笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

過去の記事は写真のすべての表示 からが簡単です。音楽は重なりません。 良き日をお過ごしください。感謝★

瑠璃のdiary2008

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

撮影・瑠
「森鴎外が投宿した、佐賀の由緒あるお食事処。」
25日(金曜日)の日記より。



1月24日(木曜日)夜

昨夜は、なぜだか一睡もできなかった。ベッドに足が向かない。
一通りしなければならないことを終えて、寝ようとするが、駄目。
3時になってもだめだった。だからぶろぐを書こうと思った。
写真選びをして、音楽を探して、文章を書いて・・・・・。眠くない。
童話の世界は大好きだから、今度は童話全集をひっぱりだして読んでいたが、まだだめで、結局、コーヒーカップの写真を選ぶことに。
朝まで、クラシックの音楽を聴いていた。バガニーニもいいな・・・・。
最近、童話の世界に惹かれるものがある。子供の純粋な気持ちに心を打たれるのは大人のほうだ。それを書くには、心をまっさらにしなければならない。
それが優しい気持ちにさせてくれる。「アイーシャ」は、瑤子「風の音」の瑤子の娘。気持ちが入って、しっかり朝まで起きていた。
だから夜明けのコーヒーを飲み、そのまま起きている。


今日(25日)のランチタイムに、母が「昨夜は一睡もできなかった」と眠たそうに呟いた。そして、「誰かが来ていたのだろうか?」と。
「誰だったんだろうね・・・」と私は答える。
「何を伝えたかったのかしら?」と聞くと、
「そうね、だいたいわかる」と母が答えた。う〜ん、表裏一体に感謝というところです。ちっとも不思議ではない、母との日常会話です。


1月25日(金曜日)

由緒ある食事処に行く。
創業、1853年(嘉永六年)。森鴎外が明治32年にここに投宿。

★ 上記の写真がそこ。

なかなか良かった。この場所は、佐賀市内。
郷土料理が伝統。むつごろうの蒲焼やわらすぼのから揚げ、めかじゃ、
くちぞこの煮付けです。(わからないでしょうね〜。珍しいものです。
干満の差がはげしい、郷土のすばらしい有明海の自然の産物です)

この場所は、う〜ん、ごひいきになりますので、訪問されたい方は、
観光協会・・・・かなあ・・・。楽しい時間でした。


1月26日(土曜日)

今日は朝から仕事。そして夕方から某ホテルで祝賀会に出席させて頂いた。
バレエの野村理子先生が、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受賞された
お祝いの会。華やかなお顔ぶれで楽しかった。
某ホテルのお祝いのメニューが、
「柔らかビーフステーキ マスタードソース シャリアピンスタイル」

このシャリアピンスタイルが好きだ。最高に美味しかった。
コラッ、「肉を食べない」と言った私、しかし、これはやはり逃せなかった。


1月27日(日曜日)

ちょっと最近、疲れぎみだったので、ほとんどベッドの中で本を読んでいた。
けしからん!! 
しかし、家の仕事はほとんど合間でちょこちょこしてしまった。
きちんと顔を洗って、洋服も着て(当たり前か)私の言う意味は、すぐにで
も外出できる格好で、ベッドに入って本を読む。このスタイルが私は得意で
す。そして、だんだん眠くなる。でも、今日は不思議と三冊も読んでしまっ
た。今から、紀伊国屋に絵本や、童話、そして児童文学をみにいきます。
スターバックスのコーヒーもテイクアウトかな?

そんなスタイルの日曜日が多い。そうでなければ、完全に仕事か、作業か、
外出かだ。今日は読みたかった某書を読めてなんとも幸福だ。夜は童話を
読む予定。ぶろぐもあげる予定、なんだか予定が多いな、意志薄弱か。


1月28日(月曜日)

1月がもう終わろうとしている。
今日アップした「私の名前はマヤ」のところに貼り付けた音楽のルビンシュ
タインのリストの「 Consolation 3」を聞いている。
もう、二十五年も前のこと、この曲を弾いた某ピアニストを想いだしている。
そのピアノコンサートは、忘れもしないコンサートだった。
その女性のピアニストは、艶やかなブルーのドレスを着ていた。
そして、リストの「 Consolation 3」を弾いた。そして中間で、指を間違
い「あっ、しまった!」と叫んだ。私は唖然とした。前から三列目だった
から彼女の声がはっきりと聞こえたのかもしれないが、「それって、あり?」と思った。そして、終わって引き上げる時に、自分のドレスの裾をヒールで踏みつけ、彼女が転倒しそうになった。
これは、たぶんどこかにこのコンサートを見た人がいるかもしれないなあ。
もう、時効だからいいのだけど・・・。忘れもしないリストの曲になった。
昨夜、私はこの曲を聴きながら、それを想い出した。意地悪だなあ・・・
どこの音を間違えたかまで覚えている。観客ってこわいなあ。でも、彼女は実力のある人だった。誰しも、コンディションというものがあるのだろうと思う。しかし、プロ。やはりまずいか・・・・。厳しい次第だ・・・・
リストのこの曲と、笑いをかみ殺した私が懐かしかった。


1月29日(火曜日)

やっと1日が終わったという感じ。
今日は、ふらふらかも。こういう時は、お風呂に入って、やわらかいものに包まれて寝ます。みなさまおやすみ〜★


1月30日(水曜日)

「崖のふちまで来なさい」とかれは言った。
「怖いよ」とかれらは言った。
「崖のふちに来なさい」とかれはもう一度言った。
かれはやっと崖のふちに来た。
かれはかれらを突いた。
そして、・・・・・かれらは飛んだ。


ギヨーム・アポリネール


1月31日(木曜日)

今日は、「ぶろぐマナー」について考えた。
今日は、不愉快なコメントを同じ人から四つ頂いた。
うちのぶろぐは、年齢層も幅広いし、きちんとした人ばかり訪問して下さっている。私も訪問者の方々の記事はほとんど把握していて、長い間の気のおけないぶろぐ友達で、「最新のコメント」の出だしを見るだけで、だいたい誰かということまで分かるくらいに現在はなっている。

ぶろぐが大変だな・・・と思うのは、不特定多数の人たちが訪問することで、
様々な考え方があるということだ。書き手は、もちろん迎合するわけではないが、オーディエンスの気持ちをそこなわないように記事を書いてはいる。
今日の不愉快なコメントは、意味不明のものであり、きたない言葉を使い、
管理人を嫌な気持ちにさせるものであった。
もちろんそういうコメントは、今まで私のぶろぐでは前代未聞。
改めて私のぶろぐの訪問者の素晴らしさと、気配りのあるコメントに感謝する
次第だ。文章で人格を問われるというのは当然ある。
私が最も心がけていることは、「無神経」であってはならないだ。

もしも、こういうコメントが何度か続くと、もちろんコメント欄を一切ひっ
こめるということになると思う。ぶろぐマナーの大切さを思う次第である。


2月1日(木曜日)

 マニラの山田さんから提供して頂いた夕日を、夜見つめていた。
夕日がどうして人の心を打つのだろうかと・・・・

夕日はまた昇るものではあるが、夕日は沈むものである。
見送るものだからだ。
朝日はちがう。日の出だ。今日一日をともにしてくれるものである。
少なくとも、今日一日は一緒にいることができる。

そういうことを考えた・・・・。
1月17日(木曜日)夜

今日はオフの日だった。なんだか、ぼ〜っとしていた。
あ、本を一冊読んだ。朝、キッシュをオーブンで焼いた。魚の煮付けと、白あえときんぴらごぼうを作った。
ポテトは嫌いだが、いつまでも残しているといけないので、ポテトサラダと、コロッケにした。オフの日は朝から三食分の準備をする。例年冬になるともっとエネルギッシュに動いていたのだが、最近は頭が忙しくてどうもいけない。気晴らしに思い立ったように歯医者に行った。夜の8時までオープンしていて行きやすい。外に出れば真っ暗。う〜ん、1日はなんと早いのだろう。昨日は、鍋島小紋の取材をした。なんだ? 昨日のこと? 
なんだか書くことがない。日記というのは、もっと赤裸々なものだけど、それを公開することができないというのが事実。ブログは日記のようなものだから、これからは日記を毎日を書きますと言ったのはいいが、公開でいろいろ書けるはずがない。笑える。とにかく、夜、自分の机に着く時がいちばん落ち着く時間だが、むむむの夜。(むむむ、私の訳のわからない頭のなかの表現です)
1月7日から書いている日記もいつまで続くやれ・・・・。
人の日記など、ちっともおもしろくないと思うのだが・・・。
あ〜、やれやれ・・・。


1月24日(木曜日)

 今日はなんだか眠れない。ベッドに足が向かない日。
翌日の今日(25日)ランチタイムに、母が、「昨夜は一睡もしていない」
と言う。そして、「誰か来ていたのかしらね」と。私は「そうかもね」
そういう夜もある。ご先祖様はなにを伝えたかったのかな?
そう思った。

1月24日(木曜日)

 なんでだろう。めったにないことだけど、眠れない。
今朝、母も「昨夜は一睡もできなかった」と言う。
これはランチタイムのお話。
「誰かが、来ていたのかな?」と母。
「そうかもね」と私。

あはは。別になんだか私たちの日常会話。そうね、たぶん表裏一体。
今日はなんとなく、いい1日になりそうです。たまにご先祖さまがいらっしゃることもあるのですね〜。何を教えたかったのかな?

時の過ぎるのはとても早い。阪神淡路大震災がおきてから13年経った。
心からご冥福をお祈りします。




1月18日(金曜日)

可もなく、不可もなく。たいしたこともしていない。朝はいつもより早起きをした。五時起き。朝原稿を送ると、「お早い原稿で」と某人から電話。そういう電話はもらったことはないが、と思ったら、「遅すぎる」ということらしかった。いろんな人とお仕事で関わることがあるが、やはり気が合うか合わないかはとても大切なことだ。これは、何を言われたからという話の内容ではなく感覚的なものだ。そしてその勘はほとんど当たっている。だから、いつも感覚で人を感じているので、その人の年齢や名前やポジションなどにあまり興味がない。(だから、名前覚えが悪いとも思っているが、あれ?)
もっと極端なときは、顔でさえクリアーではない。でもその人の全体的感覚を細胞が感じるというようなものだろうと思う。ちなみに、「お早い原稿で」と言った某人は、仕事がとてもやりやすい人である。度量があるので、こちらがとても気楽に構えていられる。仕事でキーキーキャーキャー言う人は、わざと意地悪をしたくなる。そして、もう、テコでも動かないぞ、という気分になる。
知人でも友人でも度量のある人には、際限のない話がどこまでもできるが、そうでない人には、気を遣う上に遠慮をしてしまい、自分の良さまでなくなってしまう。だから、やはりいまもって付き合っている友人知人は、私がしっかりぶつかっていける相手だ。あ、ぶつかられることもある。その時は、すごい。でも本気の付き合いができる人しか残っていない。(嘘いつわりなく、本音が言える人という意味だが・・・本性を知っているという・・ちょっとこわいが・・・)
自分を際限なく出せる付き合いはとても気持ちの良いものだと・・・。
また、そうでないと長く付き合えないということだ。疲れちゃうよね・・・。
当たり前か・・・・・。


1月19日(土曜日)

 古い手帳などが、ひょっこり机の中から出てきたりする。なかを開くと必ずと言っていいほど、完璧な計画表を書いている。
 起床、4時。4時から9時までスタディ。9時から10時までスポーツ。10時から12時ピアノ。1時から仕事。当然、その中には掃除、洗濯もある訳だが・・・夜の10時、読書。12時寝る。
 いつ頃の手帳かと思えば、もう10年以上も前の手帳。なんの、計画どおりにいくものか。計画どおりにこなせるものは、実践での仕事のみであり、その計画は、全く忘れられる存在になる。しかしながら、何度も何度も計画表を作っているところを見ると、私はよほどの怠け者だったにちがいない。作って安心するものか、それまでして自分を戒めないと、とんでもない生活になる恐れからか・・・。受験生でもないのに、未だに机の前に計画表とやらを貼っていることがある。ついこの間もそうであったが、いずれも軟弱な意思力で、きわめて簡単に放棄している。ひとつには、自由業というせいもある。怠け者になろうと思えば、限りなくなりきるのである。特に雨の日のオフ日は、特異の1日を過ごす。ベッドの上で読書三昧をする。これも特に脅迫観念があるわけではないので、本が顔の上に落ちていることしばしばだ。どうしてこういうことを書くかというと、今日、私の友人がポケットからメモを出してチェックをしている。ニマッとしてしまう。見せてというと、彼女は、笑ってメモを読み上げる。
 朝、エッグスベネディーとトースト。洗濯。花を摘む。Kに電話、Mにメール。枕カバーの取替え。ノート購入、塩、砂糖、牛乳・・・・。プラントに水。ゴミ日。ネイルカット。クリーニング受け取る。海苔注文する。心理学の読む。
 私の場合は、忘れるからメモをするのだが、彼女の場合、どうなのか聞き忘れた。しばらく手帳に書き込むのがとても嫌になっていたが、やはりポカをしそうで怖い。
 1日の行動は、仕事を中心に、よほど大富豪や世界を飛び回るビジネスマンなど特殊でない限り、そう大差はないが、誰かが、行動表をチェックしているのを見かけたりすると、親近感を覚える。手帳を使いたくない「逃げたい病」にかかっていたが、今日、新年が開けたので半額になっていたクレージュの手帳を購入した。今、それに記憶を移すのがおっくうになっている。しっかりしないと・・・。


1月20日(日曜日)

 頭痛がします。バッファリンはどこでしょう。
富山はんごんたんはどこにいったかなあ。あの入れ薬っていうやつは、とても
面白いものですね。使わないでよろしいですから置いてくださいって言ったって、結局、集金のときは使っているということになる。
使うのは、どうしようもない時だけだが、風邪薬と鎮痛剤だけ。薬にこのところ無縁だったのが、頭痛です。さ、あったかいミルクでも飲んで寝ます。
日頃薬を飲まないので、効き目は抜群かも。具合が悪いときは、ホームドクターに「元気になるように注射をして下さい」と・・・・。
そのドクターの顔はとても柔和。うん、うん、うんとしか言われない。
なんともおだやかな先生。・・・・ま、ぐだぐだ言わないで、寝ます。


1月21日(月曜日)

 今日はよく集中して仕事をした。久々の集中。夕方から買物と食事の用意をした。寒くなったので、犬に洋服を着せた。
子犬の時の洋服を猫に着せようとしたが嫌がられたのでやめた。サラム(ダックス)の洋服は、黄色のフード付き。緑の縁取りがとても洒落ている。昔の人が見ると、「おいおい、気は確かか?」と言うかもしれない。過保護だなあ。今の子供たちのようだ。手がかけられるからかもしれないが、とにかく何一つさせないものね〜・・・・。ナイフを使おうとすると、「あっ、あぶないわよ〜、手を切るわよ〜」と。逞しく育つはずがない。あらら、こんなことを書いていたら、妙なことを思い出した。うちの遠縁は、夫に靴下を履かせていた。その時思いましたね、ああ世も末。夫の職業を考えたら、ちょっとね〜、職業とは関係ないけど、やはりまずいよ。うちの犬はまだいいね、さっきから着心地が悪いのか、足で洋服を脱ごうとしている。ま、どうでもいいけど、野生は野生のままがいいということか・・・。今日も夜が来た。寝ますよ、またぐだぐだ言いそうだから・・・
ね〜。


1月22日(火曜日)

 とても落ち着く気分になる11時過ぎから、私は机につくことが多い。
そういう気分の時は、11時までに、ゆっくりバスに入れれば最高だ。
お湯は熱め。本当はよくないのかもしれないが、熱いのが好きだ。そして半身
浴がいいらしいが、私は肩までつかるのが好きだ。疲れているときは、お風呂
の中で眠ってしまうこともある。友人が「あなたは、お風呂で溺れ死にね」と
言うが、私は水泳は得意だ。特にバタフライが好きだ。(まわりに迷惑をかけ
るやつだ。でも、ダイナミックだからとても気分がいい)
一頃はよく水泳をしていた。腕が逞しくなった。外国にいたときは、朝から起きがけにプールにざぶんということが多かった。ホームステイ先にプールがあったからだ。今考えるとすごいね。自分の部屋からプールだなんてね。
そしてホットミルクを飲む。

 なんだ、ここは私の家か・・・・・。
机についた途端に友人から電話がある。コンピューターのイヤフォン電話だ。
私はしばらく作業をしながら、話しているが、そのうち、お喋りのほうに力
が入る。そうやこうやの夜である。みんな仕事が終わってコンピューターの
前に座って仕事をしながら・・。三人で話すこともある。
「あ〜あ、結局、仕事が捗らなかった、寝ようか・・・」ということになる
のである。まったく時間の無駄だとお互いに罵り合う。笑える。

 そして仕事がのってくるのは、言えないくらいの時間になっている。
深夜に音楽を止めると、しんから〜んという音が聞こえる。これが私は好き
だ。冬の最中にベランダから空を仰ぐのもいい。月や星がむちゃくちゃにき
れいな夜がある。ホットコーヒーを片手に二階のベランダのテーブルに座る
と眠気が吹っ飛ぶ。猫も犬も私のお相伴をしてくれる。どういう意味だかわ
からないけど、二階のベランダの窓を開ける音がすると起きてくる。
ホットコーヒーの生クリームをなめるのが目的だろう。三匹とも生クリーム
が大好物だ。うん、今日もいつもの夜になりそうだ・・・・・・。



1月23日(水曜日)


 今日は、夜、フランス語の歌を聴きながら書類を整理していた。
それから、完全に物思いにふける・・・・・・・・・・・・・・

なんだかね〜

そういう夜です。
1月11日(金曜日)


某のメインテーマは、女性の内面、外面の美しさということらしい。
最近では、いろりろな生き方も語りつくされ、女であればだれしも女であるが故に、社会生活において、矛盾や理不尽な出来事に出会って考えさせられることがある。常にいろいろな場所で女性の生き方や意識の持ち方、職場での地位などの獲得もあり、社会生活の様々な問題点が女性の視点からとらえ直され改善されているし、女性史にあるような、指導者、支配者の男性中心の表の歴史の裏に女性の生活があるというようなものは、もはやみられない。むしろ、女性はどこまでいくのやらという感じがする。あえて言えば、心の安定という面での獲得は、これからだという気がする。フェミニズム的に言えば、愛情の表現や態度は、やはり女性の想像力や順応性も含めて男性と比べると、女性のほうが希望があり、男性は表現力に夢が足りないし、デリカシーも欠けているような気がする。最近、女性は充分に美しい。女性は男性の思考が外に伸びるのに対し、女性も自由自在に内にも外にも伸ばせるようになった。そういう意味では、女性がしいたげられた歴史ゆえに、充分と言えるほど、考える時間があったと言えるのではないだろうか。いまさら語ることもないだろうが、一つ言えることは、理不尽な思いがなかった女性は内面の温かさとか理知に富んでいるとかいうことはあまりないと思う。あまり甘えた生活をしてくると、内面の思考が輝くことがない。某誌の立ち読みで、「女性専科めざし、涙ぐましい努力をする男をおりた男性たち・・・拒食症が若い男性にも出現」とあった。
男性はいじめられ、鑑賞され、おとなしく家に閉じ込められ・・・女性が力
をつけてきた所以だ・・・と。
 この世はどこかでバランスを崩し始めた。やはり、すべてに極端というのは歪が来るということだろう。



1月12日(土曜日)


 世の中にある嘘で、かわいい嘘と、とんでもない嘘がある。
今まで誰しも嘘を一度もついたことがない人はいないと思う。かわいい嘘は、人に迷惑をかけたり、危害が加わらない嘘である。とんでもない嘘とは、そこには、何もない事実から、完璧に自分の利益になるような嘘を作り出し、おまけに人を悪者に仕立てたり、落とし入れたりできるように創作した物語を言いまわり、それをたくみに操作し人を信じさせるという嘘である。まあ、そういう嘘がつける人がそうそう居たら困るし犯罪にも近いのだが、そういうのに引っかかるのは間違っても誉められたことではない。
 まさしく、そういう嘘を信じさせることのできる人というのは、嘘つきの天才か詐欺師だと言える。さて、そういう嘘を暴露しようとするにあたり困ることがある。言った、言わないの水掛論になるからだ。当然うまく逃げるのは、嘘つきの天才のほうだ。しかるに、第三者が嘘つきを判断するのは誠に難しくなる。物事の判断というものは、自分に降り掛かり、自分で事に当たり、自分の目で確かめないと明らかにならない。「そうらしい」ではいけないものが多々あるのだ。一般的に、育ちの良い人というのは人を疑うことを知らない。疑いを知らないほうが純粋でいいとも言うが、もちろん騙される。とんでもない嘘をつく人は、インセキュアーな人が多い。それは、初めはこうなりたいという空想の世界から始まる。そして、こうだったらいいという自分の切望が、「こうだ」ということになっていき、いつのまにかそれが本物と同じ感覚になっていく。自分に対する自信のなさや不安に恐れているので、虚構の世界を創っていくのだろうと思う。まだ、そこまではかわいいが、それを利用して、信用を作るとしたらまずい。正面から物事に立ち向かわなくなる。自分に不利益な人、もしくは賛同しない人たちを悪く言う。人の指摘は無視し、反省も感謝もない。虚栄心が強く支配意欲も強い。自分のテリトリーに入れておかなければ不安になるのだ。ごたぶんにもれず人の弱みを握るようなことで満たそうとしたり、まっすぐな生き方ができないと、自分は挫折しているという感じを抱いているので、失望を他者に投影することもある。自分自身が卑怯なのに他者が卑怯だと思い、すべてを他者のせいにしてしまう。
 私は昨日は、友人の出合った、とんでもない詐欺師に出合ったという相談で久しぶりにカッカした。ま、いつもそういうことがあるのはかんべんしてほしいが、私も頭に来ることもあるということだ。

1月12日(土曜日)続編


 オペラのコンサートに行った。楽屋へ行って懐かしい人たちと話したので、とても嬉しい時間も持てた。
プッチーニの「歌に生き、恋に生き」
ヴェルディ/歌劇リゴレットより「リゴレットとジルだの二重唱」
C.Aビクシオ/生きる・・・・
満足だった。



1月13日(日曜日)



「孤独と絶望だから不条理なの」

「う・・・」

「生きることに期待や、求めや、切望もあまりしないから不条理なの?」

「む・・・」

「不条理だから絶望や孤独なんじゃない?」

「?」

「不条理だから、生きることに期待や求めや、切望もしないんじゃないの?」

「・・・・」

「なにが孤独や絶望に陥れているの、それが重要なんだと思うが」

「それを考えるのが生きるってこと?」

「なにが不条理の正体?孤独や絶望が先にあってそれらを憂える前にそいつの正体を調べなくちゃ」

「そうだけど、・・・・・・・・・・・」

「シーシュポスの神話は教訓の一つだが、孤独や絶望や愛などという言葉の雰囲気に流されんことが大切じゃ」

「書けなくなります」

「それにしても生きてるってことは面倒なもの」

「ほとほと嫌になるけど・・・・」

「それが、いまのところの答え」



これが師匠との会話。



1月14日(月曜日)


 今日は、何気なく手に取ったファイルに自分が昔、書いたエッセイの切り
抜きや雑誌に書いたエッセイのファイルを読んでいた。その雑誌には18年
書いたのだが、とにかく読んでいるとびっくりするようなことを書いている。
今は、昔の無謀さと無防備はいらないが、文章の切れとリズムを取り戻した
いと思いながら笑った。


某月某日 私の友人が言うには、7年くらいおきに身体が新しい細胞に変わり、そにに伴って、考え方やライフスタイル、その他もろもろのものが変わ
るという。私も確かにそう思う。細胞が変わるかどうかは知らないが、一つ
のことを7年も続ければ、そのことへの総括が自然と必要になってくる。う
まく改善できれば、それでよし、できなければ、方向を変えなければ居心地
が悪くなってくる。ともかく、人は何年もそのままということはないのだから、常に人に対しても自分にも礼儀正しくしていないと結果がよろしくない。原因があり、結果があるというのが自然の摂理ですから、自分で分かる以上
に自然の法則は正確で、正しいもののようです。

某月某日 最近やたらと結婚したいという人が私のまわりにいる。付き合っ
ている人がいるけど、彼が結婚をしたいと思っているのか、そうでないかわ
からないらしい。女はね「お願いです。何でもしますからどうぞ結婚して下
さい」と言わせるくらいじゃないと。女が結婚だけにとらわれると、その男
が見えなくなる。気に入られるようと思うからだ。女は自分の言いたいこと、したいことを男の前で言えないといけない。どっちみち、男は巣を造りたがる。女がいかに最初にヘゲモニーを握るかにかかる。それを失敗すると、一生、男につくすはめになる。初めが肝心です。偉そうに私は言えませんがね
・・・・・・・



と、まあ、
某月某日と書いたものは、「いきあたりばったり」というタイトルで書いて
いた18年も前の文章のほんの数行だが、もう、とにかくギョッ。
自分でも穴に入りたい気分になった。それから、ファイルをざっと、十冊く
らい拾い読みをしてしまったわけだが、自分でもあきれた。今もそう変わっ
ているとは言えないが・・・・まちがってもこういうふうに、言い切るとい
うことはできなくなった。なんだか、頭を抱えそう。今でもなんだか、頭痛
がする。・・・・・・・



1月15日(火曜日)


仕事で先程帰宅した。
仕事場から車に乗る。雨がしとしと降っている。当然真夜中、コンビにの明かりやネオンの明かりが見えるだけで空は暗い。冬の雨は、なんだか体に応える。いや、気分的にかな? 仕事場から家まで車で30分。夜の道路工事が最近やけに多い。寒空の雨の中で仕事をしている人たちの表情を見ようとするが、なんだか機械的にしか見えない・・・・。
生活の中に、働くという事、食べるという事は欠かせない。なんだかね〜。
いつまで働かなければならないのだろうかと、夜の車の中で、ぼんやりと考えた。夜中には携帯電話が鳴る。同じように仕事に疲れた友人たちのぼやきの電話だ。仕事から人生のこと、その他もろもろの話題に飛び、また、仕事と人生の話に戻る。そうやこうやで、長旅のような気分で自宅の駐車場に着く。
それからキッチンに立つ。そして今日やり残していることを少々して、しばらくすると、「もう、今日は止めた、もう何もしないぞ〜」という気分になる。

何か楽しいことはないのだろうか。自分の求めているものは何だろうかと今日
もベッドの中で考える。そういうことだ。今日、初めて日記らしいことを書いたと思う。明日も仕事だ・・・・。



1月16日(水曜日)


今日は朝から仕事。ランチは友人と待ち合わせて某ホテルで。女性客ばかり。
私が「ここは女性客ばかりだね」と言うと、「当たり前じゃないの、きょうび男性は、五百円のラーメンやうどんを会社の近くで食べても、主婦はそんなことしないの、豪勢なの。千五百円のランチを召し上がるのよ」とすました顔で言った。私が「何故よ」と言うと、彼女があきれた顔で、「私たちとは違うのよ、彼女たちは、夫の財布を握っているでしょう。どうにでもなるの。夫は小遣いの範囲の中でやりくりしているけど、彼女たちは違うのよ。それだけ女性が強いの、男は管理されて、しいたげられているのね、少なくともここに来ている女性の夫はね・・・」と、ステーキをぱくり。
「ね、少々、意地悪な顔になっていない?」と言うと「なによ、ものを書いているくせに、そんなことを私に聞くなんてね〜、見てよ、仕事の合間に時間を気にしながら、打ち合わせをしながら食べる私たちと彼女たちの差を。ゆったりしているでしょう・・・。あ〜あ、ホントに嫌になる」と彼女は醒めた顔で私をギロリと見た。「だからここには男性がいない」と力説する彼女に、私は、苦笑いをした。今日も疲れた。
 夕方、家に帰って最初に見るのが郵便物。あらら、請求書ばかりじゃないの。まったくこれだからいやだ。携帯電話の請求書を見たら、驚くのと同時に納得した。まあ、ちょっと金額を言うと普通は「馬鹿だねえ」と言われるのでここには書かないが、片手はいく。(書いているじゃないの)あぶない、あぶない。この理由は、彼女より私のほうが説明できる。他の人はどうだか知らないが、私の場合、悩み事があると携帯電話の使用料金がばか高くなる。そうでない月は、しっかり自分のやるべきことを黙々としているということになる。精神のバロメーターは携帯電話の使用量。そして、悩みの渦中にいる時は食欲は低下するが、少し居直ると、食欲が増す。今日もよく食べました。携帯電話と食欲、お金のいることばかりじゃないの。悩んだ上にお金を遣う。ご苦労さんなことです。

イメージ 1

FM佐賀1スタにて★ゲストの武雄市長 樋渡啓祐氏




http://jp.youtube.com/watch?v=mq5pLi0huhw&feature=related
音楽をどうぞ〜★音楽は気分で入れ替えております。




2008年になって、ぶろぐに対しての意義を考えるようになった。エッセイや短編を掲載したりもしたが、日頃書くことをしているので、ぶろぐにまでそういうものを書く必要がないのではないかと思い始めた。ぶろぐはそもそも日記みたいなものだと思っていたので、ここでエッセイや短編を掲載するのは、もう辞めようと思っている。日記というのはもともと自分の記録であるので、公開では当然、限度がある。しかし、気を遣わないという意味では最高に気楽だ。
 そう思って、これから日記のようなお気楽なものを、思うままに書いていこうと思う。それを、一週間のスパンにして、一週間分を付けたししながら一枚にすれば、月四枚の写真でいいということになる。写真が不得意の私には、これでひとまず問題は解決する。ということで、これから、毎日のダイアリーに変更したいと思う。ま、そんなに面白いことを書くわけでもなく、普通の日記ですから、期待はなさらないようにもお願いしたい。要するに、私のささやきとというか、つぶやきというか、ぶつぶつというか、そういうものになると思います。またこう言いながらも、日記も飽きるときがくると思います。
気まぐれですから・・・・。
というわけで、どうぞ宜しくお願いします。



1月7日(月曜日)

 朝から目覚ましはかけているのに、いつの間にか止める習慣がついている。目は覚めるのだけど、覚めてからベッドのなかでのごろごろニャーゴロが楽しい。そういう時は、な〜んにも考えていない。とても幸せな時間だ。しかし、朝早くから電話がかかり、それが仕事関係の電話であったら、ドキッとする。そして寝ぼけた声で「今日なの?」
と叫ぶ。相手は、「明日の打ち合わせです」といつもの落ち着いた声で言う。「もう、脅かさないでね」と私は言う。相手は「すっぽかしの常習犯ですからね」と。そうか、相手はそういうふうに私を思っていたか・・・。常習犯ではない。すごいことを二回だけしてしまっただけだ。許されているのが嘘のようだ。一年前までは、私のスケジュールブックはすごいものだった。このすごいというのは、笑えるようなことだ。9時、誰々さんに電話。仕事3時終わって、何々を購入。お礼状を書く順序。どこそこへ寄るために時間を損失しないルートの為に、Aに寄り、Bに寄る。決して、Aに寄りCに寄りBはなかった。宝くじの当選日だとか、テレビの録画の予定など。
 しかしだ。最近は、まったくスケジュールブックに書き込まなくなった。記憶をするようになった。これがまたあぶない、あぶない、と人は思うので、電話をひんぱんにしてくれるようになった。「明日ですよ」と。
しかし、私としては、「今日だよ」のほうがいいな、「明日のことは、忘れてしまうかも、怖いなあ、その日の朝」がいいなと知らず知らず言ってたようだ。だから、朝早く「今日だよ」にだいたいがなっている。だから、朝の電話に飛び起きるのだ。よって、心臓がばくばくすることが朝から多い。
 そして、思いもよらず、本当に「今日だった場合」、布団をはねのけ(羽毛なので軽いからこの表現はまずい)ベッドから飛び降り、そのまま階下へダダダ、そしていつも階段を踏み外しそうになる。(踏み外したとは決して書きたくはない)そして、シャワーへ。
 去年までは、時間を逆算していた。食事の時間、金魚に餌、仏様におご飯とお茶とお水。犬の散歩。新聞の切り抜き。
 ところがどうだ、(いばるな!だ)私は最近、A型からO型になったらしい。(これは、親しいまわりの人の評価だ)ぴりぴりはしていないので、いいのかわるいのかわからないが、メモをするというのがとみに嫌だ。メモ魔の私がそうでなくなった。変われば変わるものだが、飛行機の時間もそう、らららら?
 そのうち、すみません、私の飛行機はどれでしょうと、カウンターで聞かないで済むようにだけはしたいと思っている。それには手にメモだな・・・。手が真っ黒けになるのは仕方ない。昨夜も私のお手は真っ黒け。学生さんも手にメモをしているようだが、悲しいことに学生ではない。「手に書いたメモをどうか覚えようとしないで、スケジュールブックにメモしてね」と今朝は、私に言い聞かせたのだ。「ああ、車検の約束はいつだったっけな〜」と、ついに電話した。
では、また明日にお目にかかりましょう。瑠





1月8日(火曜日)

日記を書くと約束したが、どうも夜はテンションが下がっていけない。
さっき仕事から帰宅したばかりだ。因果な商売だ。今日は締め切りが一つある。もう書かないで眠りたい気分だ。さっき、遅めの食事をとった。遅め? 朝の食事ということにしよう。テンションのことだが、やはり朝は気分は爽快だ。これは明るいからだと言っておこう。夜になると暗い。当たり前のことだが、この書斎は物音ひとつしない。だからたまに音楽をがんがんかけることもある。テンションハイになるためだ。そして踊り出すこともある。あはは、疲れた頭は何を書き出すかがおもしろい。遅めの仕事を終え、車に乗ると、やはり音楽を聴く。そして、物思いにふけることになる。考えることは一つだ。これは私の秘密なので、公言することは控える。
 さて、今日はFM佐賀で二本の収録した。私の番組は30分番組だ。
 今日のゲストは、いまは飛ぶ鳥も落とす勢いの武雄市長の樋渡啓祐氏と佐賀の銘菓、まるぼうろの老舗、株式会社北島の社長、五代目香月道夫氏。
 打ち合わせはまったくなし。雑談からそのままスタジオへ。武雄市長の写真は、市長自らポーズをとって下さって。「ぶろぐへ載せていいですか?」「もちろん」とお返事をいただいた写真だ。「僕もぶろぐに載せますよ」と。樋渡市長は38歳。(日本の市長では最年少)身長185センチ、78キロだそうだ。市長のぶろぐは毎日の訪問者は20万を越えるそうだ。発想の転換がすごい。二度目のインタビューだが、最初から感性のするどさを感じた。武雄の市役所には、がばいばあちゃん課、レモングラス課があるというところから驚くことになると思う。いまや武雄は「がばいばあちゃん」のロケ地でもあり、それにちなんで、最高年齢91歳の歌手もいらっしゃるアバからもじった、「ガバ」というグループがあり、その曲とダンスが大評判。CDの売れ行きもよく、タワーレコードにも置かれることになった。市長は、地元の武雄高校から東京大学そして、総務庁入庁、その後平成18年に武雄市長に就任。好きな音楽はと尋ねると「POLICE」の曲。好きな言葉は「LET IT BE」だそうだ。市長は、本の出版もベネッセから決まっている。あとは、今年の紅白歌合戦に、どうかガバを出演させて下さい。みなさまお願いします。私が市長をすごいと思うところは、行動がある。口だけではない。

 北島社長とは、シュガーロードとお砂糖のお話。まるぼうろの歴史をドイツ留学時代の頃と折り合いながらのお話になった。ドイツでのオペラ鑑賞と絵画鑑賞。ヨーロッパの建築と色づかいについてのお話だった。ミュンヘンで香月氏がまるぼうろをみつけて味見をされたときのお話はとても記憶に残るものになった。ミュンヘンではエスプレッソの立ち飲みカウンターでまるぼうろを食すらしい。味はといえば「さとうがまぶしてあったので甘かった」と、可笑しそうに笑われた。



★写真はFM佐賀の1スタで収録前の樋渡市長
武雄市長物語ブログ http://hiwa1118.exblog.jp/

武雄市長のブログと武雄市のホームページにもFM佐賀の収録
の模様が8日付けで広報してありました。感謝いたします。

武雄市のホームページhttp://www.city.takeo.lg.jp/
FM佐賀のホームページhttp://www.fmsaga.co.jp/
★FM佐賀のホームページもどうぞ宜しくお願いします。



笠原瑠璃子の「週末はざっくばらん」武雄市長のオンエアー
1月11日金曜日3時から。香月社長のオンエアー1月25日
金曜日3時から。





1月9日(水曜日)

友人からラベンダーやマリーゴールド、ローズの香りのするポプリやバス用品の差し入れがあり、花の香気を楽しんでいる。バスタブに広がる色と香りに満足しながら、パッケージの後ろにメモをしてある語録を読むと、あらら、恋は曲芸、恋の闇、恋は思案の外なのよ、惚れた病に薬なし、惚れて通えば千里も一里、恋に上下の隔てなし、縁は異なもの味なものと。これはこれは、どうもどうも・・・・・・笑った。
(嫌味かい?)では、夜も更けてまいりました。今日はゆっくり寝ることにします。みなさまもどうぞ素敵な夢を〜。今日のおともの本は、ニール・サイモン戯曲集。きっとベッドに運ぶだけでしょう。これがお得意の私の読書です。







1月10日(木曜日)


イヌの心理学というのを読んでいた。
――――つまり、外見は、身体的、精神的な健康状態の指標となるのである。たとえば、病気になったイヌや猫は、グルーミングをしなくなる。だから毛の艶を失う。そして痛ましい感じの生きものになってしまうということを強調していた。びくつくイヌの心理や、いじけた目のイヌ、媚びるイヌ。こういう本はあまり読まないが、なんとなく読むうちに最後まで読んでしまった。私も動物が大好きだが、一度大失敗をしたことがある。意図的にではなかったが、大きな荷物を抱えていてそれを愛犬の上に落としてしまい、それからかなり臆病な性格にしてしまった。よほど怖かったのだと思う。ちょっとした大きな声にも怯えてしまうので、ついつい過保護になった。すると今度は私が居ないと、しょんぼりする犬になった。「飼われる人により痛ましい印象のイヌになる」という箇所で、えっ、これはイヌの心理学のパロディ編かと思った。
散歩をしていると、寒空に土の上に艶のない毛並みでうつろな目をして座っている犬を見かける。近づいて行っても尻尾も振らないし、吠えもしない。餌入れを見ると水も入っていない。ストレスからか、そこらじゅうの土を掘りまくっている。今度はステーキを持ってきてやるから待っていてね〜、という気持ちと、よけいなお世話だわ〜、という気持ちとどっちがいいのだろうね。人も肌の艶や目の表情は、心理状態を知らせるものだというのは、言うまでもない。悩みがあると、だまっていても他者にわかるものなのだと思うなあ・・
・・・・・・。
 なんだかね〜、そんなこんなの夜でございます。今日は、夕食に鍋焼きうどんを食べたので、今頃お腹が空いてきた。確実に夜食になる。ちっちという友人が今から訪ねて来るという。私の他に自由人がたくさんいる。ま、昼間は仕事なので、話す時間がないというのが本心。電話ではまどろっこしいことが多い。ということで、日記なのか、なんなのかよくわからないけど、ピラフを作ります。美味しいお豆腐があるので、味噌汁と。これだから不規則な生活と言われるのだよ、ね〜。







 

 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事