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夏になると思い出すことがある。
小学生の頃は、元気に早起き。あの当時は、ラジオ体操が朝の宿題。早朝は、まだ涼しく、庭には赤や紫、青い朝顔が咲いていた。ラジオ体操が終わり、家に帰ると、お味噌汁のにおいがした。朝食を済ませた頃に、蝉の鳴き声が激しくなる。母と父の足音と声が今も聴こえる気がする。
【このすいかは、たべるところが、赤ですがきいろいのもあります。】
原文のまま。^^
今年は、ベランダに風鈴を吊るしてみた。
どこにでもある夏の風物詩だ。ちりんと、涼しい音がする。
祖母が生きている頃は、西瓜を毎日のように食べた。祖母は、西瓜が大好物で、トラックで売りに来るおじさんから、信じられない数の西瓜を買っていた。だから、二十歳になる頃まで、私は西瓜にうんざりしていた。しかし、今でも好きなのは、西瓜より漬物。西瓜の皮を取り、実との間を塩漬けにする。今でもその楽しみの為に西瓜を購入する。
【切り口が花のようできれい。】
今日は、土用の丑の日。鰻を食べる日。なんだか、鰻を食べる日というと、強制的な感じで、ちょっと笑えるが、鰻は高級料理の一つなのだろうと思う。ちょっと笑えるというと、本当にちょっと笑えるお話なのだが、今年は、鰻についている。まあ、つき過ぎと言ってもいいかもしれない。私の住んでいる…、ほんの、ほんの近所が鰻屋さんなのである。だから、毎日、鰻のにおいには事欠かない。朝といい、昼といい、夜といい。友人から、「白いご飯に、においだけでも美味しいかもよ」と。しかし、もう一つ、事は深刻だ。週に一回、とあるところで仕事をしている。その二軒隣も大繁盛の有名な鰻屋さん。苦笑いをした。友人は、それも知っていて、「鰻上りと言うじゃなの!!!」
う〜ん!!!
パキラという観葉植物が好きだ。人と植物との相性があるかどうかは分からないが、植物を育てるのが下手な私でも元気に育ってくれる。ずっと可愛がっていたパキラはベランダが好きだったので、パキラはベランダでも大丈夫だと思っていた。新しく寄せ植えをしたパキラを同じようにベランダに出した。すると、たちまち枯れてしまった。
なるほど…。元からのパキラはベランダで鍛えられていたが、新しいパキラは、お嬢さんだったのだ。やはり同じ種類でも、こうも違うのだなあ…。
運気について考えていた。
ついているとかついていないとか、人は言う。確かについている時とそうでない時がある。それは、時期のようなものがあるようだ。例えば、右折禁止をうっかり曲がろうとして、後ろの運転手が私を追い越しついでに、「右折禁止ですよ」と、笑って指摘をしてくれるか、「どこを見ているんだ!標識を見ちゃんと見ろよ!」と怒鳴られるか…。まあ、それに「馬鹿!!」が付くときもあるだろう…。
なんでもないようだけど、そういう例えがぴたりと来る。同じ結果でも、スムーズに行く時がある。不思議なことだ。
最近は、【夏休みの友】というのがないそうだ。何があるかと尋ねたら、プリントと漢字。そして、ラジオ体操が一週間だそうだ。私の小学生の頃は、【夏休みの友】というのがあった。みなさんも覚えていらっしゃるかと思う。それを早く済ませることが楽しみだった。宿題が済んだら、近所のお友だちと遊びに出かけていた。クマゼミやアブラゼミを夢中で摑まえたり、川遊び。今は、夏休みになっても子供たちの姿はあまり見かけない。モールでは、沢山見かけるなあ…。
写真の整理をしていると、不思議な気持ちになる。写真は、母の若かりし頃のものだが、昭和の動乱期、どの写真を見ても見入ってしまう。見入ってしまうのはどうしてだろうかと思っていたが…。やはり人の顔というものに魂が入っているからだろう…。妙な言い方だが、物言わぬ写真から感じ取れるものがあるからだろうと…。暑い夏の盛り、また終戦記念日が来る。
さて、この11枚の写真は、私の小学校二年生の夏休みに、夏休みの課題と
して、学校に提出したものだと記憶している。この宿題は、母の荷物の中から今年の六月に出てきたもので、母がこれを長年保管してくれていたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。
夏の夜に、自分の小学校の頃の宿題を見ていると、さまざまなことが思い起こされた。まず、この【なつのくだものとやさいしらべ】という題字は、私の筆跡であることは間違いないが、これらの果物や野菜の絵は、あまりにも上手すぎる。【小学二年生にしてはそつがないという意味で…。】だから、きっと父が、ずいぶんがんばって私に書かせ、そして修正をかけたものだと思う。この課題もきっと父のアイディアだったのだろう。そうこう考えていると、やはり、これは父の宿題だったに違いないと笑みが浮かんだ。ただ唯一、果物や野菜への感想は、自分の感想だったような気がする。
【なすのへたには、小さいとげがあります。たねのはいっているかたちが、馬に人がのっているようで、おもしろかった。】原文
両親は、教育に関して無関心ではなかったと思うが、あまり勉強をしなさいと言われたことがなかったと記憶しているが、よくよく考えると、それは高校生からで、父は、私の小さい頃から黒板の前に座らせて勉強を教えていた。私は、それが窮屈で嫌で仕方がなかった。算数ができないと、父はかっとなってチョークを私に投げた。父は僧侶になる前に高校の教師をしていたらしいが…。家でチョークを投げるなど、私には理解が出来なかったわけだ。今でも覚えているのが、私は、東と西の区別がつかず、それに加え、時計が読めなかった。どうしてなのか分からないが、それがトラウマになって、今でも、はっとすることがある。〔もちろん、今は東と西も時計も読めますが…【笑】〕
人には、どうしても苦手というのがあるようだ。私の知っている人にとても優秀な人がいるが、未だに、右と左を間違える。一緒に車に乗っていて、私が「次の角を右にね」と言えば、左に曲がる。逆もまたしかりだ。笑ってしまう。
私が時計をすぐに読まないで考え込んでしまうことに父はほとほと困ったようだ。教え込んでも分からない時は、放っておけば、そのうちできるようになるのだけどなあ・・・。今ではそう思う。父は何度も何度も時計を読ませて、私がとんちんかんな答えを言うので泣きそうな顔をした。間違えることに罪悪感もなく、けろっとしている私に嫌気が差したと思う。父の教育の中で、気に入っていたことは、お風呂に一緒に入り、すりガラスに父が絵を描きながら物語を即興ですることだった。その話は、未だに思えているものもある。タイトルは【蛇と蛙】【キツネとタヌキ】【おじいさんとおばあさん】・・・とても懐かしい。
しかし、小学二年生まで父とお風呂に入っていたなんて、今の子供たちは考えられないだろう…。
【蛇と蛙】
蛇がお腹を空かせて蛙を飲み込もうとしていました。そこを通りかかった人が、蛙を助けようとして蛇に石をぶつけました。蛙は助かりました。さあ、そのあとの物語を言ってごらん?
父はそういうお話をしていました。まともに答えたことはありませんでしたが、大人になってからなんとも懐かしく思い出します。
【切り口が人の口をあけた時のようでおもしろい。】原文
瑠璃子のメモ★今日はウイッキーが上手く作動してくれず、字がはみ出しており、読み辛いと思います。ごめんなさい。
★ブログは文字【最大】で編集しております。文字列は最大にするときちんと整列すると思います。
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