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徳川初期の神道家で、為証庵と号し橘神道を唱道した橘三喜が延宝三年(一六七五)から二十三年の歳月をかけて、全国の一宮を参拝した記録を残しています。『諸国一宮巡詣記』です。 この中に、肥後の國から日向の國一の宮(都農町:都農神社)への途中に、―― 別当福泉院へ泊まる ―― と、高千穂町へ泊まったという内容が記されています。 別当福泉院とは、「幻の琵琶法師の寺」と称されていた八幡山無量寿院鶏足寺のことであります。高千穂町下野八幡神社の別当寺で現在は廃寺となっておりますが、寺跡が八幡神社脇に残ります。 (下野八幡神社) (八幡山無量寿院鶏足寺跡) 幻の琵琶法師の寺について、不定期ではありますが、これから少しずつお話をしてゆきたいとおもいます。まずは、「寛政五癸丑年『鶏足寺所謂霊験扣帳』師走 福泉坊」を読み進んでまいります。 抑当之所謂は宝治年中(一二四七〜一二四九)に御宮寺建立 御賢主乃御祈願處と定境内等迄相極て 以後数百年之有りて後天正年中野火乃為に 宮寺ことごとく焼失す其の砌御神木 奉勧修處乃松凡三百年に及べり老木ニ 相成りし故祝子中申合寛政元(一七八九)己酉二月 吉日を選び御ミやより東乃方なる杉木ニ 申し替置候処同五年(一七九三)癸丑十二月五日大風吹 右之松今落木令畢不思議なる哉彼の松 御宮の真後ニ御座候へども御神殿に不障 神楽殿に落掛り彼かくらでんことごとく破損ス かくら殿には牛王毘沙門乃御社之有り 柱ことごとく折れ或はたをれふすと云へ共 彼尊躰のまします處ハ柱よふやく ―― つづく ―― 「寛政五癸丑年『鶏足寺所謂霊験扣帳』師走 福泉坊」の文書は、鶏足寺にゆかりのある方が原本のコピーを個人所有しておられたものを、許可をいただいてここに載せております。
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