笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

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「やっぱり」

予測通りに運ぶってやつだ。こういうときの感てやつは、

嫌になるくらい当たる。ましてや、私は未来が見える?

そんなあほな…。緊張しているときは、そういうことは起

きないというのが私の中では定番だ。

 それに、たいてい、いいことが起るときは、勘が働かな

い。 

「このあたりは唯一、携帯電話は役に立たないところです

よ」と石松先生が言ったので、私はおもしろがって、自分

の携帯で確かめて、

「この携帯で、圏外の文字を見たのは初めてですよ」と言

ったことがあったのを思い出した。

 あわてて何度かエンジンを掛けなおしたが、びくともし

ない。どうしよう。私は車に関して、まったく無知だ。

 携帯を手にしたが、やはり駄目だった。

「一台くらい車は通るだろう。手を振って助けてもらうし

かないな」

とりあえず、バッテリーが上がらないように、ラジオを

消して、ライトを消した。

 沼のほうに明かりが見える。

 小さい光だ。何だろうと思っていると、蛍だ。

蛍を見たのは何年振りだろうか。青白い光を発光器から

点滅させ無数に飛んでいる。

 ゲンジボタル、ヘイケボタル。蛍は夏に水のきれいな場

所に飛ぶのではなかったか。

「秋蛍ってやつがいるのだろうか?」

 蛍は久しぶりだ。孝浩と付き合っている頃、さあ今から

蛍を見せてやるからなと、部屋の明かりを消してずぼんを

下ろし、ライターでガスを光らせた。くだらないことを思

い出す。

 しばらく、上下する光に見とれていた。

 いつもこの辺りに蛍が舞うのだろう。知らなかった。普

段は気が付かないことが、停止することによって見えるこ

とがあるのだ。

 夜の静寂のなかで蛍を見ていると、日常のことなどどう

でもよくなってしまう。

 別世界だ。

 見えないだけで、別世界は他にもあるのかもしれない。

日常は、同じことの繰り返しで無意識にこなしている動作

が多い。

 いつの間にか、車が止まっていることなど忘れかけてい

た。時計は十一時を指している。そんなに時間は経ってい

ない。そっとキーを回す。やはり掛からない。

それにしても車が一台も通らないというのも珍しい。

ラジオをつけると、若い子たちの駄弁りが流れてきた。

「ん? そんなことないだろう? いい男だったら、絶対

口説かれたら寝ちゃうだろう?」

「えーっ、そんなことないってばあ」

「え、じゃ俺とは?」

「もう、誰ともそんなことしないのお」

「あ、じゃ、ミッチー、まだ膜あるんだ」

「うん。あるよ、何枚も」

 どうでもいいような話が流れている。非常時だというの

に、「アホ」と思いながらも聞き入ってしまう。

 車で数回しか通ったことがないので、定かではないが、

この先に、民家があった気もする。

そういえば、石松先生がここから少し登った山腹に、週

刊誌に大々的に取り上げられた手打ち蕎麦屋があると教え

てくれた。

他県からも客が来るくらい美味しいと評判だけどね、ど

うも変なんだよ、そこの女房は、モスリンの着物を着てい

るんだがね、いつ行っても右前に着てるのよ。変でしょ?

それにね、時々すっと居なくなるの。それでも大将は女房

を探す風もなくてね。山からやってきて住みついたと狸を

猫かわいがりしてるのよ。抱っこして口移しで餌をやった

りね。なんだか意味深だと思うよ、と話した。

「それって?」

「うん、たぶん。あの女房は稀に見る美人だが、僕が思う

に、狸か狐だな。旦那のほうはれっきとした人間だ。おも

しろいだろう? 千夏君は蕎麦好きだから、一度は行って

ごらんよ。この世のものとは思えないくらい美いから。そ

のうち地図を描いてやるよ」

「そんな狐か狸がやってるような店、一人じゃ嫌だなあ」

「なにをやるにも一人ってのがいいのよ。その店、看板が

ないからね。車を山道に止めて、そこから細い道を歩いて

登っていかなければいけないよ。道に迷って辿り着けない

日もある。帰り着けない日もあるんだけどね…、」

「石松先生は、お酒に酔って道に迷っているんでしょう?」

「行きは正常だよ、酔ってないよ」

「蕎麦に惹かれて、怖い思いをするってわけですね」

「そういうことだけどさ、蕎麦だけじゃないよ。その日に

よって違うのよ。メニューもないしね。山女や、カワモズ

ク、竹の子料理は突き出しで、酒がまたいける。じゃがい

も饅頭や芋餅も出してくれるよ。この前登ったときは、池

沼に自生しているじゅん菜を出してくれてね」

「じゅん菜ってどんなのです?」

「スイレン科の多年生水草で、夏に水面に紫紅色の花を咲

かす。のちに卵形の果実を結び、若芽と若葉は食用として

珍重されていてね。茎と葉の背面に 寒天様の粘液を分泌

するから、食感はぬめぬめしている。あ、その店、昼間行

ってもだめだよ、夕方からしかやってないからね。それか

ら、懐中電灯は、必需品だよ」

ま、石松先生は、変わり者で、話も上手い。眉唾だろう。

山歩きをして、最近はキノコの研究をしている。その店に

行くと、珍しいキノコを食べさせてくれるそうだ。

「毒キノコじゃないが、これがまた、専門家の僕が見たこ

とのないキノコなんだよ」と、言っていた。

 私は、道沿いに民家があるかどうか、歩いてみることに

した。そうでないと、山で一晩明かすことになる。まさか、

今の時代に追いはぎはいないだろう。出るとしたら、幽霊

か、それこそ狸か狐だ。

トランクにゴルフセットを入れていたが、そこまでする

とやりすぎだ。念のため、バッグに携帯電話とがあること

を確かめ、途中で手の大きさの石を拾った。ジッポーに火

を点けたが、その必要はなかった。道の両脇がくっきり見

える。

 空を仰いで、月夜だったことに気が付いた。

満月に少しだけ欠けている。

 十分ほど歩いた。

 民家の明かりは見えてこない。

携帯は以前として圏外で、文明の社会からワープした気

分だ。ラッキーにも、主人は出張中だ。心配させずに済む。

連絡をしないと、文句たらたら言われるところだ。

 風がでてきた。木々の音がする。空気がきれいなのだろ

う。満天の星が広がっていて、今にも降ってきそうだ。

これ以上進むと、車まで戻るのが難儀になる。

半ば野宿を覚悟した。夜が明けたらどうにかなるだろう。

通勤の人の車も通るはずだ。

 私は、バッグからセーラムを出して火を点けた。

 その時だ。

後ろから声がした。

 どきりとする。瞬間的に身構える。

 そして、やっぱりと思った。

 女の声だ。

 振り向きたくない。

 いや、振り向かなくても私には見えている。着物を着た

右前のあいつだ。

あいつ?

そうだとしても、妙に怖くない。

 もしかして、こういうことが起きるのではないかと心的

現象が教えていた。そればかりか、教室を出るときから、

こうなるように仕組まれていたのかもしれないとさえ思え

る。

でも、何故私?

 私は、ゆっくり声のした方を振り返った。

 女は、思ったより近くに居た。真後ろだ。 

 彼女は、ぺこりと頭を下げた。

 拍子抜けして、私も思わず頭を下げる。

 月の光が女の顔を照らしている。きれいな顔だ。涼しい

目もと、小さくつぼんだ口、日本人形のような髪型。

 本当に石松先生が言っていた通りなのだろうか。

 何を話したらいいのか。頭の中を駆け巡る。初めて会う

のに、なんだか昔からの知り合いのような気楽さだ。

「どうして、真夜中にここにいるのですか?」

 私は、辛うじてそう聞いた。

「あなたに会うために来たのです」

 女は、鈴を転がすような様な声を出した。

 私は、何故だか、ほっとした。

「あんたいくつになるのさ? いいものあげるから、わた

いについてきな」という台詞じゃなくてよかった。

そう思っている自分が可笑しくもある。

こうなると、話は早い。

私は、いちかばちか聞いてみた。

「何故、私なの?」

 女は、もう一歩だけ私に近づいた。

 そしてまた鈴のように澄んだ声で言った。

「私の姉だから」

 私はだまって頷いた。

 いったい、こういう展開ってあるのだろうか?

 思わず彼女の足元を見た。ちゃんとある。

赤い鼻緒が付いた草履に、指が見える。

私は、消えている煙草に火を付け直した。

 はっかの味が喉を通る。

 どうやら現実のことのようだ。

 女は、ふっふっと、笑った。

「姉さんは、煙草を吸うとき昔からそうしていた」

 笑うと、かすかに笑窪がある。

「そうって…」

「左手を腰に当て、首を左にちょっと傾け、顎を出し、い

ばった格好をする…」

「あなたの姉さんのとき、私の名前はなんと呼ばれていた

のかしら?」

「姉さんはナツ。私はルイ」

「へええ、どういう漢字なの?」

「姉さん、立ち話をするより私の家で話しましょう」

 そう言って、女はにこりと笑う。女の手が私に触れた。

ひんやりした華奢な手だ。

「家って、山の家?」

 私は、そう言ってから、しまったと思った。

はめられているのかもしれない。

「姉さんの車で山腹まで行きましょう」

「あいにく、車は壊れてしまったの」

「そんなことはないわ。大丈夫」

 女は、車のある方へ歩き出した。

すべて御見通しだ。駆け引きはきかない。

女は、私の少し先を歩きながら、時々私を振り返りなが

ら、にこりとする。

 戸惑いながら、私の頭は混乱していた。

すべてが分からない。不自然だ。だけど、まったく違和

感がない。抵抗する気持ちも涌かないのだから、なるよう

にするしかないだろう。

迷いながら、女の後を歩いていると、自分の体がふっと

地面から浮いたような気がした。

体が妙に軽い。

私は心のなかで般若心経を唱えた。

 前世に私の妹だったら私に悪いようにはしないだろうと

思った途端、ルイという女は、

「姉さん、私たちの父は役人だったのよ」と、振り返った。
誄という女(るいというおんな)





始まった瞬間はよく覚えている。

その時、塾の生徒を待っていた。

私は、ここ十年、夜は英語の学習塾をしていて、夕方の

六時から夜の十時までは教室にいる。

金曜日の六時からの生徒は、私の最も苦手な高校三年生

の芳江だ。「理解できた?」「はい、先生」「ええ、とても」

と、鼻にかけた声を出し、いちいち上目使いに私を見るの

で、優等生だが、どうもいけ好かない。

彼女の来る日は、ちょっと憂鬱な気分になる。

 六時過ぎに、芳江がドアを開けた。

二年以上買い替えていないビニール製のスリッパが、い

きなりパチンという音を立てたので、私はどきりとする。

芳江がふてくされた態度で、靴箱の一番上段からスリッ

パを床に落とし、自分の靴を履いたまま足を思いきりあげ

て、六段目の棚に収めている。

制服のスカートを短くたくし上げているので、パンツが

丸見えだ。

それから彼女は、学校鞄を机の上に置き、無造作に中か

ら月謝袋を出して、机の上を滑らせ、手裏剣を投げるよう

な手つきで私の方へ回転させた。

「やってられない」と私は思う。

 小学生に一人、私の目の前で月謝袋からお金をわざわざ

出して数え、「今日ちゃんと勉強するから、ここから千円

もらっていい?」と言う子もいたりする。

この手の生徒は珍しくない。しかし、月謝袋を投げて渡

すとは、ひど過ぎる。野放し状態だ。

というより自尊心を傷つけられて、腹が立つ。

「ちょっといいかしら? 月謝袋を鞄に仕舞ってくれる?」

「はあっ?」

「いいから月謝袋を鞄に戻して、もう一度やり直してくれ

ないかしら? 月謝袋を投げて渡すのは失礼だと思わない?

それに、スリッパは上から落とさないで、しゃがんで静か

に床に置くものよ」

「わたし、月謝袋も投げてないし、スリッパも落としてい

ませ〜ん」

「なに言っているの。いい加減にして頂戴」

「先生、おかしいんじゃないですか?」

 芳江は、ぎろりと私を見た。そして、何事もなかったか

のようにテキストを開き、平然としている。

 まったく今の子はなってない。家庭教育はどうなってい

るの。芳江の親は二人とも学校の教師だ。人の教育をする

前に自分の娘の教育をしてくれよと思う。

 所詮、勉強を教えるということも、金をもらっている以

上、商売か。

しかとする芳江に、私は不機嫌な気持ちを抑えながら、

シャープ・ペンシルを動かしている芳江の問題用紙を眺め

ていた。

「二番の答えは間違ってるよ」

「え? 私、まだ一番しか書いてません」

「だって、You are to blame to damaging my car.って、

書いてるじゃない。そこは、be to blame forをつかうのよ」

 芳江は、またぎろりと私を見た。

「あなた、自分の間違いを言われるのそんなに嫌なの?」

「先生、塾なんか閉めて、霊能者になれば。私は、自分が

したことは認めてもいいけど、言いがかりをつけられるの

はムカつくし、だいたい先生は私のこと好きじゃなかった

んでしょう。だから、私の亡霊を見るんです」

 芳江は、すっくと立って玄関まで行き、靴を履いた。

 私は、充分に状況が呑み込めないまま、芳江の行動を見

つめていた。

 ドアが閉まり、芳江の言葉を噛み締めていた。

では、芳江がスリッパを落とし、靴を履いたまま下駄箱

に靴を突っ込み、月謝を私に投げて私によこしたのは、何

だったのだろう。幻覚なのだろうか。それとも、人がやり

たいと思うことが事前に見えたというのか。

 芳江は、今二番のところをシャープ・ペンシルでなぞっ

ている。

目を開いて、もう一度見直したが、やはりそうだ。彼女

は、出て行ったのではなく、下を向いたまま、私の向かい

にいる。

見てはいけないと目を伏せる。無視が一番。

芳江は目の前から消えたはずなのに、問題を埋めていた。

 私の頭は混乱する。あまりのことに、私は吐き気を催し

た。むかむかを抑えながら、次の生徒のレッスンを終え、

外に出ると、秋風が吹いていて、いつもの向かいのおいし

そうな焼き鳥屋の匂いがまた吐き気をさそった。

「ちぇ、季節は最高なのに、最低の気分」と言える元気も

ない。

このところどうもよくない。なんだか、そんな予感はあ

った。よくないのは、体の調子だけだと思っていたが、ど

うやらそうではないらしい。

芳江に「先生、最近おかしいんじゃない?」と言われた

時、本当は、はっとしたのだ。

 薄々は感じてはいたが、また私に何かの力が加わり始め

ているのだ。

 最近、3Dを見るときのように焦点を軽く合わせると、

レストランのテーブルクロスとか洋服の柄が立体的に見え

て、気分が滅入ることがあった。

 それから、何も考えないでテレビを見ていたり、景色を

見ていると、物体の陰で見えないはずのその後ろが見える

ことがあった。透けて見えるのだ。木の後ろの花、テレビ

の後ろにあるコード…。

 はじめは、「えっ?」「へーっ」「なんで?」

 そういう感じしかなかった。だからと言って、特別怖く

はなかった。テレビの後ろに回って実際に何があるのか確

かめたことはあったが。

一頃、3Dに夢中になったことがある。なかなか見える

ようにならない人もいるようだが、私は至近距離からなら

一瞬にして立体図を浮かび上がらせることができる。

 足を骨折して入院したとき、「三次元の世界でも見たら?」

と友人が3Dの本を持ってきてくれたのが最初だ。

 しばらくしたら、すぐ飽きたが、最近また目がよくなる

とか、集中力がつくとかで、本屋に並ぶようになっている

ようだ。

ある日、考え事をしながら、無意識のうちにスリーダイ

メンションを見るときのように目の焦点を合わせていたら

しい。

ふと気が付いたら、人間が二重に見えだしていた。

 私たちの認識する空間には、連続体の広がりの次元が三

つあるということなのだろうが、それを意識するのは、決

まって私が構えていないときだ。

「あら、千夏ちゃん今日はお休みなの?」と、近所のおば

さんがマーケットでレタスを選びながら私に声をかけた。

すると、おばさんのすぐ後ろに、同一人物のもう一人のお

ばさんがニンニクを選んでいて、別の行動をしているのだ。 

私は、一瞬「えっ!」と思うが、やはり、「へーっ」「な

んでよ」「まさかあ」と思う。そして、ぼんやり、その出

来事が通り過ぎるのを待つ。

 たいていそういう時は、頭の中が空白になって、冷や汗

がじわりと出る。そして、絶対に半信半疑になるのだ。

「そういうことはないよね?」「うん、ない」という具合

に自分で自分を納得させてしまうのだ。

 その後、私はレジの列に並んだ。レジの女性は、籠から

商品を出しながら、バーコードを読みこませていた。する

と、レジの女性の背後に、もう一人の同じ女性が、料金を

受け取って、つり銭を渡している。

しかし、それにはっきり気が付いたとき、いきなり頭痛

がして、しゃがみ込んだ。

後ろに並んでいた人が「どうかしたのですか?」と顔を

覗いた。

 私の番がきた。私は精一杯の気持ちで挑戦してみること

にした。レジの女性の背後にいる女性が言う金額を渡す。

すると、レジの店員は、はっきりとした声で、「まだ計

算中です」と言う。

 計算が終わってレジが示した金額は、後ろの影が先ほど

言った金額と同じだった。

私の半信半疑は、その日に現実となった。

次に起こることが、現在とだぶりで見えるのだ。

そんなことを人に言えるはずがない。気味悪がられて、

たちまち仲間はずれだ。

はてなマークが空中に浮かぶ。

 ショックだ。これから同じことが起きたら、後ろの奴は、

未来の影なのだと認識するしか方法はない。

道理など解き明かそうとするほうが間違っている。理解

などしたくなかった。私は、科学者でも超能力者でもない。

証明できないことは、理解するのを拒否すべきだ。

しかし、その日を境にぱったりそういうことは起きなく

なった。ほっとして、憂鬱な日々に陽が射してくれたと言

ってもいい。

それでも、しばらく用心していた。だが、いつのまにか

警戒をしなくなっていた。

 十年も前のことだ。

しかしまた、今、それが違う形で起きたのだ。それは、

芳江によってまた惹き起こされた。

 芳江が答案を書く前から、彼女の答えが見えていたのだ。

 私は寒々とした気分で塾の階段を下りた。

駐車場に、私の車だけがぽつんとある。

 車を出して、しばらく走ったところに格安で、無農薬の

野菜を売っている八百屋がある。

十時過ぎだというのに、めずらしく今日は電気が明々と

点いている。

店の前に車を止めて、りんごとなしを買う。ツバメが営

巣して、忙しそうに雛に大きなミミズを運んでいた。

「おや?」日本には春飛来するのではなかったか?

「おじさん、ツバメって、今の季節でしたっけ?」

「ああ、そうだよ。これが来ないと商売繁盛しなくてね。

心待ちにしていたら、三週間前に来たよ」と、嬉しそうな

顔をした。

今日は、入れ歯をちゃんと入れているせいか、十歳は若

く見える。

「いつも遅くて大変だね。あれには内緒だよ」と、隠すよ

うに、缶コーヒーをくれた。

 あれというのは、妻のことだ。おじさんに女房がいたの

だろうかと思ったが、お腹が空きすぎて、そんなのはどう

でもよかった。りんごをかじりながら運転した。

 三十四号線に出ると、工事中のサインが表示され、廻れ

とある。

 なに言ってるの? メインロードだぜ。

家に帰るには、この道しかない。いや待てよ、反対側か

ら山越えするしかない。

 夜更けに帰宅する時間は、朝からの疲れがどっとでてい

て、不機嫌で、早くシャワーを浴びて、ゆっくりしたいと

気が焦る。

「もお、全く嫌になる」

仕方なくUターンした。

 繁華街を抜けて、人里はなれたところから山道に入ると、

ひんやりとした空気が車内に流れ込んだので、ぞくりとす

る。

「なにも出てこなければいいけどな」

私は対向車が来るのを気にしながら、アクセルに力が入

る。

この山道は狸や狐がいると聞いたことはあるが、怖いの

はなんと言っても人間だ。

 ライトをハイビームにする。去年の夏に植物研究家の石

松先生と鷺草を見に来た沼地のところまで来て、嫌な予感

がする。

 ガソリンゲージを確かめる。よかった。まだ半分以上は

あると思った時に、車がストリ、停止した。

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