笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

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短編小説「月あかりの下で」   
              
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 車を駐車場に置き、両手に荷物を下げて玄関の鍵を開けると、テレビの音がやかましいくらいに鳴り響いていて、体の力がふっと抜け、ここで最初に疲れがでる。
 そして、いつものように、あーあと思う。
 友人と携帯電話で話しながら、鍵を開けることもあるが、それでも次のステップを考えると焦燥に駆られる。たいてい、荷物を一旦上がり口に置いて、「じゃあ、次の仕事があるからさあ」と言いながら、今度は、「はあ、は」と、深いため息をつきながら、電話を切る。電話の相手は、高校からの友人、みどりである。格好いいところを見せたり、気を遣う相手ではない。仕事が終わって家にたどり着くのは、十時近くも回っているので、彼女は、リラックスモードで、たいていベッドに横たわりながら綾子のしょうもない不毛の話に付き合っているが、彼女もため息の数は綾子とそう変わりない。
 空腹はすでにピークを過ぎ、なんともつかぬものになっていて、一人身なら、ここで何もせずにベッドに直行したいがといったところだ。 
 夫より早く帰宅し、と言っても数分違いの滑り込みセーフもあるのだが、そうすることによって、一日のバランスをかろうじて果たしている気もしている。
 マーケットで買ってきた食品を冷蔵庫に詰め、食事の用意に取り掛かる。そこには一服の猶予もない。
 大げさだ。しかし、鏡を見るなら何とかバトルのような形相をしているのではないかと思うと情けないが、気の抜けない時間なのだ。
 昼間買い物に行けないときは、たいてい夜十二時まで開いているマーケットに寄る。
夜食に近い夕食の献立を頭でイメージしながら、買い物かごに材料を放り込む。品質保持期間をちらりとは見るが、あまり吟味しない癖がついている。一日の流れが場面、場面でつながっていて、時間の流れがあまりない。
 ロボットに任せたい仕事って、やはりある。心を遣わないで仕事をするのなら、性能がいい限り、ロボットの方ほうが確実なこともある。人間は、心を遣ってなんぼのものだ。
 キッチンシンクには、皿が数枚浸かっていて、まな板には野菜を切った後があり、レンジには醤油がこぼれていたりする。ひょっとして、帰宅してから寝るまでのこの時間が、一日の中で一番瞬発力が試されるときではないかと思うと、苦い笑いさえ浮かんでくる。
 そうこうしているうちに、どこからか飼い猫の三匹が姿を現し、「腹がすいた」と足元にからまり、ケイジに入れられている室内犬が「出せ」と騒ぐ。犬だけではなく、猫も飼い主のエンジン音を覚えるらしい。彼らは、いつもジャンクフードなので、手は取らない。
台所に続くベランダには、斜めに月あかりが差し込んでいた。
 綾子は、魚の切り身を下ごしらえして、サラダと吸い物を手早くつくってから、母の部屋を覗きにいく。案の定、電気を赤あかと点けて、ベッドで眠りこけていた。
テレビにでているタレントが「あなたたちはいいわよね」と思うほど大口を開けて、キャッキャと甲高い声で笑っているので、テレビのコントローラーを探す前に、指だけでスイッチを切る真似をした。どうして、最近のテレビはこうウルサイ番組だらけなのか不思議で仕方がない。高尚な趣味などないが、画面の向こうにさえ耐えきれないことがある。しかし、それは瞬間的なただの感情なので、批判には及ばない。テレビを見るのは、寝る前の数分しかない。疲れているときは、テレビは雑音にしか聞こえないので、静寂には程遠い。連続番組を楽しみにしていたのはいつの頃だったろう。
 母は、またどこかにコントローラーを置いているようだ。探すのが面倒なので、元から絶った。
「お母さん、食事したの?」
「ううん、まだ。そんなにひもじくなかったからね」
「今から食べるんでしょう?」
「うん、なんでもいいよ」
「お母さん、こんなに遅いと体によくないから、またデイケアーセンターからのお弁当サービスを夕食だけまた頼もうか?」
「だけど、あそこもねえ・・・、はっきり言っておいしくないもんね。同じようなものばっかりで、飽きてくるんだよ」
「そう? けっこうおいしかったじゃない?」
最近、立場が逆転している。母が綾子に甘えるようになっている。それはそうだ。仕方がない。母は、今年八十六になるし、その子供は、四十の半ばになろうとしている。働き盛りだ。正確にいうと、働かねばやっていけないというのが本音だけど。
「ゆっくり起きてきてね、私は、食事を用意するから」そう言いながら、綾子は、トイレのチェックへ行く。母は、八十五を過ぎてから、失禁をするようになったのか、時どき大変なことをやらかしていることがある。汚いといえばそれまでだ。しかし、そういう事態は、自分をも含めてみんなの成れの果てだ。文句を言っても仕方がない。一日に何度か心がけて拭けばいいことだ。
 親戚のものは、「綾ちゃんも、一人兄弟がいたらよかったのにねえ・・・」と言うが、そうだったとしても、母は結局、娘のところに来たであろうと思う。
 母は、寝たきりではない。それどころか、通常の人と全く変わりない。耳も目も足も衰えているが、記憶力に関しては、綾子とそう変わらない。
最近になってからは、共有できる大事件がないということもあるし、例え、相談したい気持ちになっても、母の背中の曲がり具合を目にすると、綾子のほうに相談する気力が萎えてくる。しかし、母は、相談相手には最適だ。いや、最適だというより、最高だ。なにはともあれ、相談したときの綾子に対する、母の歯に衣を着せぬストレートの言葉が、たとえ、胸にぐさりと突き刺さるようなものでも、事実に向き合う気構えと姿勢を呼び覚ましてくれる。
「あんた、そんなこんな言っていても、死ぬわけにはいかないし、やってみるしかないでしょう。駄目なら駄目で、そんときまた考えたらいいじゃない。私なんか、何度も死にたいと思ったことあったけど、最後まで生きることが任務だろうと思って、自分に言い聞かせてきたからね。どうにかなるよ。誰だって、どうにかなっていっているじゃないの、そのうちいいこともあろうからね。どっかで、仏さまが救ってくださるよ」
弱気なのは、いつも綾子のほうだ。
 そういう、遠くに明かりを探すような母の強さは、今も変わらない。が、当然、現役から退いた母の視野は、狭くなった。
「自分の体を引きずって、やっとかっと生活するのも大変だねえ」
難儀そうに呟いているのだが、言葉にはピリリと効かせた母の独特な言い回し方がある。昔からそうだが、そういう言葉を娘に吐いて、傷つけるのではないかという気遣いは、あまりないようだ。
「母と同居しているのよ・・」と、仕事仲間に言うと、「あら、羨ましい。助かるわね。家事をしなくていいじゃない」と言う。とんでもない誤解だ。
 母という呼び方から、だいたい六十代か七十の初めだと思うらしい。
 最近の母は、家のことは何もしない。
 それどころか、留守中に転ぶんじゃないだろうかとか、具合はどうだろうかと心配する。女親が若いともうすこし気楽だったかもしれない。
 仕事仲間の四十三歳で独身の友人の亜希子は、快適に仕事をしている。ぎりぎりに起きて、母親の用意した朝食を食べ、お弁当を持って出勤する。仕事から帰ると、溜めてあるお風呂にゆっくり入り、これまた用意された夕食をビールを飲みながら食べて、テレビを見て、燦燦と輝く太陽に干されたふかふかの布団に包まって寝る。
「ああ、この生活からは逃れられないわね。もう結婚なんてできない。大変だったもん。再婚はナシにするわ。適当に相談相手がいればそれでよし」と、涼しい顔をしている。そりゃあそうだ。
働く女は、寂しさよりも快適な仕事ができる環境は捨てがたい。
それでも、結婚したいと思う人もいるが、なんだかんだと言っても、いまだに女の負担は大きい。
「それでいて、生活費を折半で出すなんて、正気の沙汰ではないよ。家事はあなたがするんでしょう?プラスアルファーの腹立ちだよね。それって、結婚のうまみがないじゃない。そんな夫はごめんなさいだわあ。こき使われた上に、メリットがない。ただの同居人って感じ・・・?」
 もっともだ。
 そのことを母に冗談で言うと、
「それ、正しいよね。あんたは、糞つかみだもん」と、さらりと言う。
「糞?」
「そうよ」
「そういうことね、そうかもしれない」と言うと、母は、さすがに苦笑いをした。
 
ドメスティックバイオレンスには、心理的虐待、身体的虐待、男の特権の乱用、経済的虐待、感情的虐待、性的虐待、脅迫、孤立があります。

ドメスティック、バイオレンス(家庭ない暴力)とは、夫、妻、恋人などの
パートナーや、何らかの家族関係にある者からの暴行や虐待、そして、
幼児虐待も梱包します。

これは、人間の関係においての力関係に大いに関係していて、この力の関係は、経済的な力関係、社会的力関係、精神的力関係がある。

関係として、一番快適な関係は、すべてにおいて対等な関係であるが、それは、自立をしているかどうかにかかってくる。自立というのは、経済的関係だけではなく、精神的自立をしているかどうか、自分の考えの自立が確立しているかどうかということにもなる。

ということは、子供の頃の教育、家庭内教育、そして、家庭内の環境と家庭内の人間関係がDVに大きな影響を与えていると言える。

DVをしてしまう人は、両親からDVを受けたり、家庭内のDVを見ていたという状況下に置かれた場合、DVを自分が行ってしまう確率が高い。これはすりこみによるものではないかと思われる。

家庭内暴力は何かと考える時、ある表現法の一つではないかと思われる。
暴力の表現をどう捉えるかというと、人間のストレス、うまくいかない、期待に添えない、そのような複雑な感情が暴力に訴えるものだと思うが、一番の原因として、対話の能力の欠乏にある。

そこで、権力を握っている人間が、命令をしてみたり、権力的に押さえつけたりする表現の一つに暴力があると思う。

人間を認める、そして、対等な関係で対話をするという関係を築くことが、このようなことを避ける方法ではないかと考える。

例えば、現在、男女共同参画という動きがあるが、主婦の仕事は今まで仕事として認められにくいものであったが、unpaid労働に対しての評価の高まりによって、少しは状況が変るものと思われる。主婦の仕事を他人に頼むとすると、20万から30万の支払いが必要な仕事である。それを、ただ飯を食うという感覚のパートナーがいるとすれば、主婦は不満足であり、ましてや家庭内での夫から妻への暴力があった場合、家庭という一番安全な、そして精神的に一番無防備な場所を奪われることになるので、妻は、家庭を出て行くという状況、ひどいときには、戦場に変り、逃げ隠れしなければならないという状況に追われる。

では、どうしてこのような状態になるのか?
1・人間教育において、対話というものが重要視されていなかった。

2・夫は以前、結婚すると妻を自分サイドの従属として考え、結婚後、自分の母親のような気持ちになり、甘えをとことん許してもらえるだろうという気持ちになりやすい。

3・経済的力関係において、そして、無報酬労働をきっちり把握していない為、妻を認めるということをしていない。(これは才能においてもそうである)

4・そして、ここで一番重要なことは、両親の家庭教育である。
  これは、両親が子供との対話が不十分で、支配的になったり、期待過度の場合、また逆に、子供を最大限に甘えかせて力関係が子供のほうが大きくなった場合に対人間関係にひずみがおき、攻撃的になったり、支配的になったり、弱いものいじめをしたり、勝ちたがったり、その他の負の感情が大きくなる。


DVのインタビューをして感じたことは、DV経験者は、DVの経験を思い出して、辛い思いはあっても、その経験により、より自分自身が強く前向きになり、個の自立ということを達成している人がほとんどだった。
それに比べ、DVをした男性のほうは、自分が何をして、何が悪かったかを自覚していないので、自己改革をしようというところまで至らない。

結論として、対立の背景にあるのは、やはり、対話の不在、そして、相手を認めること、対等な人間関係を築かないという点にあるのではないかと思っている。

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今日はこちらは晴天。秋晴れです。
みなさま、それぞれにいい日曜日をお過ごし下さい。
がんばりませう。あれ? アルコールではがんばれません。爆




http://jp.youtube.com/watch?v=7RBMSPXRlzc
音楽をどうぞ〜。では〜★

撮影NY

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