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応永十五年(一四○八)十一月二十二日、とくます孫太郎、「ます」という女性を売却す。 宮崎県都城市に残存する「樺山文書」にこのような内容のものがあります。。。 島津藩の統制下におかれた北郷内(現在の都城市の一部)の住人であるとくます孫太郎が、二十歳になる「ます」を樺山氏に売り渡した際の証文です。 これにより、「ます」という女性は百姓の身分から下人の身分へと転じたことになります。 (当時の)人身売買は、対象者が死去するとその契約で生じた(買い手の)権利が失効するために、証文を交わすことも少なかったといいます。 そんな中で、現在に残る貴重な文書なのだそうです。 とくます孫太郎ます女売券 仍為用々売渡ます女の事、 合壱人 代米四斛五斗 者、 右 件のます女者生年廿歳ニ罷成候を、 日向国嶋津北郷野水谷安芸守御内、 永代売渡申所実也、 但此女ニ縁者・兄弟・主人と申出来候て、違乱申候ハ、 同北郷とくますとの内の孫太郎其沙汰を明申へく候、 若不沙汰時者、本物早々可令返進上者也、 凡大竊てんかう者、方(法)例ニまかせ候て、 三月九十日を相かゝり申へく候、 仍為後日売券状如件、 応永十五年 戌子 十一月廿一日 日向国嶋津御庄北郷とくます孫太郎 (略押) 要用たるによって売り渡すます女のこと。 合わせて壱人 代米四斛五斗 てへり。 右、件のます女は生年二十歳にまかりなり候を、 日向国嶋津北郷野水谷の安芸守の御内に、 永代売り渡し申すところ実なり。 ただし、この女に縁者・兄弟・主人と申し出て来たり候て、違乱申し候わば、 同じく北郷の「とくます」殿の内の孫太郎、その沙汰を明らめ申すべく候。 もし沙汰せざるときは、本物を早々に返し進上せしむべきものなり。 およそ、大竊・てんごうは、法例にまかせ候て、 三月九十日を相懸かり申すべく候。 よって、後日のため売券の状、件のごとし。 応永十五年 戌子 十一月廿一日 日向国嶋津御庄北郷とくます孫太郎 (略押) この年は室町時代の前期にあたり、鹿苑寺(通称「金閣寺」)を成した足利義満が没し、子の義持が政権を執行するようになった頃です。 九州では、後醍醐天皇の皇子である懐良親王が、肥後国隈府(熊本県菊池市)を拠点に九州における南朝方の全盛期を築いた後を、有力大名の大友氏・大内氏・菊池氏が引き継いで統治していました。。。 「斛(さか)」とは、古代の体積の単位のことで、一斛は十斗(約一八○リットル)です。 ですので、四斛五斗は単純に計算して八一○リットルということになります。 現在の感覚で換算するならば、ますという女性は、お米十キロ入りの袋わずか八一個と引きかえに売り渡されたのです。 当時はごく普通のことだったのでしょうけれど、あまりにも哀しすぎる現実です。 読み下し文を書きながら涙があふれました。 ますという女性は、売られていった先で、嬉しかったことや楽しかったことが何かひとつでもあったのでしょうか。。。
生きていて良かったと思えることが、何かひとつでも・・・ |

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