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昨日8月20日は高校野球の決勝戦の日。土曜日だったので、家のテレビでちょっと見ることができました。
私の母校が一度だけ甲子園に出場したことがあって、その時アルプス席で応援したんですよ。 甲子園球場は緑が美しく、優しい風が吹いていると感じました。(母校は目の前で負けましたけれども) 大会会長の秋山耿太郎氏。意外かも知れないけれど名文家なんですよ…って言い方ヘンかな。
トップの人は名文家であることは別に求められていないじゃないですか。でもトップの人が語る言葉が美しかったら、嬉しいですよね。 何年も前のこと。私は一読者として新聞社宛に手紙書いたのです。
今は私はふつうの企業のOLなんですけれど、その前は官庁で働いていて記者クラブの窓口業務していたんです。
役所の人間としては記者に「こういう記事を書いてほしい」って要望は言えないんですが、私は役所の人間であると同時に、ふつうのOLの友達がいるふつうの一女性でもあったんですよね。
そして普通の女としての目で記者の人達の仕事の仕方を見ていたら、どうも市民に本当に有益となる紙面作りはしていない。先輩記者から後輩記者へと受け継がれてきた”記事の定義”というものは記者の勝手な価値観によるもので、市民の感覚とは別もの。― そう思いながらも黙っていたんですが、役所を離れた直後にその思いを手紙に書いた。 「読者のことなんか考えずに記者は特ダネさえ取ってきたらいいという時代は確かにありました。」 当時朝日新聞東京編集局長だった秋山耿太郎さんが、紙面で私の言葉にお返事された。私の言葉をすんなり認めておられたんですよ。ビックリしました。 あとに続く秋山さんの話を読みながら感動していました。
そして語る言葉がシンプルで率直で、そして美しかった。 「この人の文章はなんてきれいなんだろう。」って、私は新聞を手に、ぼぉっと見とれていた。 家に帰ってから耿太郎氏の「耿」の字を辞書で調べました。『志の堅いこと、固く節義を守ること』とありました。
そののち、読者からモニターを募って紙面に意見してもらうしくみを作ったり、紙面審議会を充実させたり、新聞社の様々な改革を精力的に行ってこられた。
2005年6月に朝日新聞社社長になられた時は、「ああ、やはり。」と思うと同時に、「私から随分遠い所へ行ってしまわれたんだな。」と淋しい気持も感じました。
壊したくない繋がりで、大切だったから。 でも、このブログに今こうして書いているのは、自分の中で一つの区切りをつけたいと思ったので。 ブログのアドレスは友人・知人にも教えているのですが、自分の引きずっていた気持に決別するためにはっきり語りたい。 私は役所で働いたけれど、父も公務員だった。 官舎生活で幼い頃から公務員の方々にお世話になり温かく包んでもらっていた。義理や恩があった。
でも、公務員の問題について避けて通ることは私はできない。 経産省にいながらにして、官僚のあり方を正面から批判している古賀茂明氏を応援したい。 古賀氏は増税に批判的ですが、私も反対です。 巨額の税金を投入して天下り先を設けたり、生産性のないこと、必要性のないことに無駄に税金を湯水のように使って、赤字財政になれば国民から徴収すればいいなんて、そんなこと私は許せないです。 「優秀な人材を登用するためにも天下り先が必要」だなんて説明は支離滅裂だと思います。 こんな赤字財政を生み出してきてどこが優秀なんですか。。。って、パソコンの調子がよくなって、 私の体調もよくなってパワーが沸いたら、そういうこともブログで書いていきたい。 家から遠くない場所に豊中グラウンド跡地があります。全国高校野球発祥の地です。
大正4年に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで開催されました。 愛犬コロが生きていた時、ここまで連れてきたことがありました。しっぽ振り振り嬉しそうに歩いてましたね。 レリーフは当時の朝日新聞村山龍平社長の始球式姿です。
この写真は昨日、テレビで高校野球の閉会式を見終えて午後に外出した時近くを通ったので、カメラに納めました。昼から大阪は雨だったんですよね。野球開催中に降らなくてよかったです。 天の配慮?
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2011年08月21日
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