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諸般の事情により、しばらくの間ブログを休ませて頂きます。再開しましたら、以前と変わらずどうぞよろしくお願い致します。

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「くずはモール」(大阪府枚方市)内にある、「SANZEN-HIROBA」を訪問しています。

「京阪電車 大津線」(「京津線(けいしんせん)」、「石山坂本線(いしやまさかもとせん)」の総称)についての「期間限定展示」を拝見しています。

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続いてはこちらのショーケース内の展示を見て参りたいと思います。

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まずは、こちらの「京津1型」という車両です。

「京都」と「大津」を結ぶ鉄道としては、明治中期に「官営鉄道」(現在のJR)が開業していましたが、当時は「街外れ」だった「京都駅」からの発着で、なおかつ「県境」に位置する「逢坂山(おおさかやま)」に長大なトンネルを掘る技術がなかったため、伏見あたり(現在の京都市伏見区付近)まで南下し、山を迂回して「大津」へ向かっていました。

当時の「京都の中心部」は「鴨川沿い」の「祇園」や「三条大橋」付近で、その「繁華街」と「びわ湖」とを結ぶ路線として「大正元(1912)年」に開業したのが、「京津電気軌道(けいしんでんききどう)」(現在の「京都市地下鉄東西線」、「京阪電車京津線」)です。

「電気軌道」の名称通り、「路面電車規格」として開業、「京都の中心部・三条大橋」と「びわ湖の玄関口・浜大津札の辻(ふだのつじ、現在は廃止・当時、浜大津駅の手前に設置されていた)」を結びました。
ただ、「京都・滋賀の県境」にそびえる「逢坂山(おおさかやま)」や「東山」を越えるにあたり、「国内最大級の勾配区間」や「急カーブ」などが連続するなど「厳しい線路状況」での敷設となり、それらの条件をクリアするために、「特殊な装備」を備えた、この「京津1型」という車両が「最初の車両」として導入されました。

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その「急勾配・急カーブ」が連続する区間を通過するに当たり、この「京津1型」の台車には「マキシマムトラクション」という「特殊な台車」が装備されていました。
特徴としては、台車の「外側の赤い○内の車輪」と「内側の黒い○内の車輪」の大きさが異なる、というところです。
このような特殊な台車は、日本鉄道史の中でも「殊に珍しい存在」です。

「マキシマムトラクション」については、Wikipediaから拾ってみました。

・・・動輪と従輪の2つの車輪径を違え、荷重を負担する側受の位置を動輪寄りに意図的にずらすことで動輪の粘着力を稼ぐ「マキシマム・トラクション」台車の最初期の例の一つでもあるが、これらの特徴的な構造・機構はいずれも、路面電車で求められる床面高さの引き下げと電動機を装架する動軸の粘着力確保を両立する方策として採用されたものであった・・・

と、「路面電車」として求められる「車内床面の低さ」と、「動軸の粘着力(『動力車輪とレールとの十分な接地』)」を担保出来る機能を兼ね備えている、というところがポイントでしょうか。
殊に、「粘着力」については、このような「急勾配、急カーブ区間」では、それが十分に確保出来ないと「逸走(急勾配での逆走、暴走)」などの「重大事故」につながることが予想されるので、会社としても「当時最先端の技術」であったこの「マキシマムトラクション台車」の導入に至ったと推測されます。

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さて、その「山越えのための特殊な装備」を備えて登場した「京津1型」に対し、「大津電車軌道最初の車両」として登場したのは、この「大津電車軌道1型(後の80型)」という車両です。

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「台車周り」を見てみますと、「単車式」(台車が1車両につき1台のみのもの)になっています。
これは、当時の路面電車で積極的に採用された様式で、昭和30年代まで各地で見られた台車方式です。
「路面電車」という名称のごとく、「平坦な区間を低速度で走行することが出来ることに特化した台車」とも言え、先の「急勾配」や「険しい線路状況」に対応出来る「マキシマムトラクション台車」とは全く趣旨が異なることが伺い知れます。

翻って述べますと、同じ「大津線」でも、「京津線」と「石山坂本線」とは「路線特徴の差異が著しく異なる」、ということが、この「履いている台車の違い」に現れており、興味深いものと言えます。

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ここからは、その「大津電車軌道」が製造した車両の紹介が続きます。
「大正3(1914)年製造」の「20型」。「箱型の車体」が特徴的です。

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続いてのショーケース内の展示に写ります。

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こちらは「電動貨車」ですね。
この当時、各鉄道会社ではこのような「社有貨車」を所有しており、「手荷物の運搬」をはじめ、「工事用資材の運搬」などを行っていたようです。

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続いては、「大正15(1926)年」に登場した「30型」というこの車両です。
「丸みを帯びた正面デザイン」が特徴的で、文面にありますように「四宮車庫(京都市山科区)の火災事故(昭和24年)」の後、「輸送力増強」のため「2両編成固定」になったようです。

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こちらも「丸型デザイン」が特徴な「200型」という車両です。
先述の「四宮車庫火災」を受けて、「京阪線」から転属し昭和40年代まで運用されたものです。「5面窓」が優雅な印象を受けますね。
この「5面窓車両」は、京阪のみならず同時代の関西の私鉄で、多数製造された「当時流行していたデザイン」だったようです。

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続いては、こちらのショーケース内の「スチール写真」を見て参りたいと思います。

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「浜大津駅付近(昭和12年)」のものです。
「木造建物」の中に「洋風建築」も見られ、「びわ湖の玄関口」としての面目を感じますね。

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ちょっとアップにしてみます。
「京都ゆき急行二○分 御乗客待合所」という看板が印象的ですが…

画面右端に、その「京都ゆき電車」が停車していますが、この当時、「京津線・浜大津駅」には「プラットフォーム」がなく、乗車するには「路面の安全地帯」からで、「待合所」もこのように少し離れた場所に設置されていたことが伺えます。

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こちらは、同じ「昭和12年」の「浜大津駅」を、異なる場面から撮影したものです。
停車しているのは、「石山坂本線」の電車のようです。

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その奥には、この瀟洒な建物がありますが、この建物は…

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こちらは、「昭和18年」、戦時中の「浜大津駅」の様子です。
上の写真から、少し左(方角では北)から撮影したものですが・・・
先の「瀟洒な建物」から大勢の人々が出て来ていることがわかりますね。

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この建物は「江若鉄道(こうじゃくてつどう)」の「浜大津駅」です。

「江若鉄道」は、この「浜大津駅」を始発として、びわ湖の西岸を北上、「近江今津駅」(滋賀県高島市)までを結んでいた鉄道です。
この当時を含め、昭和30〜40年代までは「京都・大阪のレジャー地」と言えば「びわ湖」で、「夏は水泳場」、「冬はスキー場」と、通年で観光客の利用が望める「有望な路線」だったのですが、「国鉄湖西線(こせいせん)」の計画が持ち上がり、昭和44(1969)年に全線廃止され、その跡地の大部分を活用して「湖西線」が昭和49(1974)年に開業しました。

この「江若鉄道」については、後日、別に項を設けて取り上げる予定をしています。

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さて、続いては、これは「花電車」でしょうか。
「びわ湖祭」の看板が見えます。昭和8(1933)年撮影。

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こちらは、「石山坂本線」の「錦織(にしごおり)車庫・工場」(滋賀県大津市)です。
車庫に車両が3両、停泊していますが、右側の2両の「ヘッドライト」は「屋根上」ではなくて、「正面の胴下付近」に取り付けられています。
「ヘソ」のようで、特徴的ですね。

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その車両はこの「90型(大津電車軌道10型)」という形式です。
近くで見てみますと、運転台下にある網状の「バッファ(救助網)」がものものしい印象を受けますが、「電気鉄道」が黎明期には「電車」に慣れていない人も多く、この網に人がひっかかる事例もあったようです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

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