笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

過去の記事は写真のすべての表示 からが簡単です。音楽は重なりません。 良き日をお過ごしください。感謝★

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戦後65年の夏

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また終戦記念日がきた
この日がくると
やはり冷静ではいられない


母を愛するがゆえに
涙す



 




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母の函迫の装身具
美しく
母の胸元
無垢で
悲し



戦争の
爪あとは
今も
こころの奥深きところにありき



ただだまって
黙祷す







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軍事郵便の
筆跡を
たどり


多くの

無駄にした
過ち



二度と


二度と
繰り返すな











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瑠璃子のメモ

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今日のつぶやき★

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 一日中、なんだか気ぜわしく、いろいろとやっているのだが、しばしの体やすめをしなければやっていられないくらいの勢いのある太陽が昇っている。それによって、体が何かに目覚めたような気分になっている。もともと自然と人との関係は、共存だが、人がそれに従うということは、当たり前のことなのだ。暮らしという中の満足は、そうたいしたことではない。好きな植物が元気にしていること、灼熱の太陽の下のほっとする場所と喉を潤す何か。たまに吹く涼しい風と、光溢れる目の前に広がるベランダ。読みかけの書物、バックミュージック、生きてきたプロセスのその時々のそれぞれの風景は、まさしく乗り越えてきたもの。それぞれの場面で、それを支えてきてくれた友人たちの存在。居心地の良い部屋の中の自分との客観性など…。贅沢な時間を持って過ごしたいと思う。生きていれば、何かある。生きてさえいれば…。光がそれを物語っている。そんな夏の昼下がり、おのずから口元がゆるむ。贅沢な時間とは、自分を豊かにするものを見つけるだけのほんのちょっとした能力だろうと思う。







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 人はいつも新しくなっている。そんな感じがしてならない。常に脱皮しているようだ。その所以は、自分の書いた日記などを見ると、なんだか、乗り越えてクリアーしたものばかりだ。当然、過去のことだからそうだろうと思ってしまうが、それはちょっと違う。その時々で、ずいぶん悩んだこともある。しかし、その時の自分とは明らかに違う自分を見出している。昔に心から信奉したものは、もう血肉になって自分の一部となっていて、そのことにさえ気がつかないが、その時々のプロセスを踏んで、今があるということに気がつくと、どんなことにも感謝したくなる。それは数えられないくらいの細胞の死と再生のたまものだ。







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 誰にでも愛している人がいるだろう。愛というとそれぞれの概念があるのかもしれないが、愛は、その人の面影が最も輝いてほしいと思う気持ちだと思っている。もともと、愛は、所有するものでもなく所有されるものでもなく、風のようなものだ。ふと、その人の存在を思い出したり、感じたりする時に、その人の幸せを祈ることができるといい。気持ちを自由にしていると、やはり、光あるものに目が行くようになる。不思議なことでもなんでもないが、とらわれるものが何もない状態になることは、とても難しい。たまたま幸運にもそういう時期が来たら、喜ばしい状態だと私は思っている。それは、外から見るありようではなく、心の中の有り様なのだろう…。実人生が決まりきったルーティーンだと思うと実にもったいない。生きることの刺激になるもの、それをうながす物や人は、自分のまわりに存在しているものだ。人と常に群れるのは好きではない。自分と他者との距離感は、その人自身の生き方そのものなのかもしれない。







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 恋をする女性は、一日中、彼のことをのべつまくなしにお喋りしても飽きない。一日二十四時間の一分一秒が彼中心にまわっている。しかし、そういう恋をしたことのある女性は、幸せだと思う。あとから、いかに熱にうかされていたかも分かるが、自分がその彼を本当に好きだったということも同時に分かる。その、「本当に彼が好きだった」と、心から言えることが大切だと思う。







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 一週間に一度、かやぶきの家で英語を教えている。そこは江戸末期の漁師さんの家を復元したもので、土間があって、どことなくひんやりしている。土間は、専門的には「庭」と言うそうだ。当時は、その土間を地域に住む人々の通路にしていたそうだ。つまり、他者の家の中を通行して、目的地に行くわけだ。夏には、納戸で昼寝をしていることもあるだろうが、プライベートな仕切りはない。現代は、物騒で、そういう訳にはいかないだろうが、入り口に鍵をかけなかったということが分かる。地域の人たちが密接に寄り合っていたことも想像できる。現代は、他者を家にあげることを敬遠する。キッチンなども見られることを嫌がるのかもしれない。日本に住む外国人が、口を合わせて言うことは、「家に招かれると窮屈で仕方がない。応接間から出ることができない…」。その状態が想像できるので、思わず笑ってしまった。外国では、けっこう見せることに抵抗がない。ここがキッチン、寝室、書斎だと案内してくれる。見せるということを考えていれば、お部屋を片付けることも楽しいし、センスも磨かれるのかもしれない。家族だけのための家か、それとも招く人たちのことも自分たちのライフスタイルに入れているかで、風通しが違う。私は、「ちょっとあがってコーヒー飲まない?」のお付き合いが好きだ。







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 ボランティアについて…。究極的には、自分の成長のためにすることがボランティアだと考える。その認識は、日本のものとはちょっと違うかもしれないが…。私もひそかにやっている事がある。それをすることによって、私自身が安心感に包まれる。ちょっとでも役に立てているのではないかと思うと、嬉しくなる。そんな気分の安心感と自己教育のようなものだ。ボランティアというのは、やらせて頂いたことがありがたいことで、密かにするものだと思っている。







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 話せる友人の存在は、常に嬉しい。会話の中に必ず触発されることがある。お喋りは、ただのお喋りとはちょっと違い、ご機嫌伺いなどはパスだ。話をしているうちに、自分の考えが自分の内部でまとまってもくるし、課題を増やすこともある。だから、友人は私のセラピストの役割を充分に果たしているし、相手の存在で成長をしているとすら思っている。もちろん素の状態でのことだ。







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むらさきの衣を着たり桔梗花母の着物の懐かしい影★瑠






 演劇を見に行った。つまらなかった。それは何故だろうかと今は考えている。翻訳物というのは、翻訳でしか知りえないという宿命があり、その宿命を考えた上での判断をしなければいけないのだろうが…。

















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瑠璃子のメモ★今日はウイッキーが上手く作動してくれず、字がはみ出しており、読み辛いと思います。ごめんなさい。



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夏になると思い出すことがある。
小学生の頃は、元気に早起き。あの当時は、ラジオ体操が朝の宿題。早朝は、まだ涼しく、庭には赤や紫、青い朝顔が咲いていた。ラジオ体操が終わり、家に帰ると、お味噌汁のにおいがした。朝食を済ませた頃に、蝉の鳴き声が激しくなる。母と父の足音と声が今も聴こえる気がする。








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【このすいかは、たべるところが、赤ですがきいろいのもあります。】
原文のまま。^^









 今年は、ベランダに風鈴を吊るしてみた。
どこにでもある夏の風物詩だ。ちりんと、涼しい音がする。
 祖母が生きている頃は、西瓜を毎日のように食べた。祖母は、西瓜が大好物で、トラックで売りに来るおじさんから、信じられない数の西瓜を買っていた。だから、二十歳になる頃まで、私は西瓜にうんざりしていた。しかし、今でも好きなのは、西瓜より漬物。西瓜の皮を取り、実との間を塩漬けにする。今でもその楽しみの為に西瓜を購入する。








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【切り口が花のようできれい。】









 今日は、土用の丑の日。鰻を食べる日。なんだか、鰻を食べる日というと、強制的な感じで、ちょっと笑えるが、鰻は高級料理の一つなのだろうと思う。ちょっと笑えるというと、本当にちょっと笑えるお話なのだが、今年は、鰻についている。まあ、つき過ぎと言ってもいいかもしれない。私の住んでいる…、ほんの、ほんの近所が鰻屋さんなのである。だから、毎日、鰻のにおいには事欠かない。朝といい、昼といい、夜といい。友人から、「白いご飯に、においだけでも美味しいかもよ」と。しかし、もう一つ、事は深刻だ。週に一回、とあるところで仕事をしている。その二軒隣も大繁盛の有名な鰻屋さん。苦笑いをした。友人は、それも知っていて、「鰻上りと言うじゃなの!!!」

う〜ん!!!








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 パキラという観葉植物が好きだ。人と植物との相性があるかどうかは分からないが、植物を育てるのが下手な私でも元気に育ってくれる。ずっと可愛がっていたパキラはベランダが好きだったので、パキラはベランダでも大丈夫だと思っていた。新しく寄せ植えをしたパキラを同じようにベランダに出した。すると、たちまち枯れてしまった。

 なるほど…。元からのパキラはベランダで鍛えられていたが、新しいパキラは、お嬢さんだったのだ。やはり同じ種類でも、こうも違うのだなあ…。








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 運気について考えていた。
ついているとかついていないとか、人は言う。確かについている時とそうでない時がある。それは、時期のようなものがあるようだ。例えば、右折禁止をうっかり曲がろうとして、後ろの運転手が私を追い越しついでに、「右折禁止ですよ」と、笑って指摘をしてくれるか、「どこを見ているんだ!標識を見ちゃんと見ろよ!」と怒鳴られるか…。まあ、それに「馬鹿!!」が付くときもあるだろう…。

 なんでもないようだけど、そういう例えがぴたりと来る。同じ結果でも、スムーズに行く時がある。不思議なことだ。





 


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 最近は、【夏休みの友】というのがないそうだ。何があるかと尋ねたら、プリントと漢字。そして、ラジオ体操が一週間だそうだ。私の小学生の頃は、【夏休みの友】というのがあった。みなさんも覚えていらっしゃるかと思う。それを早く済ませることが楽しみだった。宿題が済んだら、近所のお友だちと遊びに出かけていた。クマゼミやアブラゼミを夢中で摑まえたり、川遊び。今は、夏休みになっても子供たちの姿はあまり見かけない。モールでは、沢山見かけるなあ…。








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 写真の整理をしていると、不思議な気持ちになる。写真は、母の若かりし頃のものだが、昭和の動乱期、どの写真を見ても見入ってしまう。見入ってしまうのはどうしてだろうかと思っていたが…。やはり人の顔というものに魂が入っているからだろう…。妙な言い方だが、物言わぬ写真から感じ取れるものがあるからだろうと…。暑い夏の盛り、また終戦記念日が来る。








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 さて、この11枚の写真は、私の小学校二年生の夏休みに、夏休みの課題と
して、学校に提出したものだと記憶している。この宿題は、母の荷物の中から今年の六月に出てきたもので、母がこれを長年保管してくれていたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。

 夏の夜に、自分の小学校の頃の宿題を見ていると、さまざまなことが思い起こされた。まず、この【なつのくだものとやさいしらべ】という題字は、私の筆跡であることは間違いないが、これらの果物や野菜の絵は、あまりにも上手すぎる。【小学二年生にしてはそつがないという意味で…。】だから、きっと父が、ずいぶんがんばって私に書かせ、そして修正をかけたものだと思う。この課題もきっと父のアイディアだったのだろう。そうこう考えていると、やはり、これは父の宿題だったに違いないと笑みが浮かんだ。ただ唯一、果物や野菜への感想は、自分の感想だったような気がする。








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【なすのへたには、小さいとげがあります。たねのはいっているかたちが、馬に人がのっているようで、おもしろかった。】原文









 両親は、教育に関して無関心ではなかったと思うが、あまり勉強をしなさいと言われたことがなかったと記憶しているが、よくよく考えると、それは高校生からで、父は、私の小さい頃から黒板の前に座らせて勉強を教えていた。私は、それが窮屈で嫌で仕方がなかった。算数ができないと、父はかっとなってチョークを私に投げた。父は僧侶になる前に高校の教師をしていたらしいが…。家でチョークを投げるなど、私には理解が出来なかったわけだ。今でも覚えているのが、私は、東と西の区別がつかず、それに加え、時計が読めなかった。どうしてなのか分からないが、それがトラウマになって、今でも、はっとすることがある。〔もちろん、今は東と西も時計も読めますが…【笑】〕
 人には、どうしても苦手というのがあるようだ。私の知っている人にとても優秀な人がいるが、未だに、右と左を間違える。一緒に車に乗っていて、私が「次の角を右にね」と言えば、左に曲がる。逆もまたしかりだ。笑ってしまう。

 私が時計をすぐに読まないで考え込んでしまうことに父はほとほと困ったようだ。教え込んでも分からない時は、放っておけば、そのうちできるようになるのだけどなあ・・・。今ではそう思う。父は何度も何度も時計を読ませて、私がとんちんかんな答えを言うので泣きそうな顔をした。間違えることに罪悪感もなく、けろっとしている私に嫌気が差したと思う。父の教育の中で、気に入っていたことは、お風呂に一緒に入り、すりガラスに父が絵を描きながら物語を即興ですることだった。その話は、未だに思えているものもある。タイトルは【蛇と蛙】【キツネとタヌキ】【おじいさんとおばあさん】・・・とても懐かしい。

 しかし、小学二年生まで父とお風呂に入っていたなんて、今の子供たちは考えられないだろう…。








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【蛇と蛙】

 蛇がお腹を空かせて蛙を飲み込もうとしていました。そこを通りかかった人が、蛙を助けようとして蛇に石をぶつけました。蛙は助かりました。さあ、そのあとの物語を言ってごらん?

 父はそういうお話をしていました。まともに答えたことはありませんでしたが、大人になってからなんとも懐かしく思い出します。








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【切り口が人の口をあけた時のようでおもしろい。】原文


















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たあい無いお話★

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 梅雨が明ける前に書庫を徹底的に整理しました。ずっとやりたかったことだったので、ひょんなことから実現したことは、嬉しいことです。思い切って読まない本は処分しましたが、どうしても捨てられないのが本です。持ち物の中で最も時間がかかったものが本の整理でした。分類分けをしていたら、つい、ページを開いてみたりするものです。そこで立ち読みです。【笑】

 自分でも意外だったのが、ジャンルでは、精神世界の本の多さでした。ひところ精神世界の本をよく読んでいたのだなあ…と。今は社会学系の本を読んだりします。島崎藤村や高村光太郎、谷川俊太郎の詩集があったので、また読んでみようと思います。エッセイでは、森瑤子さんがダントツでした。これも随分昔のコレクションです。








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 六月は、かなりのものを整理しました。今、やっとほっとしております。
荷物というのは、不思議なものです。自分の大切なものは、意外に妙な品物なのかもしれません。自分の頭の中にしっかり納まっている一枚の写真だったり、メモ帳の数冊、小さい頃に両親からもらったオルゴールの箱…。いずれにせよ、物というものは、やっかいです。






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やはり夏は犬もくたびれております。^^







 つい最近、愛犬のサラム君と公園に行きました。環境を変えたので、私とサラム君にとっては新しい気分です。――サラム君がどう感じているかは分かりませんが…。かなり広い公園です。夕方の六時半ごろに公園に行くと、猫たちが数十匹じっと座っています。捨て猫だろうと思います。心の中で、よし、明日、猫の餌を持ってまた来よう…と思いました。翌日の夕暮れ、同じ場所へ行くと、もうお食事中でした。しばらく歩くと、鳩たちが集まっており、サラム君が吠えても飛び立ちませんでした。すると、木陰から自転車に乗ったご婦人が現われ、鳩たちも食事にありつけました。ご婦人に「鳩は貴女を待っているのですか?」と尋ねると、「私の来る時間に集まって来るのです。顔も知っているようですよ」と。「猫もたくさんおりますね…」と続けると、「猫は、他の方がもうすでに担当とされているようです」との答え。その得意気な言い方が可笑しかった。目の前には、大きな立て看板。【猫に餌を与えないでください】と。なんだか無責任にも笑ってしまった。人とのコミュニケーションが、生き物を通じてできるというのもいいことだと…。そこに犬が居なかったら、猫が居なかったらできなかった会話も、自然に言葉を交わすことができる。サラム君を通じて、いろんな人が声をかけてくる。どこの誰かも分からないが、そういう会話がとてもいい。そういうふれ合いは、風のように自然で、風景の一こまには過ぎないが…。




 【夜に眠ります】というキャッチが面白かったので、夜にはパタリと葉を閉じて眠るというエバーフレッシュを購入。ネムの木の品種だそうだ。私は夜更かしなので、このグリーンが葉をパタリと閉じたら寝る準備をしたらいいなあ…と。気まぐれ発想になりそうで、「実行は不可能です」【笑】。一昨日の夜も昨夜も、葉をパタリと。いや、この表現はあまり上手くない。葉をくるりと丸める。朝になると、両手を広げたように葉を広げている。これは時計のようなもので、不規則な私にはありがたい。^^植物はすごいなあ。最近は寄せ植えも楽しいことの一つになっている。パキラにゴールデンジッタ添えた。そして、気まぐれに、ポーチュラカという愛らしい花をつける夏の花を無造作にポットに挿した。すると、翌日、きれいに根付いている。まさしくすごいなあ…。


たあい無い時間の、たあい無いお話しです。











http://25.tok2.com/home/hanahanahana/roman.mp3




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今日、2010年7月7日、ブログの三周年になりました。
2007年の7月7日に、ひょんな成り行きで始めたブログでした。七夕の日だったのですね。今思えば、何も分からずに始めたブログだったのだと思います。そうこうしているうちに、ブログも三年になっていたのだと思うと、月日は着実に流れております。お顔が見えないみなさまと肩の力を抜いて交流できるようになったのも、嬉しいことです。

何度か炎上もいたしまして【苦笑】いろんなこともありましたが、自然にまた良き交流のブログになり、今では、みなさんのアバターもネームアイコンも見ただけで分かるようになりました。ブログのペースも日常生活の中に溶け込んでおります。

人との交流は、ブログも日常もあまり変わらないものだと思います。交流する人たちは、時間の経過と共に流動しますが、この三年間ずっと交流できた人たちがいつもおだやかにブログのお友達で居てくださることに心より感謝します。この三年間は、私的にもかなり変化のあった時期であったと思っており、その中でブログを維持できない時期もありましたが、みなさまの応援と心強いコメントで、どんなに救われたか分かりません。







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記事は、あまり私的なことを書いてはいないつもりですが、コメントには、普段の自分をふんだんなく出すように心がけておりました。いろんなことがある中で、やはり素直な自分が出ていれば嬉しく思います。交流はなんであっても、そこに見えないエネルギーのようなものが発生します。みなさまのあたたかい交流と私の気持ちが一体となって循環していたと思います。ブログで出会う人たちは、この広い世界からすると、ほんの一握りかもしれませんが、一緒に歩んでいる仲間です。個、個人の生活の中でブログをする時間がほっとした一日の区切りになれば、元気になります。私も元気を沢山いただきました。これからもどうぞみなさま、瑠璃子のブログに気分転換にお寄りください。

本日、七夕の日は、こちら、お天気に恵まれました。たぶん夜には星が見えると思います。忙しさにかまけておりましたが、今日は、織姫と彦星の一年に一度の逢瀬を眺めたいと思っております。どうぞみなさまご自愛なさって、それぞれのお仕事をがんばってください。







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私のブログは統計を掲示しておりませんが、【花と日々の小さな軌跡】さんが、私のブログの推定分析コメントをしてくださいましたので、ここに三周年目のお昼の【統計】をペーストさせて頂きます。
★記事はひっこめてあるのも含めて【442】あります。
★コメントは、鍵コメントを含めてゲストブックは、【8032件】
★記事コメントの合計は、鍵コメントを含め【43259件】です。


2010年7月7日現在、お昼の統計★

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統計をあまり気にしなくなって、自分のペースが保てるようになりました。
みなさま、ご訪問ありがとうございます。感謝★












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