笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

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11月3日分の加筆文章です。前回の記事にくっつけたかったのですが、
5000文字オーバーで、同じ場所に貼ることが不可能でしたので、残念ですが、新しい記事になってしまいました。


小さな軌跡さんのリクエストにより、英語の訳をアップしてくださいということで、やってみようと思います。それこそ、シルヴァスタイン氏の名作ですから、ショーペン・ハウアーの著にあるように、「訳者は、まったくけしからん」となるかもしれません。
村上春樹氏の訳で、新登場になっている話題の英文なので、これもまた偶然で、気が引けますが…。


私はその本をまだ購入しておりませんが、他者ブログで、タイトルについて記事になっておりました。とても興味深い記事でした。村上氏は、タイトルを「大きな木」としたそうです。英語をそのまま訳すと、そうはなりませんが、子供「少年」から見た木は大きかったのですね。「大きい」というのは、物理的にも、もっと深い意味でも。そう思いました。私は、この物語を「与え続けた木」としたいなあ…、と思っています。英語では、過去にはならないのですが、この物語の完結という意味で、過去にしたいと思います。




http://blogs.yahoo.co.jp/rurikokasahara/63131014.html
【11月3日の記事です】








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【与え続ける木】






かつて、森の中に一本の木がありました。
そして、木は、ひとりの少年のことを愛していました。


少年は、いつもその木に会いに森に遊びに来ました。そして、豊かに生い茂った葉っぱを集め、王冠を作って、森の王様気取りになって遊びました。

少年は、木の幹によじ登り、枝から枝に飛び移り、ぶらさがって遊びました。
りんごの季節になると、りんごをほおばりました。

少年と木は、かくれんぼもして遊びました。
少年は、遊び疲れて、木の木陰でねむったりもしました。

少年は、その木をとても愛していました。とても…。
そしてその木は、少年と会うことを楽しみにしていて、少年がまいにち来てくれることを心から幸せに思いました。

月日が経ち、少年はだんだん大きくなっていき、会いに来てくれない日が多くなりました。木はさびしく思いました。
そしてある日、少年が木会いに来ました。木はわくわくして言いました。
「ぼうや、おいで!私のそばに来て!昔のように、私の幹によじ登り、私の枝でぶらんこをしたり、りんごをほおばってくれないかい。そして、いつかのように木漏れ日もれる私の足元で遊んで幸せになっておくれ」
「僕は、そんな遊びをするのは物足りないよ。大きくなったんだよ」と、少年は言いました。「…、僕は物を買って、楽しみたいんだ。お金が要るよ。お金をくれるかい?」


「残念だけど、お金は持たないよ…」と、木は言いました。
「私にあるものは、葉っぱとりんごだけ。そうだ、ぼうや、りんごを持って行きなさい。そして町で売ってちょうだい。お金になるわ…。そうするとぼうやは、幸せになる」

さっそく少年は、木に登り、りんごを集めました。そして、去って行きました。

木はとても幸せでした。









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しかし、少年は、それからずっと木のところには戻りませんでした。
木はとても寂しく思いました。
悲しく思っているある日、少年が戻って来ました。
木は、あまりの嬉しさに体が震えました。そして、少年に言いました。
「おいで、ぼうや。私の幹に登っておくれ。そして、枝にぶら下がっておくれ。幸せになっておくれ」
「僕は、木に登る暇なんかないんだよ」と、少年は言いました。
「僕は、家庭を持ちたいんだよ。妻もほしいし、子供たちにも囲まれたいんだ。だから家がほしいんだよ。僕に家をくれるかい?」
「私は、家はもっていないのよ…」と、木は言いました。
「この森が私の家だから…。だけど、私の枝を切り離して、家をつくればいいわね…。そうするとぼうやは幸せになる」

少年は、木の言うように、木の枝を運んで行って、自分の家をつくりました」
木は、幸せでした。

しかし、少年は、それからまた長い間、木には会いに来ませんでした。

少年が会いに来たとき、木は、あまりの嬉しさに口が利けませんでした。
「…、ぼうや―。こちらにおいで。…、こっちに来て、遊んでおくれ」と、木はささやきました。
「僕は遊びには、年をとり過ぎていて、…、とても悲しい気持ちなんだよ」と、少年は言いました。
「僕をここから遠くへ連れて行ってくれるボートがほしいんだよ。僕にボートをくれるかい?」

「私の幹を切れば、ボートを作ることができる」と、木は言いました。
「…、それに乗って、遠くへ行って、幸せにおなりなさい…」
すると、少年は木の幹を切り倒して、ボートを作りました。そして、そのボートで、遠くに行ってしまったのです。
木は、少年の役に立てて幸せだと思いました。でも、ほんとうには、そうではありませんでした。








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そしてまた、長い、長い時間が流れました。
少年が木に会いに再び戻って来たのです。
「ぼうや、ごめんよ、ごめんよ」と、木は言いました。
「私はもう、ぼうやにあげるものが何ひとつないわ…。私のりんごは、幹がないから、育たない…」
「僕の歯は、りんごを食べるには弱すぎる」と、少年は言いました。
「私の枝もなくなってしまった。ぼうやが楽しくぶらぶらしていたのにね」と、木は言いました。
「僕は、もうあまりにも年老いて、枝にぶら下がることもできないよ」と、少年は言いました。
「私の幹がないから…」と、力なく木はつぶやきました。
「だからもう、ぼうやが、私に登ることさえできなくなってしまったわ」と、木は言いました。
「僕は木に登る元気さえない」と、少年は言いました。
「ぼうや、ごめんよ、ごめんよ…」木は、そっとためいきを吐きました。
「私に何かぼうやにあげるものが残ってさえいれば…。しかし、私には、もう何もあげるものがない。ただの古い切り株になってしまったわ。ごめんよ、ごめんよ…」

「僕は、もうあまり必要なものはないんだ…」と、少年は言いました。
「ただ、休むことのできる、静かな場所が必要なんだ…。僕は疲れてしまったんだ」
「それなら」と、木は言いながら、できるだけ背を伸ばしました。
「古い切り株は、腰を下ろして休むのにぴったりだわ。さあ、おいで!ぼうや!私に座っておくれ…。私の切り株に座って、そしてゆっくり休みなさい」
少年は、言われたとおり、ゆっくりと切り株になった木に腰を下ろしました。



そして、木は心から幸福でした。





【11月7日★瑠璃子のつぶやき・・・】




今日の朝・・・・

やはり、この物語をブログにアップした意味が分かりました。
昨夜、【小さな軌跡】さんと、【arm*t2*07 】、
前前日の【crazy_tombo】さんのコメント・・・
その他みなさまの・・・。
私もこの物語にはひっかかっていました。
何故ひっかかるのか・・。
何故切ないのか・・・・。
昨晩、小さな軌跡さんのコメントに答えながら、
なんだかなあ・・・と思いながら、これ以上書くと、炎上だなあ・・と思いながら。
でも朝になって、なんだ。・・・なんだかすっきり
言葉が出てきます。

切なくていいのです。
そして、分からなくていいのです。

どんな読み方でも、心にふと思い浮かぶことがこの
物語にはあります。


この物語は切ないのです。少なくとも私はそうです。
私は理屈ではなく、心の中を書くと・・・
木は幸せなのです。
しかし、少年は老人になっても幸福ではありません。学んだものがないからです。そこには、・・・・・・・がないからです。
・・・・は、反省でもいい。
・・・・は、愛でもいい。
・・・・は、思いやりでもいい。


だから、私が木を主人公にして訳したのは、ある意味、間違いでしょう。「意味は変わらないと思いますが・・・」
私が思うに、シルヴァスタインは、少年が主人公だろうと・・。
少年の小さいころから、老人で木の株に座るまでの
一生・・・。そして、最後の「僕はもう疲れたよ」という言葉。
やはりシルヴァスタインの意図は、きちんとあります。

愛【あえて愛と書くと・・・】が空しいのは、愛のないほうです。
愛のないほうは、何も感じないのです。木は口が効けません。
愛がないというと、とても言葉がおかしいですね。
でも、そういう経験をみなさんしているのではないかと思います。
この場合、木が愛があるというと、また論議になりますが、木は、幸せだと書いています。この木は、献身的な気持ちを最初からもっているのです。最初から・・・。
少年の切なさ空しさは、木とは関係はありません。・・・心が育たなかった。そこにこの物語の切なさがあります。だから、老人になった少年は、木の株に座るのです。

この本のタイトルですが、【大きな木】と、村上春樹氏はされています。
それも納得です。
【与え続ける木】でもいいのかもしれませんが、
英語の直訳です。でも、それでは、木が主人公になります。

やはりここは、少年が主人公としたほうが、ぴったり来るのだと思います。この論議は他のブログでもありました。宗教的には、【与え続ける】・・のほうが、・・・イエスさまを想像しますから・・。しかし、【大きな木】とした場合、その少年が主体です。なぜなら、少年から見たら、木は大きいものです。
木はそこからじっと動きませんね。動けない。だから、作者は、木というものを登場させたのでしょう。こうも考えられます。【大きなこころ】と。なぜなら、木はずっとそこで見つめ続けているものです。待つことしかできません。
少年は、最後にはもう木に要求をしません。疲れていただけではないのかもしれません。甘えられるただ唯一のよりどころだったのかもしれません。
木は本当は満足ではなかったのかもしれません。しかし、少年を愛していました。そして、少年は、愛されていることを知っていました。両手を広げて受け入れる木にたどり着いたのですね。

尚、このつぶやきは、あくまでも私の・・ということで、そうでないのかもしれません。

みなさまのコメントで、もやっとしていたものが見えたことに感謝します。私なりに気持ちがすっきりして、やはり、コメントのやりとりの中で、【時間とプロセスの中で】見えてくるものがあるのだなあ・・と思っています。他者との交わりは、だから素晴らしいですね。

子供の絵本です。子供は、子供なりの素直な心がわきあがってくるといいですね。大人は、自分の人生と重ねることもできるので、感動ですね。


みなさま、良き日曜日をお過ごしください。












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【The Giving Tree】

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【The Giving Tree】




Once there was a tree…
And she loved a little boy.



And every day
The boy would come
And he would gather
Her leaves

And make them into crowns
And play king of the forest.



He would climb up her trunk
And swing from her branches
And eat apples.
And they would play
Hide-and-go-seek.
And when he was tired,
He would sleep in her shade



And the boy loved the tree
Very much.
And the tree was happy.

 






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But time went by.
And the boy grew older.
And the tree was often alone.
Then one day the boy came to the tree
And the tree said, “Come Boy, come and climb up
My trunk and swing from my branches
And eat apple and play in my shade
And be happy.”
“I am too big to climb and play,“
Said the boy.
“I want to buy things and have fun.
I want some money.
Can you give me some money?



“I’m sorry,”said the tree,
“but I have no money.
I have only leaves and apples.
Take my apples,Boy,
And sell them in the city.
Then you will have money
And you will be happy.”
And so the boy climbed up the tree
And gathered her apples
And carried them away.
And the tree was happy.



But the boy stayed away
For a long time…
and the tree was sad.
And then one day
the boy came back
and the tree shook with joy,
climb up my trunk
and swing from my branches
and be happy.”



“I am too busy to climb trees,”
said the boy.
“I want a house to keep me warm,”
He said.
“I want a wife and I want
Children,and so I need a house.
Can you give me a house?”
“I have no house,”said the tree.
“The forest is my house,
But you may cut off my branches
and build a house.
Then you will be happy.”



And so the boy cut off her branches
and carried them away to build his house
And the tree was happy.



But the boy stayed away
for a long time.
And when he came back,
The tree was so happy
She could hardly speak.
“Come Boy,” she whispered,
“Come and play.”
“I am too old and sad to play,”
said the boy.
“I want a boat that will take me
Far away from here.
Can you give me a boat?”



“Cut down my trunk
and make a boat,”
said the tree.
“Then you can sail away…
And be happy.”
And so the boy cut down her trunk
And made a boat
And sailed away.
And the tree was happy…
But not really.








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And after a long time
The boy came back again.
“I am sorry,Boy,”said the tree,
“but I have nothing left
to give you―
My apples are gone.”
“My teeth are too weak for apples,”
said the boy.



“My branches are gone,”
Said the tree.
“You cannot swing on them―”
“I am too tired to climb,”said the boy.
“I am sorry,”sighed the tree.
“I wish that I could
Give you something…
But I have nothing left.
I am just an old stump.
I am sorry…”



“I don’t need ery much now,”
said the bou,
“just a quiet place to sit and rest.
I am very tired.”
“Well,”said the tree,
straightening herself up
as much as she could,
“well,an old stump is good
For sitting and resting.
Come,Boy,sit down.
Sit down and rest.”
And the boy did.



And the tree was happy.








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原作者は、シルヴァスタイン。漫画を描いたりする多才な児童文学者です。
この英文は、中学二年生の教科書に掲載されているものですが、
いつもこの英文を読む時、なんとも言えない気持ちになります。
いまだ、その気持ちがどういうものかを説明できません。
ただ、わたしのこころの中のどこかがちくちく痛みます。
そして、ふるさとの風に吹かれてみたくなります。


英文ですが、素直に読めます。どうぞトライしてください。
前回と前、前回に私の好きな物語を英文で掲載しました。これが最後だと思います。
二度ほど、ブログ【小さな軌跡】さんが日本語に訳してくださいました。今回もたぶんしてくださるのではないかと期待しております。

ほんとうは、この英文は、英語の持つ独特のニュアンスが心に響くものなので、訳してしまうと違うものになってしまうかもしれないと思っています。

…、どうしてふるさとの風に吹かれてみたくなるかは、本当のことを言うと、私は知っているのです。
しかし、それは心の奥の奥にしまって、強いふりをしているだけなのかもしれません。
この物語は、宙に暗記をしております。それは、覚えようとしなくても、こころの中に
一瞬にして、仕舞ったものだからでしょう…。
秋深い森に迷い込んだ時には、私もやはりこの少年のように、木の株にすわって、目頭を押さえるのかもしれません。














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 秋になって眠りが深いのか、12時頃に眠ると熟睡で、朝早く目が覚める。誰かが、「それは年をとった証拠だよ…」と呟いていそうだが、そうではない。あはは。夜は、寝る。体が求めているものは素直に受け入れる…だ。運動をしてもダイエットなどと言って食べないと、脂肪が燃えなくなってしまう。不思議なことだ。体が一番知っているというのは、この年になって思うようになった。心の軋みもそうなのかもしれない。気持ちで抑えていても、「どうしても、こうしても、ああなのよ…、」ということがある。昨日は、最近、なんだか憂鬱だなあ…、と思っていたら、一本の電話が気になっていたことが分かった。わずらわしくてしなかった。心のどこかにあったものだ。――まあ、そこにはいろいろと、相手に対する感情があって、そのことを忘れたふりをしても心が自動的にぶりかえしてしまう。そういうことは楽しいことではないことが多い。だけど、ふと、かけちゃえと思う瞬間があり、そういう時は、なんだかきちんと話せるもので、その電話の後は、爽快になった。嫌なことは、後回しにしたがるが、さっさとやれば、すっきりする。そんなものなのかもしれない。

 






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 新聞は朝に読むものだ。自分で書いていながら、あまににも当たり前なので、笑うが。私は、あとでゆっくりという場合が多い。ニュースなので、朝に読むのが普通だろう。しかし、そのニュースを知ってどうするの? と思うこともある。台風などの情報は知っていたほうがいいなあ。
 新聞や本の読み方という本もあるようだが、「あるのかなあ…」私は見出しを見るのが好きだ。そのあとの文章は、あまり読まないこともある。このふきだしは、読み手のほうではなく、送り側のほうの感覚なので、どういう傾向にあるかを見るのに役に立つ。あまり週刊誌は購入しないが、タイトルだけは見る。なんだか最近、「……いい死に方」「……の死生観」「笑って死ぬには」などのふきだしが目につく。そう思っていると、あるはあるわ。「お墓なんていらない」「わたしの葬式」「後悔しないための死」――さらに気を付けていると、「がんの痛みは怖くない」「死後のトラブル…」「長生きが幸せとは限らない」あ〜あ、とため息を吐く、そして、新聞を開くと、「公営団地1191人孤独死」と大見出し。またしても、あ〜あと思う。ここに書くと、炎上するので、書かないが、「そういうものではないよなあ…」と私は思う。なにか変だなあ〜と。

 人は、自分の死まで計算するようになったのかと、ふと思った。そういうことは、やはり心の腹の括り方だと思う。あ、あまり書くと、自分が一番、死ぬ時に騒ぐかもしれないので、やめておこう……。先日、まだ亡くしてもいないものを、亡くしたらどうしよう……、と悩んでいると友人が意気消沈していた。う〜ん。








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 しかし、孤独死という言葉だが、なんともつかない。孤独死とは、「自殺、事件を除き自室で誰にもみとられずに死亡」という定義らしい。
 考えれば考えるほど、私にはピンと来ない。だいたい死というものをどこに定めているのかが問題だ。看取られないで死ぬことが孤独死…。看取られて死ぬのは孤独死ではない…。誰に? そういう意味では、私も孤独死ということになるのかもしれない。今の状態だと。^^しかし、いつ、どこで、どういう風に死ぬか分からないというのが常だ。家族がいても、誰も家に居なかった…、ということもあり得るだろう。これは病気をして、ある程度のことが分かっているという定義なら、理解できる気がする。「孤独死にならないために結婚するわ」という本が出たら、私は、まず一番最初に本を購入する一人になると思う。あはは。熱くなってきたので、もう少し書こう…。「人は何のために生きているか?」という本なら、ちょっと手にとってみたくなる。しかし、「孤独死をしないために」というハウツー本が出始めたら、怒るよ。ドタン。
生き方というのは、そういうものではないし、生命というのは、そういうものでもない。生きるためにこの世はあるし、最後が来たら誰でも死ぬのだ。あ、今日は過激だなあ…。鍛えるという言葉は、おたおたしないためにあるのかもしれないと思っている。 




【ちょっといいお話】


 毎日、母のホームに行って、目の不自由な母に夕食を介助している。そうすると、同じテーブルの人たちが、私に「お母さん、私にも食べさせて! その人ばかりを食べさせて!」と言ってくれる。私はそれが嬉しくてたまらない。
 
 煩雑な日常の中で、私はホームのひと時がここ四年で私をつくってくれたと思っている。追加だが、人の終焉は、ハウツーものにあるようなものではないと思っている。とても愛おしいものだと……。断じて思う。



感謝







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 またしても英語かと思う方もいらっしゃるかもしれません。英語の嫌いな人は、スルーしてください。^^この英文は中学生の教科書に掲載されているものです。この英文にも随分昔に出会いました。とても深いものがあります。







【Can Anyone Hear Me?】







 There was an old shrine in a village.
One day a storm came and washed the shrine away.
The next day people looked for the shrine. But they only found a big hole.But they only found a big hole.People looked into the hole.It was deep and dark.

Someone called into it, “Hello? Can anyone hear me?”


No echo came back.
A boy threw a stone into the hole.
He listened,but there was no sound.

People heard about the hole on TV.They came from far away to see it.


 One day a man said to the people of the village, “I’ll build a new shrine for you.But you must give me the hole.”The people of the village agreed.The man advertised the hole as a new dump.

People gave money to the man and dumped things into the hole.They dumped garbage,Test papers,old love letters and so on.
Trucks came from many places.They dumped industrial waste,nuclear waste and many other things.


A few years went by,but the hole did not fill up.
People stopped worrying about garbage because they now had the perfect dump.


The sea and sky became clean and beautiful.The village became a city.
One day a young man was working on the roof of a new building.He heard a voice from the sky.
“ Hello? Can anyone hear me?”it said.


He looked up,but he only saw the blue sky.
He started working again.

Something fell down from the sky and hit the roof near him.But he did not notice.

It was the stone!!





瑠璃子のメモ・・英文がきちんと整列しておりません。見苦しいですが、宜しくお願いします。



【曲のご紹介】


[What’s going on ]
吉田次郎★メイド・イン・ニューヨークCDより。
Jiro Yoshida*electric&acoustic(nylon)guitar
Andy Ezrin*acoustic piano
Matt Garrison*electric bass
Gene Lake*drums
Ole Mathisen*tenor sax











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秋のひとりごと★

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 今日はちょっといいお話を書きたいと思う。――と言っても、私の場合は、常に自分のつぶやきだけを書いていると思う。だから時間をかけたことはない。ブログを書く時は、何も考えなくて、さっと書くことが多い。あまりテーマもないことが多い。「ただこんな感じで…、というイメージだけが気持ちの中にあるだけだ」あとで、コメントを見て、自分の書いた文章に後悔することもあるが、文字によって、自分の心を流している時のほうが多い。感覚的だがいっぱいいっぱいになる前に。だからある意味、溜まり始めたときにブログは書くことが多いようだ。
 

私は文字について、考え込むことがある。それは、表現のよしあしではなく、その文字からかもし出すエネルギーのようなものなのだが、それがこの年になって、かなり感じるようになってきた。文字は、新聞を通して、本を通して、手紙を通して。「この際、書類などのたぐいは別とする」もちろん、ブログのコメントからも記事からも。

 






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エネルギーと書いたのは、その他の言葉が見当たらないからだと思う。その文字を書いた人の雰囲気が伝わる。しかし、書いた本人と出会ったとしたら、イメージとは違うことが多いのだが…。なぜなら、人間というのは、ビジュアル的に姿から来るイメージのほうが強いからであろう。文字は、気持ちや心とつながっていると私は思って来た。そうなると話す言葉はどうなのか…。これもその範疇かもしれないが、これは相手が居て喋ることで、相手のエネルギーも関係することになるのかもしれない。

 

文字――
私にとっては不思議な存在だ。私は、書き手に恋をすることが多い。
文字に恋をする。笑えるが…。それは、人間が文字を書いているからだと思う。本屋で、良書を見つけた場合には、楽しくなる。まるで恋をしている時の気分だ。ちょっとしたフレーズでは内容は分からない。しかし、ぱらぱらとめくって、その一行に恋をすることが多い。だいたいの当たりをつける。よくよく考えると、自分の考えとまったく違う本は、手に取っていないようだ。自分の考えをなぞるように癒し、そして、確認させてくれるもののような気がする。



最近もまた恋をした。【誰も知らない「名画の見方」】という本に。読んでしまうと、また次の恋を探すのも楽しい。【誰も知らない「名画の見方」】は、「目」について書いてあったので、興味を持った。【瞳はたんに外光に反応する肉体の一器官としての「目」ではなく、内部に精神を宿した「まなざし」となる。そのとき画家は、自分が見た対象としてではなく、画家を見ている「人間」を描くことに成功したのである】と。
目は、私も常に人の顔の中で一番興味があるものだ。その目がすべてを語るだろうと思うからだ。








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 私の読んでいる新聞のある記事にも興味がある。筆者の名前を調べたいくらい好きだ。毎日その部分を読むのが好きで、その新聞を好きになった。書き手は、どういう人なのだろうと想像する。時々、同じようなことを考えていたり、また、私の及びもつかないことを書いてあると嬉しくなる。私と同じ年の頃だろう。いやもう少し若いかなあ…と。人も時代の産物であるから、想像がふくらむ。こんなことを書いていて、ふと笑える。「念のため、文字だけの世界ですから…、どうぞよろしく」^^

しかし、男性か女性かは、すぐ文章で分かる。不思議なものだ。その彼の文章に、シルヴァスタインの絵本のことが書いてあった。私も日頃からこの絵本のことは気になっていた。ずっと前から。これは、大人になってからもっと気になるものになった。すると、村上春樹氏が訳本を出しているということを最近知った。この本は、中学生の英語の教科書に抜粋してある。私は、二十年前ぐらいからこの教科書を使う機会があるので、常にこの英文に出会うと、学校の先生は、この文章をどのように教えているのだろうかと思っていた。「まさか、英訳だけを教えているのではないだろうな…。文法だけを教えているのではないだろうな…」と。


 もう二つ気になる英文があるのだが、それは次回とその次のブログでアップしたいと思う。







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【The Fall of Freddie the Leaf】





Spring came.
Freddie,the leaf,was born on a branch of a tall tree.
Hundreds of leaves were born on the tree.
They were all friends.
Together they danced in the breeze and played in the sun.


Daniel was the largest leaf and Freddie’s best friend.
He knew many things.
He explained that they were part of a tree in a park.
He also explained about the birds,the sun and the moon.


Freddie loved being a leaf.
Summer was especially nice.
Many people came to the park,
“Let’s get together and give them some shade,” said Daniel.
“Giving shade is part of our purpose in life.
Making people happy is a good reason for living.”


Old people sat under the tree and talked of old times.
Children ran around and laughed.
It was fun to watch those children.


Summer passed and fall came.
Soon the leaves changed their colors.
Some turned red and others turned yellow.
Freddie turned purple.They were all very beautiful.


One day a strange thing happened.
Some of the leaves were blown off by a strong cold wind.The leaves
became frightened,
“What’s happening?”they said.


“It’s the time for leaves to change their home,”Daniel said.
“Some people call it dying.”
“Will we all die?”Freddie asked.
“Yes,”Daniel answered.
But his friends started to fall one after another.Soon the tree was
almost bare.


“I’m afraid of dying,”Freddie told Daniel.
“We’re all afraid of things we don’t know,”Daniel said.
“But you were not afraid when spring became summer,or when summer
became fall.Changes are natural”.


“Will we return in spring?”Freddie asked.
“I don’t know,but Life will.
Life lasts forever and we’re part of it,”answered Daniel.
“We only fall and die,

Why are we here?”Freddie asked again.
Daniel said, “For the friends,the sun and the shade.Remember the breeze,the people and the colors in fall.Isn’t that enough?”


That afternoon,Daniel fell with a smile.
Freddie was the only leaf left on his branch.


The first snow fell the next morning.
The wind came and took Freddie from his branch,
It did not hurt at all.


As he fell, he saw the whole tree for the first time.
He remembered Daniel's words,“Life lasts forever.”


Freddie landed on the soft snow.He closed his eyes and went to sleep.
He did not know this.
But,in the tree and the ground,there were already plans for new leaves in spring.




 やはり気になる物語です。

★文字が整列しておりません。ウイッキーさんが機嫌が悪いようです。ごめんなさいね。












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牧水の歌集との出会いは、とても衝撃的なものだった。



行きて まだみぬ山をみん
このさびしさに
君は 耐ふるや



この牧水との出会いは、厳密に言えばとある人の電話の声であった。
出会いというのは、時があり、おそらく、一年前、いや一か月前でも心に響かなかったかもしれないと思うと、やはり時である。もうひとつ言いたいことがあり、このブログをアップした。先だって、自分でも忘れていた詩が牧水の詩と重なった。芹沢さんの詩である。


気がついたら
誰もいませんでした

慌てて呼んでも
黄昏があるだけでした

みなさん
これは
これは本当のことです
みなさん



詩★芹沢幸子




この詩が頭の中に浮かんだ時、私は自分の膝をポンと叩きたくなった。
詩というのは、その時の心にどう響くかということであると、つくづく思う。いや、響くというのではなく、本当に意味が分かるかということである。
彼女は一人を嘆いているのではない。そして、友人も沢山いるのである。牧水の「君は耐ふるや」というフレーズを聴き、私は心が熱くなった。そして大きく深呼吸をした。
これも孤独を言っているのではない。自分の道を光に向かって進み行くということだ。











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私はあわてて、芹沢氏に電話をした。彼女は私の解説に大笑いをした。さもありなんという具合に。そしてもう一つの詩を電話口でささやいた。
これには、まいった。私が涙した。そして、彼女が言った言葉だ。「あなたのその一言が聞きたかった」と。

彼女は私の大先輩で、その一言が、私を今夜、幸福にした。
「鬼婆」は、彼女が私に電話で朗読したものである。彼女の詩は、今夜、私の
心を捉えた。






「鬼婆」


わずかな偽善まで捨ててしまったら

もう本当の鬼婆になってしまう

胸に血の滴る様を見続けるだけの



そんな鬼婆に出会ったら

花束をあげなければなりません

腕いっぱいの花束をあげなければなりません








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いくとしつき

歩むのではなく

歩むときに

時を踏む



その影は

大きくもなり

小さくもなる



詩・瑠







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わが傷に秋風が触れただゆるやかな牧水の夢★瑠













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