|
作日は朝から天気になり山野草の棚を
作りました。
3月28日は世界遺産の石見銀山・熊谷家住宅。
三瓶小豆原埋没林に、公民館視察研修に行っ
て来ました、天気も良く最高でし。
小豆原埋没林は国の天然記念物
島根県の中ほどにそびえる三瓶山。標高1126mの山のふもとに、地下に巨木が立ち並ぶ不思議な林、三瓶小豆原埋没林があります。縄文時代に繁っていた林が火山の噴火でそのまま埋もれた埋没林。当時の森林をそのまま閉じ込めた、いわば「縄文のタイムカプセルです。このタイムカプセルが発見されるまでの物語を紹介します。
発見の経緯
三瓶山の周辺では地中に巨木が埋もれていることは昔から知られており,「埋もれ杉」「神代杉」などと呼ばれていたそうです。掘り出されて細工物の材料として使われることもあったということです。
小豆原地区では1982年に圃場整備が行われた際に直立したスギ巨木が掘り出されました。そのことは工事関係者以外にはほとんど知られることはありませんでしたが,その後,掘り出し作業中の写真を目にした松井整司氏(大田市在住・三瓶フィールドミュージアム財団評議員)によって埋没林の学術的価値がみいだされました。
松井氏と三瓶自然館は1994年からボーリングやトレンチ掘削を行い,埋没木を探しましたがなかなか発見には至りませんでした。そんな中,三瓶自然館の拡充計画が具体化し,埋没木を展示する構想のもとに1998年から島根県による大規模な調査がはじまり,同年11月,ついに最初の1本が発見されました。
埋没林を埋めた地層と成因
小豆原埋没林は狭い谷の斜面から谷底にかけて生えていた林が地中に埋もれたものです。林を埋めている地層は三瓶火山の噴出物に由来する土砂からなっていて,下から火山泥流堆積物,火砕流堆積物,河川成堆積物の順に重なっています。火山泥流堆積物にはこれによってなぎ倒された巨木流木が多数含まれていて,その破壊力の凄まじさを思い知らされます。
では,小豆原に生えていた林がなぎ倒されることなく埋もれたのはなぜなのでしょうか? それはこの場所の地形が大きな要因だったと考えられています。小豆原の谷を流れる小豆原川は三瓶山に直接つながっておらず,三瓶山から流れ出る川とは埋没林発見地点の約1km下流で合流しています。二つの谷はほぼ平行して,低い尾根で隔てられています。三瓶火山の火砕流や火山泥流(土石流)は隣の谷を流れ下りました。やがて谷が埋め尽くされると,鞍部や合流点付近で尾根を越えて小豆原の谷に流れ込みました。尾根を越えて小豆原まで到達した泥流には林をなぎ倒す力は残っておらず,林は立ったままで埋められたと考えられます。
泥流の後に火砕流が林を覆いました。この堆積物には炭化した木片が多量に含まれていますが,巨木を炭化したり発火させるほどの温度ではなかったようで,立木は表皮の表面が若干炭化しているだけです。
その後,雨水や河川水によって土砂が流れ込んで堆積しました。これは合流点付近が泥流などによってせき止められた形になっていたために周囲から流れ込んだ土砂が堆積したと考えられます。
埋没林と三瓶火山
14C年代測定によって埋没立木の年代を測定したところ,3500〜3700年前の年代値が得られました。この値は縄文時代後期に相当し,三瓶火山の最後の大規模な噴火活動期と一致します。
三瓶火山は約10万年前から断続的に噴火活動を繰り返してきた火山です。古い時期の活動では,大規模な爆発的噴火を行っており,約10万年前の噴火で噴出された火山灰は東北地方まで分布していることが知られています。また,約7万年前の噴火ではカルデラが形成され,現在でもカルデラ壁の一部をみることができます。
縄文時代には中期と後期に活動を行っています。三瓶山東方の頓原町志津見地区ではダム建設に伴う遺跡調査によって縄文遺跡と三瓶火山噴出物との層序関係が明らかにされています。
三瓶山の現山体は男三瓶,女三瓶,子三瓶,孫三瓶,太平山のピークが環状にならび,中心に室の内と呼ばれる低地があります。この山体の成因について,かつて存在した大きな山体が崩壊したとする説と,それぞれのピークが独立した溶岩円頂丘(太平山は砕屑丘と考えられています)という説があり,いまのところ決着していません。大田市pr資料より
続きは明日
写真は・埋没林の地上で案内説明を聞いているとこです。
内部埋没林です、良く説明できませんので発見
の経緯読んでみてください
|