梨木平の桜

19年の時をいつも一緒に過ごしたリティがいないことにまだ慣れることができない

古文書。。。

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 天保9年(江戸1838)のことです。日向国飫肥領瓜(折)生迫港で、海賊に拐かされた(誘拐された)6歳から19歳までの子供7人と、22歳と26歳の大人2人の9人が競にかけられ、8歳の女の子は地元の庄屋が買い取り、残り8人はそのまま海賊に連れ去られてしまうことになりました。
 この8人中の26歳の「よし」と12歳の「はつ」の2人が逃亡し、日向の人々に助けられながら国元へ帰った。といいます。
 この二人を助けた高千穂岩戸村の庄屋と人々、娘たちの過酷な旅を記した古文書です。
 この事件の時代背景として「天保の大飢饉」がありました。これは日本全国規模の広がりを持った惨事でした。奥羽地方が最も甚だしく、死者10万人に及びました。海賊達が植えた子供たちを拐かすには都合の良い時代であったのでしょう。


 以下、高千穂町史より引用。。。
 ―― 送り状は岩戸村の庄屋土持霊太郎が記述したもので、娘二人はこの送り状を懐深く秘めて、よしは生国伊予国(愛媛)はんぎう村へ、はつは安芸国(広島)へ帰っていった。この事件の顛末は生国へ帰り着いたよしが、地元の庄屋へ伝えたもので庄屋が「覚」として、岩戸村庄屋へ礼状を出したことから判明したものである。
 娘二人が拐かされて逃亡し、岩戸村へたどり着き手厚く庇護された上、往来手形としての送り状を手にするまでの事件の発端から、娘二人の生国までの安否を気遣う庄屋の心情が伝わってくる送り状である。 ――

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 文書読解文です。(たぶんこのような読みで良いと思います。)


 一 送り状の事
                水野分五郎娘
 伊予国小松御領はんぎう村         よし
  北ノ町由五郎娘
 安芸国宮嶋浜辺             はつ

 右のもの共去る戌(天保九年・一八三八)十二月、図らずも賊船に奪われ海上に数日を送り候処、同十二月廿日日向国飫肥御領瓜(折)生迫と申す所に着岸致し、上陸致させ飫肥御城下へ連れ越し候途中より迯(逃)げ出し、同所近辺所々遁れ隠れ漸く当正月五日、当村(岩戸)の内野方ノ(野)門役場へ参り掛け一宿致させ候処、一銭の貯えもこれ無く其の上女の身、途中にても甚だ難渋の事のみ多く、本国迄数十里の間海陸無事に帰国の程覚束無く(おぼつかなく)、国々御役人様方御慈悲を以て恙無く(つつがなく)帰国致し度く、御取斗(はから)い下され候様歎き出で、不便(ふびん)の至りに付き送り状相添え申し候
 国々宿々御難題ながら御慈悲の思し召しを以て、本国へ御送り届け下され候様仕り度く御座候 尤、路用一銭の貯えもこれ無く候間、行き暮れ候節は土宿等の儀宜敷く取斗い下され度く、御頼み申し候猶、委細当人共口上にて申し置くべく候条、送り状相添え申す所此くの如くに御御座候 以上
 (天保十年・一八三九)              
亥 正月十日   日向国延岡領
         高千穂岩戸村大庄屋
                土持霊太郎 印

 下野 上野 田原 川内 五ケ所 鶴町 小川 次倉 玉来 竹田御城下 堤小無田 今市 野津原 萩原 乙津 鶴崎 高田 佐賀関 伊予国 八幡浜 大洲御城下 新谷御城下 黒内坊 内の子 中山 郡中 宮ノ下 矢倉 森松 川上 桜越 くるミ 大登 小松御城下 西条御城下 はんぎう村迄
      右 国々宿々御役人様中
 猶々、右宮嶋北ノ町由五郎娘はつ事幼年に付き、別々に相送り候義、途中覚束無き事に付き一同(一緒)にはんぎう村へ相送り候間、同所御役人様より宮嶋へ恙無く帰宅致し候様、御取り斗い下さるべく候 以上
 右 正月十二日五所村へ罷り越し泊り(娘二人)、十三日肥後鶴町へ送り遣わし候、其の砌、右よし咄(話)左の通り
 飫肥船百石積み位、船頭伊助(四十才斗)、舟子弐人、乗組船頭共に拾弐人
伊予国小松領はんげう村 よし  廿六才
安芸 宮嶋       常吉  廿弐才 愚人の由
同所       由―― 十二才
同所       友吉  十五才
同所       たけ  十九
同所       はつ  十四才
   同国福しま       なか  八才(折)瓜生迫庄屋に売れ申し候
同国 草津       なを  六才
国不知長門 柳井    茂吉  十五才
 〆九人奪い取られ候由、申し聞け候


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 この中にある飫肥領とは、現在の鹿児島県境に近い南日向(みなみひむか)といわれた地域にあります。当時、拐かされて逃げ出した二人が国元へ逃げ帰るには、高千穂を通らなければなりません。陸路五ケ所(祖母嶽のふもと)から大分佐賀関、そして八幡浜へむかい、そこから愛媛や広島へと渡ったのでしょう。
 岩戸と五ケ所の庄屋さん達が二人を助けるために見せた人情に心暖かくなりますが、8才で瓜(折)生迫庄屋に買われた「なか」を含む残りの9人の消息の儚さを思うと、現代にいて、想像もできない出来事を文書として読みながら、自分の中に何かしら重いものが残る感覚を持ってしまいました。。。
 満たされて生きている事を「あたりまえ」と思える日常が、今更ながらに幸せであることを深く感じています。。。
 

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