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11月3日分の加筆文章です。前回の記事にくっつけたかったのですが、 5000文字オーバーで、同じ場所に貼ることが不可能でしたので、残念ですが、新しい記事になってしまいました。 小さな軌跡さんのリクエストにより、英語の訳をアップしてくださいということで、やってみようと思います。それこそ、シルヴァスタイン氏の名作ですから、ショーペン・ハウアーの著にあるように、「訳者は、まったくけしからん」となるかもしれません。 村上春樹氏の訳で、新登場になっている話題の英文なので、これもまた偶然で、気が引けますが…。 私はその本をまだ購入しておりませんが、他者ブログで、タイトルについて記事になっておりました。とても興味深い記事でした。村上氏は、タイトルを「大きな木」としたそうです。英語をそのまま訳すと、そうはなりませんが、子供「少年」から見た木は大きかったのですね。「大きい」というのは、物理的にも、もっと深い意味でも。そう思いました。私は、この物語を「与え続けた木」としたいなあ…、と思っています。英語では、過去にはならないのですが、この物語の完結という意味で、過去にしたいと思います。 【与え続ける木】 かつて、森の中に一本の木がありました。 そして、木は、ひとりの少年のことを愛していました。 少年は、いつもその木に会いに森に遊びに来ました。そして、豊かに生い茂った葉っぱを集め、王冠を作って、森の王様気取りになって遊びました。 少年は、木の幹によじ登り、枝から枝に飛び移り、ぶらさがって遊びました。 りんごの季節になると、りんごをほおばりました。 少年と木は、かくれんぼもして遊びました。 少年は、遊び疲れて、木の木陰でねむったりもしました。 少年は、その木をとても愛していました。とても…。 そしてその木は、少年と会うことを楽しみにしていて、少年がまいにち来てくれることを心から幸せに思いました。 月日が経ち、少年はだんだん大きくなっていき、会いに来てくれない日が多くなりました。木はさびしく思いました。 そしてある日、少年が木会いに来ました。木はわくわくして言いました。 「ぼうや、おいで!私のそばに来て!昔のように、私の幹によじ登り、私の枝でぶらんこをしたり、りんごをほおばってくれないかい。そして、いつかのように木漏れ日もれる私の足元で遊んで幸せになっておくれ」 「僕は、そんな遊びをするのは物足りないよ。大きくなったんだよ」と、少年は言いました。「…、僕は物を買って、楽しみたいんだ。お金が要るよ。お金をくれるかい?」 「残念だけど、お金は持たないよ…」と、木は言いました。 「私にあるものは、葉っぱとりんごだけ。そうだ、ぼうや、りんごを持って行きなさい。そして町で売ってちょうだい。お金になるわ…。そうするとぼうやは、幸せになる」 さっそく少年は、木に登り、りんごを集めました。そして、去って行きました。 木はとても幸せでした。 木はとても寂しく思いました。 悲しく思っているある日、少年が戻って来ました。 木は、あまりの嬉しさに体が震えました。そして、少年に言いました。 「おいで、ぼうや。私の幹に登っておくれ。そして、枝にぶら下がっておくれ。幸せになっておくれ」 「僕は、木に登る暇なんかないんだよ」と、少年は言いました。 「僕は、家庭を持ちたいんだよ。妻もほしいし、子供たちにも囲まれたいんだ。だから家がほしいんだよ。僕に家をくれるかい?」 「私は、家はもっていないのよ…」と、木は言いました。 「この森が私の家だから…。だけど、私の枝を切り離して、家をつくればいいわね…。そうするとぼうやは幸せになる」 少年は、木の言うように、木の枝を運んで行って、自分の家をつくりました」 木は、幸せでした。 しかし、少年は、それからまた長い間、木には会いに来ませんでした。 少年が会いに来たとき、木は、あまりの嬉しさに口が利けませんでした。 「…、ぼうや―。こちらにおいで。…、こっちに来て、遊んでおくれ」と、木はささやきました。 「僕は遊びには、年をとり過ぎていて、…、とても悲しい気持ちなんだよ」と、少年は言いました。 「僕をここから遠くへ連れて行ってくれるボートがほしいんだよ。僕にボートをくれるかい?」 「私の幹を切れば、ボートを作ることができる」と、木は言いました。 「…、それに乗って、遠くへ行って、幸せにおなりなさい…」 すると、少年は木の幹を切り倒して、ボートを作りました。そして、そのボートで、遠くに行ってしまったのです。 木は、少年の役に立てて幸せだと思いました。でも、ほんとうには、そうではありませんでした。 そしてまた、長い、長い時間が流れました。 少年が木に会いに再び戻って来たのです。 「ぼうや、ごめんよ、ごめんよ」と、木は言いました。 「私はもう、ぼうやにあげるものが何ひとつないわ…。私のりんごは、幹がないから、育たない…」 「僕の歯は、りんごを食べるには弱すぎる」と、少年は言いました。 「私の枝もなくなってしまった。ぼうやが楽しくぶらぶらしていたのにね」と、木は言いました。 「僕は、もうあまりにも年老いて、枝にぶら下がることもできないよ」と、少年は言いました。 「私の幹がないから…」と、力なく木はつぶやきました。 「だからもう、ぼうやが、私に登ることさえできなくなってしまったわ」と、木は言いました。 「僕は木に登る元気さえない」と、少年は言いました。 「ぼうや、ごめんよ、ごめんよ…」木は、そっとためいきを吐きました。 「私に何かぼうやにあげるものが残ってさえいれば…。しかし、私には、もう何もあげるものがない。ただの古い切り株になってしまったわ。ごめんよ、ごめんよ…」 「僕は、もうあまり必要なものはないんだ…」と、少年は言いました。 「ただ、休むことのできる、静かな場所が必要なんだ…。僕は疲れてしまったんだ」 「それなら」と、木は言いながら、できるだけ背を伸ばしました。 「古い切り株は、腰を下ろして休むのにぴったりだわ。さあ、おいで!ぼうや!私に座っておくれ…。私の切り株に座って、そしてゆっくり休みなさい」 少年は、言われたとおり、ゆっくりと切り株になった木に腰を下ろしました。 そして、木は心から幸福でした。 【11月7日★瑠璃子のつぶやき・・・】 今日の朝・・・・ やはり、この物語をブログにアップした意味が分かりました。 昨夜、【小さな軌跡】さんと、【arm*t2*07 】、 前前日の【crazy_tombo】さんのコメント・・・ その他みなさまの・・・。 私もこの物語にはひっかかっていました。 何故ひっかかるのか・・。 何故切ないのか・・・・。 昨晩、小さな軌跡さんのコメントに答えながら、 なんだかなあ・・・と思いながら、これ以上書くと、炎上だなあ・・と思いながら。 でも朝になって、なんだ。・・・なんだかすっきり 言葉が出てきます。 切なくていいのです。 そして、分からなくていいのです。 どんな読み方でも、心にふと思い浮かぶことがこの 物語にはあります。 この物語は切ないのです。少なくとも私はそうです。 私は理屈ではなく、心の中を書くと・・・ 木は幸せなのです。 しかし、少年は老人になっても幸福ではありません。学んだものがないからです。そこには、・・・・・・・がないからです。 ・・・・は、反省でもいい。 ・・・・は、愛でもいい。 ・・・・は、思いやりでもいい。 だから、私が木を主人公にして訳したのは、ある意味、間違いでしょう。「意味は変わらないと思いますが・・・」 私が思うに、シルヴァスタインは、少年が主人公だろうと・・。 少年の小さいころから、老人で木の株に座るまでの 一生・・・。そして、最後の「僕はもう疲れたよ」という言葉。 やはりシルヴァスタインの意図は、きちんとあります。 愛【あえて愛と書くと・・・】が空しいのは、愛のないほうです。 愛のないほうは、何も感じないのです。木は口が効けません。 愛がないというと、とても言葉がおかしいですね。 でも、そういう経験をみなさんしているのではないかと思います。 この場合、木が愛があるというと、また論議になりますが、木は、幸せだと書いています。この木は、献身的な気持ちを最初からもっているのです。最初から・・・。 少年の切なさ空しさは、木とは関係はありません。・・・心が育たなかった。そこにこの物語の切なさがあります。だから、老人になった少年は、木の株に座るのです。 この本のタイトルですが、【大きな木】と、村上春樹氏はされています。 それも納得です。 【与え続ける木】でもいいのかもしれませんが、 英語の直訳です。でも、それでは、木が主人公になります。 やはりここは、少年が主人公としたほうが、ぴったり来るのだと思います。この論議は他のブログでもありました。宗教的には、【与え続ける】・・のほうが、・・・イエスさまを想像しますから・・。しかし、【大きな木】とした場合、その少年が主体です。なぜなら、少年から見たら、木は大きいものです。 木はそこからじっと動きませんね。動けない。だから、作者は、木というものを登場させたのでしょう。こうも考えられます。【大きなこころ】と。なぜなら、木はずっとそこで見つめ続けているものです。待つことしかできません。 少年は、最後にはもう木に要求をしません。疲れていただけではないのかもしれません。甘えられるただ唯一のよりどころだったのかもしれません。 木は本当は満足ではなかったのかもしれません。しかし、少年を愛していました。そして、少年は、愛されていることを知っていました。両手を広げて受け入れる木にたどり着いたのですね。 尚、このつぶやきは、あくまでも私の・・ということで、そうでないのかもしれません。 みなさまのコメントで、もやっとしていたものが見えたことに感謝します。私なりに気持ちがすっきりして、やはり、コメントのやりとりの中で、【時間とプロセスの中で】見えてくるものがあるのだなあ・・と思っています。他者との交わりは、だから素晴らしいですね。 子供の絵本です。子供は、子供なりの素直な心がわきあがってくるといいですね。大人は、自分の人生と重ねることもできるので、感動ですね。 みなさま、良き日曜日をお過ごしください。 転用不可
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