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メクネス(油彩) 洋画家・仲村一男氏 私は、列車の窓から陰りを見ていた。 それは濃い部分と薄い部分とに分岐している。 太陽のふりそそぐ大地に延びる陰影は、赤茶けた土をリズミカルになぞりながら、私に次から次へと新しい風景を見せる。 私は自分の歩いてきた道を振り返っていた。 私が受け入れながら置いてきた、いや、置いてきてしまった過ぎ去った時間を軽くなぞりながら、風景は影のように、決して同じところに留まらない。どうしても否定せざるを得ないある一つの黒点は、私をここまで走らせてきた情熱のようなものだろう。それは私にいろいろなことを制限した。いつも振り払おうとしてできなかったこと。そうしようとする度に心の底から、それはできないと思う感情がじゃまをした。 それがまた私に微笑みかけたとしたらどうするのか・・・。 命を紡ぐことは、実にいろいろなことを経験する。経験のすべては無駄ではないというが、果たしてそうなのだろうか・・・。私は、光りと影の間には、表裏一体の何かがあると常に思ってきた一人だ。しかし、それは見なくていいものなのかもしれないとも思う。見ることによっては賢くはならない・・・。それを理解して、素直に受け入れることで、賢くなるのだと思う。そして、それは、いつか姿を現すだろう。きっと私の目の前に、それまで私は・・・、だから私はそれを置いてきたのだ。無意識にも人はきちんと自分のことを知っているものだ。 そしてそれが私の視界に入った途端、それを受け入れる自分が見えている。 ジブラルタル海峡を渡り、モロッコの地を踏んでから、その陰影をしっかり見ることになった。それが私への神の愛であったなら、私はそれに跪くしかない。 メクネスで見た私の風の道で出逢ったもの。それはその後の私の人生に大きな希望を与えた。「風の道で、逢おう。きっと逢おう」 幻であったその風景は、今になって私に疑問ではなく、真実を見せている。王宮へと続く風の道は、子供の頃からずっと見てきた夢の中の出来事である。メクネスで、風の道を私が歩いた時、私は夢と現実の区別がつかなかった。私の黒点を解決しようと、書物の世界にいたこともある。地図と首っ丈になったこともある。しかし、私はある日それを放り投げた。 それは、とある人との出逢いいだった。 私がその人に出遭った瞬間、心の底から震えがきた。 しかし、私はそれをおくびにも出さなかった。 ただ、そうなのだと受け入れた。 マンスール門、それは私の人生の門だった。 パリの市街地(水彩スケッチ) 洋画家・仲村一男氏 瑤子の「風の音」はそこからきている。 私にとっては宝のようなものだ。そして、それを作品にしようなどとはもう思わない。結論を探るための小説だった。 それは究極的には私の愛だった。 そして、それはいまも私の心のなかにきちんとあり、私の命を静かに燃やしている。長い長い、それは長い旅だった。 パリのオピタル・ブラッセのマロニエの木の下でも私はその人と出逢った。 いつも私が心細い時にはその人が現われた。 とても不思議なことだった。 しかし、いまは、その不思議さの糸が解け始めている。 その光りと影の一瞬の間のことだ。 太陽だけを見てはいけない、そして闇だけを見てもいけない。 それは、その人がクリアーになるまでの一瞬の隙間・・・。 隙間が大切だと思う。 長い旅を終えた私は今ようやっと、微笑むことができるようになった。 私が書きたかった「風の音」に出てくる小説上の杉子は、実在の人であり、その彼女が万が一この文章を見たら、唯一の理解者であり、私に向かってきっと「おめでとう」と言ってくれるに違いない。そして、私が「もう風の音は私の心にだけね・・・」と言っても、大きく頷いてくれるにちがいないと思っている。 このことを関係者で知らないのは、一人だけ。 でもそれでいいのだ。 この世の不思議はその人には関係がない。 文★瑠 「お願い」 版権は画家にあります。 右クリックはしないようにお願いします。 瑠璃子のメモ どうしてもwikiで行文字が移動できない箇所があります。 宜しくお願いします。 転用不可
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