理できているのだが。

でもやはり読書というものは途切れるとなんとなく心地悪いものである。

と、前置きはさておき、今回は今野敏の『隠蔽捜査』

テレビドラマ、『ハンチョウ』の原作者。

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主人公、竜崎伸也は警察庁長官官房の総務課課長。朴念仁で人からは変人と呼ばれている。世の中を巧く泳いでいけそうもないナイーブな(このナイーブというのは日本では傷つき易い繊細な性格を意味するが英語では世間知らずで初心なという意味。ここでは後者の意味で使っているので念のため)男。しかし警察官僚ではエリートとして総務課長のポストにある。

警察組織を根底から揺るがすようなある事件が起こる。そして主人公はこの事件から警察組織を守るために、一方で別の論理で警察組織を守ろうとする同じようなエリート官僚と真っ向からぶつかり・・・

あとは読んでのお楽しみであるが、冒頭で語られる偏屈で官僚チックな匂いをぷんぷんさせている男が、実は一途でひたむきで真摯であることが判り最後は爽快な気分になるに違いない。信念を貫き通す男の生き様、自分が損しても正しいと思ったことを遣り通す・・・これをハードボイルドと言わずして何であろう。

この男を支えている(掌の上で転がしているともいう)奥さんの冴子さんも面白い存在。僕から言わせると変人バーサス変人。そして二人とも正しい道徳観の持ち主である。絶妙のコンビといえる。

ここ数年「コンプライアンス」ということが法令順守とかの絡みでいろんな機会に取りざたされるが、このコンプライアンスの研修で必ず出てくる状況設定に「誰も見てない、誰も知らない不祥事が部下から報告された。部長のあなたならこの不祥事をどう処理するか?」というのがある。

こういう研修でも、官僚チックで頭のいい連中は、いろんなあの手この手、裏技、社内ポリティクスを駆使して不祥事をばれることなく葬り去るような案で回答してきて「どうだ、俺はすごいだろう」的な自信満々な態度なのだが、上記の問いに対しては「正攻法で処理する。すなわち社内の正式なルートで報告を上げ、社外に報告すべきものはきちんと報告する。絶対にもみ消しはしない。うそもつかない。偽装もしない」というのが正答である。

結局一時的に隠せても、体質が変わらない以上いつかは同じような事案が再発するし、後でわかったときには修復不可能なダメージをこうむるのである。

この主人公の行動原理はまさしくコンプラ対応の基本と同じである。

僕のモットーは(いつも守れているかどうかははなはだ疑問ではあるが−だからモットーとして掲げているのだ!)「奢らず卑屈にならず焦らずしかしスピード感は大切に真正面から正攻法で誠意を持って物事に取り組む」という文章にすると長ったらしくてセンスのないものであるが、いままでこういう考え方で損はしたことあるかもしれないが自己満足度は高い。後味の悪さはあまりないのである。

今回この本を読んで自分の生き方もまんざらではないなと改めて思った次第。

ところで、この本は知り合いの社長さんが最近、前触れなく郵送してきてくれたものである。

さてさて僕に何を伝えたかったのだろうか?

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言うまでもないことだが嘗ては野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』が有名。『The Catcher in the Rye』が何で「つかまえて」になるのかなんとも解せない感覚とメルヘンのようなニュアンスを醸し出すタイトルに違和感を覚えていた。そういう意味では本作『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の方がしっくり来る。

野崎訳を読んでも同じなのだがどうしてこの作品がアメリカの青春時代のバイブル的な扱いを受けているのかよく判らない。日本語に訳すと消えてしまうニュアンスやキリスト教の世界観が分からないと理解できない何かが有るのかなとも思うが原文を読んでも実は同じ感想だった。村上春樹の訳で何か違うものが得られるのかなと期待するも結局大きな違いを感じられないままであるというのが正直な感想。

主人公のホールデン・コールフィールドがペンシー・プレップスクールを退学処分になり、寮を飛び出し実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の出来事を一人称で綴る物語。

権威や制度や既成の倫理観や宗教観や流行や上っ面だけの欺瞞やそういった物諸々が我慢できず体制になじむことができない若者を描いている。

ただ僕から見ると何に対しても不満ばかり感じてさりとて何をするわけでもない、いわゆるルーザー(敗者)の遠吠えにしか聞こえない。1945年発表の短篇『気ちがいのぼく』(I'm Crazy)を敷衍していることからも察することができるが主人公は精神的にも壊れた若者であることが随所に出てくる。事実とは異なると思われる誇張表現や支離滅裂な言動、つまらないことに興奮して大声で喋る・・・等々。

自分だったら青春時代にこういう若者に決してあこがれなかっただろうなと思う。むしろこんな風にはなりたくないなと思うかもしれないくらいだ。そういう意味で僕は体制側の人間なのか?そうじゃない。でも同じ反体制だとしても、これじゃただの変わり者としてしか機能しないよ。体制や制度が変わったとしても何かしそうにはとても思えない。そういう怠惰で文句ばっか言っている自分を擁護する手段としてアメリカの若者はこの作品を支持したのか?若者達は永遠にモラトリアムを欲していたのか?

作品の終盤にでてくる二つの場面。一つは妹のフィービーが主人公に「けっきょく、世の中のなんでもかんでもが気に入らないのよ」と言うところ。もう一つはミスタ・アントリーニが主人公に「君はほんとに、どこまでも変わった子どもだね」と言うところ。僕にとってはこの二つの場面が彼に抱いた印象そのもの。彼から見た世界観は、何の努力もしないで不満ばっかり言っている少年を見る周りの人々の世界観とは永遠に交わることはないだろう。

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