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11月20日 川本喜八郎先生を偲ぶ会が東京都内で開催されました。
正式名称は『川本喜八郎さんを偲ぶ会』ですが、私はとても「さん」ではお呼びできません。
呼びかけ人の中には、テレビ放送創世期から仕事場で川本先生と過ごして来られた、黒柳徹子さんのお名前もありました。 https://art.blogmura.com/artist/ にほんブログ村 川本喜八郎先生を偲ぶ会の会場、ベルサール原宿です。
入ってすぐ先生の祭壇がありました。思わず私は先生の愛する子供達…と胸の中で呟きました。
先生のお写真を取り囲むように、向かって左にHNK人形劇『三国志』、右に『平家物語』の人形達。 諸葛孔明の人形が先生の傍らに寄り添っているのが微笑ましいです。
奇しくも先生が亡くなられた8月23日は諸葛孔明の命日。このあと黒柳徹子さんが舞台でそう語っておられました。 会場に入ると川本先生が笑ってそこにおられた・・・と思いました。
先生。色々と御免なさい。私今迄、日本を代表する人形美術家・川本喜八郎先生の先生の写真は1枚も撮ってなくて、諸葛孔明さんの人形の写真ばかり夢中で撮ってましたよね。先生は傍らでにこにこされてた。今日は先生と諸葛孔明の写真を一緒にフレームに納めましたからね〜〜と様々に思いを巡らせながら私は涙ぐんでいました。 手前の黒くて丸い影は列席者の方の頭です。場内は「フラッシュなしなら撮影しても構いませんよ。」とのことで、私は着席でそっとカメラを向けました。
黒柳さんも「お母様おきれいな方ですね。」
男前!!
人形を制作されたのが川本喜八郎先生。
翌、昭和29年に黒柳さんと川本先生はお顔を会わせられたとのことです。
NHK「おかあさんといっしょ」の人形劇「ブー・フー・ウー」。人形制作は川本先生。ウーの声で出演したのは黒柳さん。 広島で開催された芸術祭に川本先生も黒柳さんも出席された時のお写真。
日本のテレビ放映が始まった頃からお二人共それぞれ第一線を歩いて来られたんですね。
ファンの方々から声を掛けられておられます。お隣に座っておられたのはジェームス三木さん。 「フラッシュ焚いてくださっていいのよ。」と黒柳さん。
「いいですか。」と声弾ませる私にニッコリ。 私が物心ついた頃からブラウン管で活躍されてた黒柳さん。 私は中学時代、親友のミキちゃんと「黒柳さんって頭の回転が速くていつまでもいつまでもお話が続いてスゴイ。 チャーミングな魅力で、周囲の殿方の熱い視線を惹き続けてこられたんだろうな〜〜ってことをご本人を目の前にして思いました。
(2011年6月10日 東京日本青年会館で川本喜八郎先生追悼公演が開催されます。)
登場の人形達は川本先生が中国の劇団で作成されました。
会場では「三顧の礼」のシーンなどを上演。先生が、ほほ笑んでその様子をご覧になってる…客席で私は本当に本当に、そう感じました。
上演後人形一同ご挨拶。そして観客席の間の通り、公演地へ向かうために会場をあとにします。
第二部で川本先生最後のアニメーション作品『死者の書』上映。観客は身じろぎもせず見入ってました。
「美しい国日本。日本の情感。日本の心 。」鑑賞しながらそんな言葉が、私の胸中で響いていました。 黒柳徹子さんも声の出演をされるこの作品では、宮沢りえさんが聡明で清らかな乙女を、可憐さをもって神秘的に演じておられます。乙女が蓮から紡いだ糸。― 先生、私も蓮の糸で言葉の布を織ってゆきたいなと、心の中で話しかけている。 「死者の書」は今後も各地で川本喜八郎先生追悼の上映会が開催されます。 私はメイキングオブ「死者の書」の特典もついているDVDの方、近くの書店やレコード店で注文できるとのことなので、ブログ書き終えたら書店に走ろうと思っています。 「死者の書」制作日記にも登場する方々が、今回の『偲ぶ会』でも「川本先生が喜ばれる様な気がして…」と明るく会場を盛り上げておられました。
会終了後、先生の仕事関係のお仲間など、ご友人達が先生の人形を熱心に撮影されてました。 出席者に配られた記念の品。「ありがとう川本喜八郎さん」とある冊子は、ご友人達が先生との温かな交流を綴った素晴らしいもの。
海外の方々も熱く賛辞の言葉を語っておられます。国際アニメーション映画祭などで出逢った各国の芸術家の方々を川本先生は日本に招待し、自費で箱根や京都などに案内しておられたのです。 茶目っけたっぷりな川本先生が、外国の友達に日本の慣習の体験をしてもらおうと「床で寝るような”典型的な”ホテル”」(旅館のことですか〜?)で、「日本人がマットレスと見なす薄い1枚」の上で寝付けない自分を楽しそうに見てたこと、浴場で「真っ赤なロブスターになって死ぬかと思った(ベルギーのアニメーション監督ラウルさん)」など、楽しいエピソードを語りながら、川本先生が海外の芸術家の方々に「日本をもっと好きになってもらいたくて」真心込めてもてなしておられたこと等々、敬愛の心で伝えておられます。 中国・韓国・チェコ・フランス・ロシア・・・様々な国の芸術家の方々が先生との深い友情を感動の眼差しで熱く語っておられる。 芸術の才能は、神様が世の人々を喜ばせるために授けた贈り物。
だから芸術家は魂で響き合い、文化は国境を軽々越える 。 冊子を読みながら私はそんなことを思っていました。 長野県飯田市にある川本喜八郎人形美術館 川本喜八郎人形美術館の案内
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/index.html 人形美術館からの川本先生「偲ぶ会」のお知らせ
川本先生が名誉会長をされていた日本アニメーション教会の、「偲ぶ」HP
病床で川本先生は姪のひろ子さんに「好きなことを仕事に出来た。幸せな人生だった」と語っておられたとのこと。
先生が素晴らしい人生をまっとうされたことを、私はものすごく嬉しく思います。 2010年11月27日 追記
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NHK人形劇『三国志』
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Yahooブログをグルメ主体にしようと決めてスタートしました。
昨日は、そういう自分の思惑も何もかも吹っ飛ぶ出来事がありました。
その前に先週末高校時代の同級生ノンから届いていたメールのことを書かねばなりません。
現在東京住まいの彼女は、世界的な人形アニメーション作家・川本喜八郎先生のアニメーションを見に行くと、私の携帯に連絡していたのです。
そして、随分前にテレビ放映されていた「NHK人形劇・三国志」の熱烈ファンだった私のために、川本喜八郎先生が手がけた三国志の人形の絵葉書を送るとありました。
その絵葉書が一昨日届いて、私は青春時代の煌めく日々のことを思い出していました。
実は現在母が重い病で入院し、父の方は脳梗塞を患って歩く姿もおぼつかなく、両親の看護・介護と会社勤めで日々疲れていたのです。
ノンからの便りはそんな私を励まし、力づけてくれるものでした。
今日も会社帰りに母が入院している病院に寄り、そして自宅に戻った私を、再び待っていた便りがありました。
2010年11月20日に東京・原宿で行われる川本喜八郎先生を偲ぶ会の、案内状でした。
青春時代、私は東京で開催されていた、「三国志人形展」を見るために、旅行鞄ひとつ持って一人で大阪から東京へ駆けつけたりしていました。
そこで、多くの三国志ファンの人達との出逢いがあり、仲良しになった人と川本先生のアトリエを訪れ、私の大好きな諸葛孔明の人形を目の前に見せて頂いたりしました。
あの年から、・・・・ 今年の1月も。毎年川本喜八郎先生から年賀状が私の家に届いていました。
今年8月23日に先生が亡くなられたことを新聞記事で知った時、来年からはもう届かないのだと、音や色のなくなった世界の中で私はぼんやり思っていました。
昨日、病院から帰宅して「偲ぶ会」の案内状を手にしながら私は瞬間、ああ今の私は東京まで飛んでいくことはムリだな。欠席の返事をしなければと思いました。
でも帰宅直前に、車内からノンに返信していた「青春時代のイキイキしていた頃のことを甦らせてくれてありがとう。」の、私の文章が自分の中でこだましました。
ムリしてでも、行きたいな。私の人生にしっかりと刻まれた熱中時代。大切な思い出。煌めく日々。
私の青春を素晴らしく彩ってくださった川本喜八郎先生に感謝し、”再会”するために、11月20日、土曜日。ナントカ東京へ駆けつけることを考えています。
関連ブログ(NHK人形劇三国志のファン‥)
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