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音楽のための教育

音楽教育の現場について、よくある表現で「音を楽しみなさい!」と教師が言うことがあります。果たして「音を楽しむ・・」とはどんなものか。まず、たいていの場合は自分が楽しんでいるように弾く演奏者は、聞き手(聴衆)に対して心地よい音を発していないことが多い環境に出くわします。もちろん、自称プロという人々にもたくさんその現象がみられます。「聞くに堪えない・・」と思っても、我々日本人は笑顔をたやさないで、演奏者を褒め讃えるシーンもよく見受けられます。とくに、音楽学校関係の先生方の発表会では、見ていて恥ずかしくなるくらいの花束とお土産が舞台上に届けられたり・・さて、さりげないことですが欧米でお花をもらうとき、演奏者は誰からもらうか、その花束をどう扱うか、これらの一つ一つに注意をはらいます。主催者から儀礼上もらうものに関しては、ときに他の女性の演奏者に渡してしまうことは許されますが、たいてい舞台そでまで有り難く持って帰ります。そのあとは、旅行で移動するときなどは、地元の関係者に感謝をこめて置いていくこともあります。しかし寒い地域、たとえばロシアなどでは花は貴重品ですから、一本一本に思いをこめて別れをつげている様子などが見かけられたり・・花束の意味に、良い演奏者たちは心を傾けるのが常です。花を愛する・・そのような演奏を彼らは聴衆に残します。花一つとっても、音楽に携わる人々の心が表れてしまうのも皮肉なものです。当然、花に託された感謝の気持ちを、音楽家は認知しなければなりません。軽々しく人に渡す行為は戒めなければいけないと考えます。音楽にそのまま影響していくのです。では、最初のテーマである音楽を楽しむとはどういうことか・・やはり良い演奏をめざし、プロの演奏家ならば客席に感動を届けることが誇り高い喜びといえるでしょう。その会場での感動の根拠はどこからくるのか・・それは「美」です。美しい音楽をいかに表現するか・・とはいえ、発展途上の音楽学生などに、そのことを要求するのは厳しすぎるかもしれません。しかし、少なくとも「ひたむきさ」は提供できるはずです。舞台では、演奏者の生き様がすべて出てしまいます。高慢な生き方をしていると、鍵盤をたたきつけたり、喉でどなったり、偉そうに楽器を演奏したり・・気弱な人は、心細い音を出してしまったり、客席を不安にさせたり・・音楽と生き様は、まさに連動します。このように音楽教育は本来、深い人間教育にもつながっているのです。

音楽のプロデュース

まさに「制作」という言葉が当てはまりますが、音楽の中でもさらにジャンルが細分化されるところでしょう。とりわけ、CDやDVDといった聴覚と視覚を織り交ぜた商業ベースの世界でもプロデューサーが必要でしょうか。その任務としては、まずやりたいことが何かあり、そのために財政的な計算を計画することが優先事項かもしれません。興業主(インプレサーリオ:伊語)がいて、音楽業界の人脈を動かして聴衆の趣向とのバランスを図りながら企画を立てていく。ディアギレフというバレエ界の興行主がいましたが、彼はニジンスキーという天才バレエダンサーを見いだしたことでも有名です。当時のあらゆるアーティスト、たとえばピカソ(画家)やストラヴィンスキー(作曲家)などとの交流もあり、当時の社会への鮮烈な働きかけは目をみはるものがあります。プライベートな部分では何かと問題があったことは否めません。ただ彼のスタイルが、今の興行界のリーダーシップ的位置づけになっていると言っても過言ではないと思われます。また、テレビ局内のプロデューサーは比較的、サラリーマン的要素が強いのはやはり制約が多いせいでしょうか。とはいえ、プロデューサーの条件としてやはり人間的な魅力を掲げないわけにはいかないはずです。知識とある種の品格・・人を引きつける魅力や相手に対する説得力など。ちなみに、財政収入の部分で大きく左右するのは、経済界との人脈が作れるかどうかも大切な要素でしょうか。かつての日本は財閥のような大金持ちが存在していましたが、今はそのような貴族的な階級は出現しない時代になりました。せいぜい広告収入を得るぐらいの金銭的やり取りはあるでしょうが。むしろ、地方行政や国の文化事業費に群がることぐらいでしたが、今やそれも衰退の一途をたどっています。チケット収入は、ミュージカル公演などでは大きいです。会場の提供や広告スポンサーになってもらうだけでも相当な経済効果があります。その意味で広告代理店の仕事はこれまで羽振りをきかせてきました。一般大衆へのアプローチとして、情報操作を含めて、メディア媒体を通じて様々な欲望を注ぐ、という言い方は強烈すぎるかもしれません。これから知識と良識、さらに高度な人類発展をめざす大物プロデューサーの出現を待ち望んでいます。

作曲の技法

音楽大学の作曲科に入学すると、作曲することが義務になります。まして、そこで教職に就くとなると、作品を書くのは出世のため、昇進のためであって、書きたいものを書けるとはかぎりません。しかも、評価されるものしか書いてはいけないので、必然的に書くべき内容は決まってきます。つまり、上司もしくは仲間の作曲教員に良く思われることを前提にしなければならないので、本来の目的が見えなくなることが常です。誰のために書くのか・・もちろん、自分のためです。良い曲を提供したい、という思いはあっても評価が気になることによって、「現代音楽とはこうあるべき・・」という形式で、一般人からは理解にほど遠い不協和音の連続になりかねない雰囲気になります。へたに和声的なメロディーを書くと、安っぽい、という評価にもなりかねません。さて、メロディー(旋律)は横のラインを表現し、ハーモニー(和音)は縦のラインを表現します。リズムや拍子は、あたかも心臓の鼓動のように、そこにエネルギーを与えていきます。あとは、表現するための手段として、どの楽器あるいは歌を選ぶか・・誰のために、どのような場所と条件で発表されるか・・様々な要素に影響を受けながら、作品は生まれていきます。しかし、一番大切なことは、作曲家の魂がどのように社会にうったえ働きかけていくのかでしょうか。独りよがりな発想で、聞き手に対し良い影響を与えない作品は、何もしなくても消えていきます。かつて、作曲家たちは生きていた時代の要求に合わせて仕事をしていました。ヴィヴァルディは孤児のために作品を書きました。ハイドンは、仕えていた君主のために作品を書きました。シューベルトは友人たちに作品を残しました。ワーグナーは借金に追われて逃げ回りましたが、最後にルートヴィッヒ二世に好かれて、国の財政を破綻させました。ヴェルディは出版社との良い関係に恵まれました。しかし、あまり急速に作品を残していこうとした才能ある作曲家たちは、若くして生命を終わらせてしまいました。たとえば、ペルゴレージのように・・ ロッシーニはそれが嫌やで、途中で美食家に転身しました。モーツァルトは最後まで頑張りました。多くの貴重な残された作品を糧に、現代の音楽家は生計を立てています。しかしながら、これから後世に残るような作品が出てくるかは、とても難しい社会情勢です。お金がすべての世相の中で、お金にならない作品は生まれるのか・・作曲する目的が純粋な心から発し、才能ある作曲家が才能をつぶさないで作品に没頭できるか・・そんな世の中になることを期待します。

音と調の特徴

西洋音楽には一般的に長調と短調があり、さらに短調には旋律短音階と和声短音階がある、と楽典の授業で習います。シャープ系の音階とフラット系の音階によって、イメージもかなり変わります。シャープ系は明るいイメージ、フラット系は重厚なイメージがともないます。弦楽器は楽器の特徴からシャープ系が弾きよいといわれています。管楽器はフラット系が主流ですが、例えばクラリネットはB♭管やA管などの記譜によって楽器を使い分けることもあります。作曲家によっては微妙なニュアンスが変わってくることがあり、変ト長調と嬰へ長調を使いわけることもあります。しかし、確かに演奏者泣かせではあります。同じ音でもシャープ系またはフラット系で違って表現することで、音色や歌い回しが随分と変わってきます。一つ一つの音に特徴があることは、太古の昔から言われています。ハ長調は神の音階と多くの作曲家が表現しているのは良い例でしょう。変ホ長調は英雄的な響きである、とか・・作曲家は演奏する場所や、演奏楽器の特徴で、調を決めなければなりません。近代の超絶技巧をめざした作曲家たちは、意図的に複雑な調を選んで演奏者の技量を見せつけることを良しとしたこともありました。時には無調のこともありますが、現代音楽といわれるジャンル以外は、一般的に調が存在します。また、歌手の歌う音域によって調を代えることもあります。声楽の発声練習は、トレーニングのために半音ずつ上がったり、または下がったりして一定の音階的メロディーを歌っていきます。その時も微妙な調の変化によって、明るい響きにしたり、暗くしたり身体全体を使って、音色を変えていきます。管楽器はたいていにおいて、運指によってピストンやキーを押さえることで響きが決まっていきます。トロンボーンはスライドの調整でかなり音程表現の可能性にチャレンジできます。弦楽器は押さえる場所で響きの変化を出せますが、音程をきちんと取るまでにかなりの練習が必要になります。音感が悪いと上達しません。一般に、音痴といわれる方々は、声帯を含めて肉体のコントロールが理解できていないことが原因としてあります。その人への音感修正のためのトレーニングは丁寧に行なえば、かなり良くなることがありますが、歌うことが好きになれないことが多くなると、生涯を通じて音痴でいなければならないでしょう。先天的な肉体の特徴が原因のこともあるようですので、様々ですが・・ 音楽家を志す方々には、これらの様々な音程にデリケートな関わりを持つことは当たり前です。しかし、そんなに際どい追求をせずとも、適当な態度でも音を楽しむことはできます。ただし、人に音を楽しんでもらうことは難しいでしょう。つまり、プロとして音楽を提供するには、音程についてもかなりの修練が必要ということです。

音の彫刻

彫刻家は、木材や金属などを使って形のあるものを作ります。陶芸家は土を使って作品を作ります。音楽家は音を使って、ある種の造形をほどこします。もちろん、目に見える形を作るのではありませんが、高度な耳を持つ芸術家にいたると、音をあたかも彫刻を創作していくかのように聞き分けます。ある時は、音を色で置き換えたり、薫りに感じたりしながら表現します。指揮者の場合は実際に音をださないで、手や身体の動きで音の形を示していきます。一般的には、俗に交通整理といわれる拍子をきざむことが第一の任務でしょうか。もちろん、性格に拍を刻むのは実にたいへんな作業です。一泊目と二拍目、さらに三泊目が同じテンポで進んでいるか、指揮者当人が判っていないことも多いのです。他の演奏家に指示する以前に、自分を見つめる力が必要です。しかしながら、たいていの場合は自分に酔いしれている感情過多タイプ、もしくはナルシスト型の人が指揮者になりたがるものです。当然、オーケストラ団員から好意的に受け取られる指揮者は、ほんの少数です。さて、音には固有の方向性があり、例えばH(Si)音はC(Do)音に向かって進む習性があります。たとえ下降する音階の中の経過音であっても、あまり太い音を出すと全体の調和が乱れます。ただし、Ces(Do♭)音として扱う場合は、太めの響きにすることになります。それと、ベルカントを勉強されるときは、声区の転換(チェンジ)の場所が、規則的にだいたい決まっていることを理解しなければなりません。その音を通過するときは、声がひっくりやすくなります。怒鳴るように歌う歌手は、声区の転換(パッサッジョ・伊語)の声が引っかかってうまく出せなくなるようです。またオペラ歌手が、おおげさな手振りで歌うことがありますが、それは声の動きを助けるためのこともあります。もちろん、単にクセだけの場合もありますが。音の造形に関して、オーケストラともなると複雑な音の動きがいろんな方向に組み合わさって全体の形を作っていきます。ですから、指揮者はオーケストラを素材にして彫刻しているといえましょうか。もちろん、ひどい指揮者にかかったら、大量生産のハンバーガーと同じになることもあります。良い指揮者は、ひょっとして素晴らしい彫刻家、あるいは絵描きになれたかもしれません。しかし、優れた画家たちは生活がたいへんだったようですから、同じように優れた指揮者もけっして楽な人生ではないはずです。有名な指揮者が優れた指揮者であるかどうかは要注意です。

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