僕は仕事帰りにモールを歩いていた。クリスマスが近づいたこの季節は、人の足音が軽やかに聴こえる。いつもの本屋も心なしかにぎやかで、両手に緑や赤の包装紙の束とはみ出したパンを揺らして小走りに走る女性とぶつかりそうになった。僕は、入り口近くに置いてあるジャーナルだけを手に取ってレジに並んだ。犬を抱いた太ったおばさんが急に振り返って、ねえ、甘いものでも食べて帰らない? という会話を大きなカートを押しながら歩いているおじさんの間に挟まった僕が聞く羽目になる。僕は、モールをいつもすり抜けて住まいに帰ることにしているが、他者の存在が目に入らないときもあるし、クリアーに一人ひとりの表情まで覚えていることもある。どうやら、今日は、他者のことが目に入る日らしい。
階段を上がった角のコーヒーショップの前に来ると、いつもの風景が見える。イルミネーションの通りが西と東に向かってずっと伸びている。僕は、ある種の感覚を自覚しながら、角のコーヒーショップを振り返って見た。そのお店は、僕がこの町に来た時からずっとそこにあり、夕暮れに空いた席を見つけたことがない。彼女と別れてからそのドアを開けることがなかったが、愛嬌の良いgayが二人務めていて、洒落たジョークを飛ばしていたっけ。
僕は、彼女の入って来るほうを見ながら、ちょっと斜に構えた。
足を組むと、テーブルがわずかに持ち上がり具合が悪い。僕の足は、しっかりテーブルからはみ出した。丸いテーブルは、直径一メートルはある。
きっと彼女は真向かいに座るだろうと思った。
ドアを開けた彼女の膝下のフレアースカートから細い足首がのぞいていた。
彼女は、テーブルに座りながらやわらかく微笑み、ちょっと早いけど、メリークリスマスと言った。僕もその言葉をそっくりそのまま返した。
僕たちは、コーヒーを注文して、他愛もない話をした。
僕が彼女の話を聞いているばかりのときもあったし、その逆もあった。
しばらくして話しが終ると、僕はいつも彼女に、二杯目のコーヒーは? と言う。そして彼女は、いつものように右手をカップの上に軽く翳した。
どこにでもある夕暮れの風景、そしてどこにでもいるような二人だった。
いつかのある日、いや、正確に言うと最後の日だ。僕が二杯目のコーヒーは?――いつもの言葉を言った時、コーヒーカップをスプーンで軽く叩いた。澄んだ音がした。いつもの手を翳すのと同じような雰囲気、やわらかい表情だった。それから僕の顔を覗くようにして、時の魔法は、逃せば夢になり、ほんとうだったかさえ分からなくなるものだわと言って、可愛らしく笑った。怒っているようでも、悲しんでいるようでもなかった。
たったそれだけのことだったが――。
モールを抜け、階段を昇りきったところで、人の顔をきちんと覚えている日は、その言葉を必ず思い出す。
普段は仕事のことしか考えない僕が、その次の言葉も、その次も覚えている。まるで、とっておきのシーンのように。そして、クリスマスの最後のあの時の細い足首とコーヒーカップが一緒になって脳裏に浮かんでくる。
――ね、指を鳴らしてみて!
――なぜ? いいけど、こうかい?
――そう。その65分の1
――え?
――この瞬間とも言えない時間がsoulの生きる時間に比較する人生の時間…
――指をぱちんと弾く65分の1は、僕には分からないけど…
――人間が肉体をもって生きる時間はmomentにすぎないのかな?
彼女は、にっこり笑いながら指を鳴らした。
僕も、にっこり笑いながら、指を鳴らした。
そのシーンは、今の僕には、心の奥深いところに収まりすぎていて、そして、何かというときに他の物語の中にでもしっかり落ち着いた挿入の音となり、時々、彼女が目の前で指を鳴らしているような気になる。Merry Christmas!!
瑠璃子のメモ
わたくしごとではございますが、2012年の新年は、喪中につき新年の記事はアップすることができません。いつものようにコメントでお会いしたいと思います。感謝
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