笠原瑠璃子の真骨頂なつぶやきダイアリー

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随筆

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日本画 「群蝶」
日本画家・本多孝舟氏











 ラジオからシャンソンの軽快な音楽が流れている。
私はタクシーの中で家に着くまで、不思議な感覚に陥っていた。
何か訳のわからない幸福に満ちた気分だ。
家に着いてからも、しばらくそのままの格好でベッドに座っていた。
もしかして、これが恋のはじまりかもしれないと思う自分をじんわりと否定しながら。












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「パンドラの箱は君に出会うための鍵」

ときめきもする。
いや、しかし、こういう思いも私にはあった。
パンドラの箱は、本来、ゼウスがパンドラに、あらゆる災いを封じ込めて、人間界に持たせてよこした壷だ。急いで蓋をしたために希望だけが残ったという説がある。しかし、パンドラの箱を開けるとどうなるのだろうか。


彼はそのことを知っていたような気がする。




★本多先生との前回と前々回のコラボです。どうぞご覧下さい。















★音楽と共にどうぞ。
音楽タグが出てくるのは時間がかかります。
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日本画・本多孝舟氏
本多孝舟氏ホームページ
http://www.geocities.jp/kosyu4959/
本多孝舟氏ブログ「日本画家 孝舟の部屋」
http://blogs.yahoo.co.jp/kosyu4959


音楽★Ms.xiong_maririn
ブログ[Love Songs] 
http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn

御協力★「花*花*花ブログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/jakki0947




文★瑠











「お願い」
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写真提供・Mr.ティディ














音楽を聴きながら、お読み下さい。
音楽は(━)バーを下ろして・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=Rfemx5g54cw&feature=related
















 窓の外に羊の群れが、のどかな光景を繰り広げている。羊の番をしながら柵にもたれかかった老人が退屈そうに煙草をくゆらせている。






 それは、私の目にどのように映ろうと、彼の人生とは直接に係わりがない。ましてや、彼が人生に満足していようが、いまいが、他人には風景の一こまにしか過ぎない。


 



 いつの日か、彼も誰かに話しておきたい物語があるだろうか・・・・。
 もしも、彼が誰にも話さないまま終焉を迎えたとしたら、後悔しないではいられない彼だけの秘密が・・・・。




 

 が、たとえそうであろうと、なかろうと、大地は彼を黙って受け入れる。彼のすべてを留めないように大地に溶かしてくれる。




 

 しかし、もしも彼が、しわがれた声で遠い目をしながら、ゆっくりと彼の見た物語を語り出すとしたら、私は、黙ってそれに頷くだろう。




 

 幸福な日々という魔術に魅了されながら人は夢を見る。命を紡ぐことは、実にいろいろなことを経験する。経験のすべては無駄ではないというが、果たしてそうなのだろうか。見なくて済んだこともあったはずだ。人生の翳りを嗅ぎ分け始めたものは、自己主張しない特殊の影を身につけるようになる。

 




 じっと目を閉じると、自分がどこにいるのかさえも、わからなくなることがある。魂の痛みだけが自分の場所を教えてくれているかのようだ。しかし、ときおり、曇った空から一筋の光が差すように、魂も痛みを忘れてくれることがある。

 


 

しかし、忘れてはならないことがある。
 その痛みには、訳があるのだということを。
 そして、それは少なくとも、希望に向かうということを・・・・。




















写真イメージ文・瑠



写真提供・ブログ「heaven」
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写真提供・Mr.ティディ












音楽を聴きながらどうぞお読み下さい。
音楽は(━)バーを下ろして・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=tjHkj-uSt_Y&NR=1















 メディナは、モロッコに足を踏み入れた途端に私を魅了した場所だ。縦横無尽に走っている細い道に同じような店がいくつも並び、同じところに戻るのは難しい。それにしても、彼らには、体の中にコンパスでもあるのだろうか?

 



 古びたメディナの小さい店で、アラビアンナイトに登場するような深い青色の水差しを見つけたときの心の高揚は、過去の時間のなかに宙ぶらりんになったまま、いまだに時の移行のドアを何十枚と遡って開き続けているのではないかと思わされる。


 


 細い路地を登って行くと、真っ青な海を背景の険しいランドスケープがある。そこには、入り口のドアと、窓のふちだけが青い家並みがあり、白い壁に太陽の光が都合よく差しつけていた。曲がりくねった細い路地を荷積みのロバが歩いて行く。竹で編んである屋根から太陽の光が漏れ、とんがり帽子のような形に盛ってあるパプリカやクミン、赤や黄色や緑の香辛料の匂いが鼻をつく。

 



 薄紫のジェラバと花の刺繍をほどこされたバブーシュを履いた女性が私の横を追い越して行く。彼女から、かすかに薔薇の花の香りがした。私は、羊皮のランプシェードとコバルトブルーの陶器の丸い壁掛けとコンスタンティーヌの銅のお盆を一気に購入した。それに加えて、幸せを寄せ付けるというファテマの手の形をしたピアスも。私がそれをその場で耳につけると、不思議にも私の耳元で、しゃらしゃらという砂の音が歩くたびに聞こえた。ラバトのメディナで、私はなんだか切なくて、懐かしい気分に何度となく陥った。誰にでも感じる単なる気分だ。一般的には、デジャ・ビュという・・・。


 


 私は今でも忘れた頃に、ラバトのメディナの中を彷徨っていることがある。


 

 














音楽イメージ文・瑠


写真提供・ブログ「heaven」
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http://jp.youtube.com/watch?v=B_L4epGowZU&feature=related
CARLOLE KING - YOU´VE GOT ARE A FRIEND
今日の音楽をどうぞ〜★













Chapter 1 「望郷」







 形あるものは、すべて壊れ、あるいは、形を変え、人は忘却する。
坂を登ると、高台にお寺がある。
 境内に入ると、真向かいに納骨堂があり、左手に本堂がある。その中央に三百年にもなる銀杏の木があり、山手には墓地がある。




 本堂の前の階段に座り、軽く目をとじると、かすかに風が吹いており、やわらかな日差しが瑤子の体に降り注ぐのがわかる。
 さらに目をとじると、今は亡き先人たちの亡霊が姿を現し、静かに歩いているのが見えてくるようだ。




 ここが、瑤子にとって唯一の望郷の場所であり、ここに、自分の存在を確かめられる宝が残存し、幸せを感じる瞬間がある。
 体を自然にまかせて座っていると、過去の自分の分身が華やかに飛び出し、どこまでも懐かしい旅ができる。ひとしきり、旅が終わると、先人の仕草のひとつひとつ、そして歩き方まで覚えていることで、心が静まり、おだやかな気持ちになれるのである。




 寺で生まれ、仏飯で育った瑤子がしなければならないことは、昔から変わらぬお顔でいらっしゃる仏に語りかけることと、先人に対しての語りかけであるのだということに心が向きはじめている。
 どちらかと言うと、お参りというよりは、じっとそこに座っていることもあれば、ただただ先人を思いおこしているだけの時も多いのだが、おもいおこすということが、形式だけの御供養より、どんなに気持ちのいいものだろうと思うのである。




 その昔、瑤子の母の多枝がF市のお寺から温泉地の寺へ移って来た。もっとも、その当時、多枝は十歳であったから、多枝の意志ではなく、多枝の両親の考えであった。移って来た当時、寺はすでに五年も無住であり、破れた障子が風でかたかた鳴っていた。多枝は、何故こんな所に来たのだろうかと、父母を心の底では恨んだと言う。
 



 瑤子の父が五十年住職を務め、病気で西方したので、多枝と瑤子は寺を出た。
 寺というのは、跡継ぎがいなくなった段階で、後継人に譲って出ていかなければならない。しかし、そこで生まれ育ったものは、いつまでも自分の特別な場所として心に沁みついているもので、代が替わった後、境内に佇むと、一抹の寂しさもあるものだが、先人たちと会話をすることで、瑤子の思惑や感情は、すでに浅はかなものとなって水に流れるものであり、いずれは、生きとし生けるものは、公平に形のないものになっていくのであるということが、身にしみてわかるのである。




 最近、瑤子の父が亡くなってから、父の学生時代のクラスメートであった和尚さまたちからお手紙を頂き、瑤子の知らない父の一面を知ることができて、ありがたく思っている。その和尚さまたちと自然にお手紙を交わすようになった。瑤子の父の年齢であるから、老僧である。流れるような墨字で、とおり一辺の文面ではなく、てらいもなく、世の無常、人の無情をしたためて下さることは、ご縁があってのことだと感じて、気持ちがあつくなるものである。




 仏に仕えて来られた和尚さまが、自分の死を、きわめて自然に、当たり前のこととして表現され、和尚さま御自身の死への覚悟のようなものを文脈から読み取る時、改めて、ようやっと、この世を大きくとらえることができる気がするのである。




 生前は、何気なく聞いていた父の言葉も、今頃になって心に染み入るものであり、それが瑤子の指針になっていたりもするもので、「散る桜、残る桜も散る桜」という父の声が聞こえるようである。めずらしいことに、この日は私の目の前に鳩が降り立った。なんとも言えぬ気持ちになったのは言うまでもない。仲間とはぐれたのだろうか。高台から真正面に見える街並みが、小雪で白くなっている。
 



 子供の頃に通り慣れた道もきれいに舗装されて、昔と同じ面影はあまり見られないが、緑の多い山並みは変わっていない。古くなった家の前を通ると、その家の戸口に腰の曲がったおばあさんが立っていたりする。声をかける。瑤子にとっては、懐かしい近所のおばさんであるが、おばあさんは、「どなたですか」と目を細めて瑤子を見るのだ。
 その隣にある家の中からも先人が今にも出てきそうだが、そういうはずはない。




 月日は着実に経つものである。
 そして、静かにすべての道のりを教えてくれるものである。
 心の中には、三十年前は現存するが、実際にはもう現存しないものである。
 一瞬の過去の思い出ということになる。
 



 未来とて同じだ。
 一つ一つ、今、この一瞬でさえも、
 過去にこぼれていくものであるからだ。
 
 


 時間の存在は心にあり。
 そして、自分の存在の理由も心にあり。
 望郷への思いは、それを教えてくれるものである。












文★瑠










「ぶろぐをご訪問して下さいますみなさまへ」


いつもご訪問・コメントありがたく受け取っております。
お正月気分も終わり、いよいよ私も仕事モードになってまいりました。
ぶろぐの更新は、週に一度できれば幸いに思っておりますが、これからも
変らぬご交友がありますように、お願い申しあげます。

一月五日

感謝










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