昨日、耳を澄ませていると、つくつく法師の声を聴いたような気がした。
今年の夏は、殊の外暑く、体の皮膚の小さな孔まで目覚めたような気がする。毎日汗をかき、水分を摂取し、ノースリーブとカジュアルなパンツでひと夏を過ごした。暑さに対して体が慣れて、来る秋が、なんとも太陽の翳りを感じるものになるのではないかと思う。音楽も夏にふさわしい曲がある。この夏は、古いが、スタイリスティックや、PATRIZIOやボサノバを聴いて過ごした。音楽は日常の欠かせないアイテムである。
外に出るといろんな出来事に出会うが、研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、さまざまな人や出来事に出会い、いろんなものが見えてくる。にこりと笑えることばかりだったらいいが、そうでないこともある。自分を保つことは、やさしいようでむずかしい。
近所の川にアヒルが三匹。もう少し行った下流に二匹。
二階からおばあさんが、食べ物を物差しで押しやって窓から川に落としている。その行為は、日常的なものだと思われる。実は、私はそのおばあさんの姿を見ていないのだが、着物を作る時に用いる物差しを使うところを見ると、おばあさんは動くのが難儀なのだろうと想像した。おじいさんかもしれない…。私の勝手な想像である。
下で落ちた食べ物を食べているアヒル三匹の水かきが静かな水の輪を作っていた。
なんともいい光景だった。
たらいに水を入れて、手をつっこみ、水遊びをしたことを思い出す。
子供の頃は、手を入れて、真ん中あたりから、自分の体のほうへ手をかく。大人になったら、ちょっとは賢くなるのか、自分の体の反対方向へ水を押しやる。
思いの水は、なるべく、すぐに漉して、さらりと流したほうがいい。思いの水を溜めれば溜めるほど、飲まれてしまう。気配を消し、少しの波紋を楽しむほうがいい。
人知れず風鈴の鳴る裏庭の水桶に音波紋もありて★瑠
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