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思えば、長い月日でした。佐賀のこの地で、母を見送ることができて 私は幸せです。母の初七日を今日済ませました。 母は、七年前から私と共に、戦って来ました。永眠するまでの七年は、 常に母のことを考えて生きてきました。 母との絆は強く、 親子の密接な愛の形を築くことができました。
人の一生を考え、学ぶこともできました。福岡のお寺で生まれた母と、
佐賀のお寺で生まれた私の西方浄土への願いは強く、信仰の毎日でした。 母は、浄土へ旅立つ十日前には、きちんと私にこの世でのお別れを告げま した。その言葉に対して、私は完全に受け入れました。今思うと、めったに ない言葉なのかもしれないと思っております。これもそれも母と私の絆と仏 様のご縁だと思っております。 母の言葉は、今でも私の気持ちを安らかにします。 いろいろお世話になりました。この世から私は旅立ちます。最愛なる娘と して私はこれからあなたを見守ります。また時が来たら、浄土で一緒に家族 として暮らしましょうね。その時は迎えにまいります。 私は、母の言葉を予測しておりました。 この世の全うありがとうございます。お疲れ様でした。みなさまに宜しく お伝えください。また浄土で会いましょう。会いたかった方々に会えますね。 私は大丈夫です。また西方浄土で会いましょう。長い間ありがとうございま した。 母は、永眠する前、三年は、目も見えず、足も立ちませんでしたが、 いつも笑顔を絶やさず、最後の最後まで美しい生き方を私に見せてくれました。 人の生涯は、尊いものですね。最後の最後まで母と私は手を握り、最後 の最後まで愛し合いました。私の腕の中で逝ってくれました。これ以上の幸 福はありません。 息をひきとる前の六日間は、母の側を片時も離れず、ふれ合うことができ たことを阿弥陀如来さまに感謝しております。 不思議なことですが、母が棺に寝ている姿は、私がまるで眠っているよう でした。親子の縁は強いものです。そのすべてが仏の縁で繋がっていること を信じます。十三年前に父が逝きました。仏様のご縁で、父も私の腕の中で 旅立ちました。 両親の最期に、全力で心を尽くせたことは感無量です。悔いの涙はあり ません。 母の笑顔が見えます。 これから母と一緒に、そしてご先祖さまと共に私の残りの人生を、力強く 歩いて行きたいと思っております。 みなさまから励ましを頂きましたことを、 心から感謝しております。 感謝 瑠璃子のメモ お返事が遅れるかもしれませんが、宜しくお願いします。 尚、アップの際にウイッキーがうまく作動せず、行と文字が乱れたことを お詫びします。 転用不可
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健康脳さまへ
お悔やみのお言葉をありがとうございます。
寒さも少しずつ春のやわらかい光に包まれるようです。どうぞお体ご自愛くださいね。感謝★瑠
2011/2/16(水) 午後 9:30
遅くなりましたが、お悔み申し上げます。
いい人生でしたね。
必ずお母様と会えますよ。
2011/2/16(水) 午後 9:59
てっちゃんへ
お悔やみのお言葉をありがとうございます。
母が逝ってから、今日がよなぬかです。不思議な気持ちでおります。母が逝っても、いつも私を励ましてくれていることを実感します。愛というものは、
見えませんが、やはり母を思うとあたたかい愛が残りました。だから、母といつも話すことも可能です。母は安心して逝ったと思っています。
母は逢いたい人の名前を私に言っておりました。
とても私は、その人のことを信頼しており、母がその人と逢うことができたと信じております。
感謝です。良き夜でありますように。瑠
2011/2/16(水) 午後 11:30
重大な変化の時、気づきませんで申し訳ありませんでした。
お母さん、立派な生き様を見せてくれましたね。
ご冥福をお祈りするとともに、長い間のご看病、お疲れさんでした。
2011/3/4(金) 午後 9:35
どきしーさまへ
お悔やみのお言葉をありがとうございます。
本当に佐賀と母の姿は一緒になって私を励ましております。とても思い出深い佐賀です。
どきしーさん、ありがとうございます。
また、どこかでお会いしましょう。^^感謝です。
良き春でありますようにね。瑠
2011/3/5(土) 午前 11:21
Kiyoiの母はある春の夜頭が痛い、といって眠りそのまま旅立ちました。
残された者にはあまりにもショックでした。
しかし母らしかった。禅宗らしかった。
Kiyoiは何故か念仏くさいです。西方浄土に憧れます。
この世のしがらみ、苦しみから全て開放されて穏やかに暮らしたいです。
Kiyoiは亡き後母のところへいけるのでしょうか。
愛犬のフラテ君に会えるのでしょうか。
いずれにしろ、いつかは逝くのです。
飛ぶ鳥あとを濁さずという言葉通りの最後を迎えたいです。
きなこより先に逝くことはできませんね。
来週からまた寒くなるようです。
瑠璃さんもご体調に気をつけ楽しい週末をお過ごしください。
Kiyoiは明日梅を身に出かけます。
2011/3/5(土) 午前 11:33
kiyoiさまへ
こんにちは!!
亡き母とは必ず逢うことができると思います。
これは、伊達や酔狂で言っている訳ではありません。これを説明すると、長くなり、きっと文章ではなく、魂の交信になりますので、ここでは何故逢えるとは書くことができませんね。^^
某すばらしい作家「私の尊敬している」
もう生まれ変わりなどいらないと・・・。この世は、素晴らしい愛もそうではないことも沢山ありますね。逆境で、どう耐え抜くかということだと思います。そこで学ぶと、また愛が見えてくるのだろうと思います。幸福の中に居ると見えないものが、逆境でしみじみ分かるということなのかもしれません。いずれにしても最後までしっかり全うすることが大切なのだろうと心しております。
良き春でありますように祈ります。良き一日をお過ごしくださいね。感謝★ではまた。瑠
2011/3/5(土) 午前 11:40
安らかな旅立ちでしたね。永久に見守り下さるでしょうどうかご安心なさいますように。
妻の父を見送ったときも穏やかな看取りでした。息をひきとる際は私と家内だけがその場に居ました。
帰天という我が信仰する教会的では無く、仏式にお墓に入ろうが構わないと想ってます。未だ実父母も
義理の母も居ますが、弔うであろう日のことは脳裏からはなれません。それで良いのだと想います。
2011/3/8(火) 午前 6:22
シモンさまへ
おはようございます。
安心しております。昨日、49日の法要と納骨を済ませました。しみじみと母の親しい人たちとお話をすることもでき、私の小さい頃からの信頼する和尚さまにお経をあげて頂きました。
シモンさんは、カソリックでしたね。
死は身近にありますね。自分もその身になることを忘れず、精進したいと思っております。
春近しです。光あふれる外の様子が朝の太陽で感じられます。どうぞ良き春をお過ごしくださいませね。感謝★瑠
2011/3/8(火) 午前 9:15
瑠璃子さん、今日は。
私は信心がなくて宗教は全く駄目です。
しかし、人間の限界というものを意識しています。
昔はデジャブをよく経験しましたが、どう考えてもbあれが錯覚だとは思えないのです。
それだけはっきりと、明確に再現されました。
ですから仏神が現れた時の玉座は心の内に用意しております。
貴女は仏様に近い世界でお育ちになりました。
そこでお尋ねしますが、今のお坊さんの内、どれ程の方が阿弥陀様や、如来様がこの世に居ると信じているのでしょうか?
私の友人は神父をやっていますが立派な教会を建てましたが、浮浪者のいる下町で、不用心だからと言って平日は夜も昼もドアに鍵をかけています。
2011/3/8(火) 午後 0:50
SWさまへ
こんにちは!
とてもむずかしいコメントです。
信心というものは、やはりおのずと自らが気づきがあるときにしか出合わないものだろうと今は思っております。寺に生まれたとしても、僧侶であろうと、本当の信仰は、ぴかぴかの仏壇であってもない場合がありますし、経を読むだけで信心をしているとは言えないのかもしれません。
ご利益信仰ではない、心の内からのあふれでるものが信仰に結びつけるのかもしれないと思っています。「今のお坊さんの内・・・」からのコメントは、答えることができませんが、お坊さんにも
素晴らしい人もおります。葬式仏教ではいけませんね。この世に阿弥陀如来さまがいらっしゃる・・・この世にではなく、阿弥陀如来さま、いわゆる不動明王さまでもいいわけです。そういう
仏の世界があるということを信じるということは、言葉の世界ではありません。これは口で伝えるものではなく、自らが感じるものなのでしょうね。仏の気持ちを受けて、自らもそのように行動できるときに初めて、何かを得るのかもしれないと思っております。素直に書きました。
良き春でありますように祈ります。感謝★瑠
2011/3/8(火) 午後 1:02
Ruriさま、お母様のことお悔み申し上げます。
とても他人事と思えません。昨年秋、母は二度目の乳がん手術を行い、今度は抗がん剤治療で苦しんでおります。永遠の命はないと分かっていても、親にはいつまでも生きていてほしいものです。
ちなみに、母は熱心な大谷派の信徒です。私はバチあたりで、御経もあげることができません。
Ruriさまは、お母様もお父様も腕の中で看取られて、とても親孝行だと尊敬いたします。
2011/3/12(土) 午前 3:04
気楽クン
お久しぶりです。お悔やみのお言葉をありがとうございます。49日を無事に終えました。
お母様がご病気でいらっしゃるのですね。心痛ですね。母親の存在はとても偉大ですね。傍にいてくださっていると思います。どうぞ、お体をご自愛くださいね。またお話しましょう。感謝です。瑠
2011/3/12(土) 午前 9:46
ご無沙汰しておりました間に そんなことが。
気がつかなくて申し訳ありません。
こころからご冥福を お祈り申し上げます。
すばらしい お母様の最期に理想の姿をみました。
寂しい時はマサのところにきてください。
間違っても行きたくないって・・・・そうだね。
2011/3/15(火) 午前 6:56
マサさまへ
こんばんは!
ずいぶんご無沙汰しました。
お悔やみのお言葉ありがとうございます。
もう桜もちらほら咲き始めておりますね。
震災から二週間過ぎました。今年は思いのほか寒い
日々です。
どうぞお体ご自愛くださいね。感謝です。瑠
2011/3/30(水) 午後 10:27
亡くなった母の年齢をふたつ超えてしまいました。
母はどんな気持だったのだろう?
kiyoiがネコのきなこを置いてはいけない・・・いや、それより遥かに重い思いがあったでしょう。
kiyoiが幸せになること、それが祖父と母への供養です。
最近未生怨という言葉を知りました。
もしかしたら父に対してその気持を持っているかもしれません。
極楽浄土へは行けません。
2011/10/15(土) 午後 8:00
Kiyoiさまへ
こちら、雨が降り出しました。こんばんは!
ご無沙汰しております。
お母様の年を二つ・・・。
私もそういうことをいろいろと思います。年齢を重ねると、人と別れることが多くなってきます。
幸い、まだ友人たちとの別れはありませんが、・・。この時代を一緒に過ごして来た仲間を亡くすと、気落ちしますね。私も父母の二人を亡くしましたが、今でも、二人の言葉が私の心の中にしっかり生きています。この世の中にあの世があるのかもしれません。
きよいさん、死ぬことは考える必要はないと思います。誰もが死にます。そして、その時が来るまでの自分の生の方を考えています。過去というのは、ある意味「死」です。そして、今が自分の居る「位置」だと思います。だから未来のことも、あまり考えていません。しかし、今の方向性が将来に繋がるのだと思います。
極楽浄土へ行くか、そうではないかは、やはり自分で決めるものではないのかもしれません。それは、
すべて任せるということなのかもしれませんね。
続
2011/10/15(土) 午後 8:11
失くすものがあまりに多く、そして、またそれに代って得るものも多い。そうこうしているうちに、自分の道のようなものが見えて来ますね。
きよいさんを一人にしては逝けないとお母様は思われた・・。きよいさんが、きなこちゃんを置いていけないと思われたように・・・。
よく分かります。
人は幸せになる権利があります。生きることだけでも価値のあることですね。それは、辛い思いをすると、はっきり分かります。
心に響くコメントでした。
あの世もとても近いですね。薄い幕が一枚です。
私は自分が幽霊かもしれないと思うことがあります。それくらい、心は自在です。
良き夜を。感謝です。瑠璃子
2011/10/15(土) 午後 8:16
瑠璃さんへ
最近顔アバターをやめて何故か鶏さんになっているkiyoiです。
早起きのせいでしょうか。こんどゆっくりアバター変えようなんて思
ってるうちに鶏さんで落ち着いてしまいました。
髪型がそっくりで紛らわしくてすみませんでした。
kiyoiは早起きなので鶏です。コッケコッコー。
2011/10/15(土) 午後 9:29
Kiyoiさまへ
鶏さんの鶏冠が可愛いですね。
きよいさんは、早起きなのですね。私も、だいたい
六時には起きます。夜遅くは苦手になりました。
以前は、3時まではしっかり平気だったのに、ダメだなあ・・。^^こちら雨が降っております。
風邪をひかないようにご自愛くださいね。
アバターのことは考えてもおりませんでしたよ。よって、何も気にしておりませんよ。大丈夫です。
感謝★良き眠りを。おやすみなさい。瑠
2011/10/15(土) 午後 9:34