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父がまだ元気な頃(酸素を使用する前)に
使っていた部屋のベッドに、メモ帳を見つけました。
新しいようにも見えるけど・・・中を見てみると文字が
どうやら父の日記のようです。
他にも父の覚書のようなものがあったと、母から聞いてたけど。
平成10年と書かれてある、ほんまに覚書のような日記です。
「胸が苦しくて眠れなかった」とありました。
10年以上前から、父は一人で病気と闘って来たんやな・・・
小さなメモ帳に2.3行ずつ、4ページ程で終わってました。
弟が家を建てた時、「もっとお金があったら」とも書いてあった
孫たちをとてもかわいがってた父、優しい父でした。
体調を崩す前にはひ孫も誕生し、幸せだったと
そう思いたいです。
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父
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2011年7月30日に肺気腫で、父は永眠しました。
どうか安らかでありますように・・・
どうか安らかでありますように・・・
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入院してから1か月と8日目、食事をとらなくなってから10日の今日
朝から一人で病院に来ていました。
苦しいという父に少しでも緩和をと、薬で眠れるようにしてもらってから
今日で5日目、かなり意識は低下しています。
そして、医師からの話は、父の容態は一両日中だと言われました。
考えると涙がとまらなくなるので
普通のことをしよう、平常を装おうとしています。
今日も父の手を握ると、たまに少し反応があったけど
力はかなり弱くなっています。
命と向き合う、死と向き合うって辛いです。
普通に接してくれる看護師さんがありがたいです。
今日、父にサラのことを覚えてる? と聞くと、軽くうなずいてくれました。
ごめんなさい、文章が支離滅裂なので、もう終わります。
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先週後半に少し食事量が減ったな、と思っていたら
今週13日には、持って行ったプリンなども全く口にしなかった。
私自身、疲れていたのか気弱になってしまい
「だんだんと衰弱してしまうんだろうな」 なんて思って
そう考えると涙が出てしまったり
14日、義妹が水羊羹を持ってきてくれてて
食べるか?と父に聞くとうなずくので、4,5口は食べてくれたかな・・
そう!落ち込んでなんかいられない
今、父にしてあげられる事を私たちがすればいいんだよね
そう思えると、少し心が軽くなりました。
サラもいろんなことして、私と母を笑わせてくれるし〜
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今日の朝、病院から私の携帯に連絡があった。
父が食事を取ることが出来ないと・・・
6月22日に転院した時、食事が美味しいとたくさん食べていた父
だけど、病院の場所が少し離れてしまい
以前のように毎日、仕事帰りに病院に寄ることが出来ず
転院してからは土日に訪問したきり
そして今回の病院からの連絡を受け、医師から説明
このまま食べなければ、かなり悪い状態だそうです
転院した当初は医師も驚くほどの回復を見せていたのに・・・
実際、肺がなくなっていると言っても過言ではない状態です。
今日は私たちがいたから、食べてくれたので
これから家族で食事時に訪問出来るようにしなければと思いました。
覚悟が出来ていたようで、でも医師から危険な状態だと聞かされると
気持がついて行かない
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