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幼き日の思い出・・・音楽と共に過ごした青春。そしてかけがえの無い友人たち。忘れ得ぬ日々を残したい。

音楽系

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なつかしのポップス

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3年前の春頃、何気なくTVを観ていた時、あるCMと共にずいぶん昔にヒットした曲がBGMで流れていた。そのCMは新譜CDを紹介するもので、現在はレンタルCDショップでどこでも置いてあるが、「Fine」シリーズの緑版であった。BGMとして使われた曲はミッシェル・ポルナレフ(仏)の名曲「シェリーに口づけ」である。この曲は1971年9月12日にランクイン(18位)し、10月10日には堂々の1位となり、11月21日まで7週連続1位をキープし、12月26日までランクインを続けた曲である。この曲こそ僕をポップスに目覚めさせたきっかけとなった曲である。当時は福岡に住んでおり中学1年生だったが、自宅のすぐそばに登下校を共にしていたポップス好きの同級生がいて、彼からも少なからず影響を受けていた。彼は既にビートルズを中心にしたレコードを収集しており、学校が終るとビートルズのレコードを良く聞かせてくれた。また、今でもあるのだろうが、土・日にはいろんなラジオ局でポップスベストテンなる番組があり、そのほとんどを毎週必ず聞くようになっていた。学校に行っても「今週は○○○の△△△という曲がランクインした」などと話しながら盛り上がったものだ。
当時の録音はもちろんカセットである。毎週お気に入りの曲がどこにランクインされるかを狙い、DJのナレーションが入らず、フルコーラス録音できる番組がやはり受けていた。それでもベストテン下位の曲は途中でフェードアウトされる事が多く、ベスト3にランクインせずに落ちてしまう曲は、くやしい思いをしつつもそれで満足せざるを得なかった。中学生の小遣いでは1枚500円もするレコードをたやすく買えるはずもない。レコードと言えば、ほぼ同時にポップトップスの「マミー・ブルー」と言う曲も大ヒットし、これも19週間もランクインを続けた曲であるが、このレコードはクリスマスの頃に母親と一緒にレコード店に行き、買ってもらった貴重なレコードである。このシングルは今でも手元に残っており、プレイヤーがあれば聞くことができるはずだ。その後お気に入りになったのは、カーペンターズ、エルトン・ジョンである。彼らのヒット曲はもうスタンダードとなり、今でもいろんな歌手やグループがアレンジして今日に至っている。
こうした背景もあり昔の虫が騒ぎ出して、3年前から徐々にポップス系を中心として集め出した。保存はPCとなったが、集め出した当時は拡張子の関係や、再生できる機種の事を良く理解せぬまま全てを.wmaで保存していたが、そのうちにこの拡張子では再生できない機種が多い事が判明し.mp3に切り替えたが、結構録音(保存?)していたので再録音するのに再び時間を費やした。最近はどちらの拡張子でも再生できる機種も増えてきたようだが、.wmaは.mp3に変換できないので現在は.mp3に統一している。もともと直ぐには集まらないだろうと予想はしていたが、検索システムを持つ各CD販売店(新星堂、HMV、山野楽器等)で、欲しい曲の入ったCDを探したが、CD化されていない曲も今だ多く、その全てを網羅するに至っていない。また、レンタルCDショップや図書館(無料である)を利用し、なるべく安く手に入れられる事を考えてはいるが、こうしたショップは“広く浅く”が心情なので、マイナーな歌手やグループの曲は通販で買うしかない状況となる事が多い。このような中でもまれに見つける事があり、そんな時は手放しで喜んでしまう自分である。
昨年、仕事で福岡に出張した時、先の同級生に連絡を取った。彼は仕事中だったにもかかわらず、車をかっとばして会いに来てくれた。僅かな時間の再会であったが、当時の話をしながら過ぎ去った思い出に浸った。男同士の友情はどんなに時間が経っていてもとても堅い物である事を実感した。
先のブログで少し触れたが、現在4,000を越える曲が手に入った。中には「知る人ぞ知る」曲もカバーした。もちろん永年探していた「マミー・ブルー」も時を越えて手に入った。スポンサーであるN君に感謝しつつ、これからもまた少しずつ増やして行く。我が青春を逃がさないために・・・
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追伸:我が敬愛する名誉会長よりM・ポルナレフのレコード画像を頂きました。会長は昨夜自家用タイムマシンを操り、1972年に跳んで地元レコード店に行き購入されたそうです。レコード店店主いわく「現在ポルナレフ人気は絶好調で、発売元のソニーでも生産が追いつかないそうです」とのこと。会長は何やら他のレコードもこっそり買われたようですが、詳細はまだ「ヒ・ミ・ツ」だそうです。
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今回のお題となったファインシリーズの緑版とオレンジ版です。この後ピンク版も出てると思います。

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本当に可愛かった。彼女の屈託の無い笑顔は「永遠の微笑」と言っても過言ではないだろう。一番輝いていた頃は1976〜1982年の頃である。彼女のデビュー当時の大ヒット曲は「そよ風の誘惑(Have you never been mellow)」で、最近のコンピレーション系のCDでは必ずと言っていいほど入っている。ヒット曲は数あれど、個人的には「たそがれの恋(Don't Stop Believin')」を挙げたい。この曲が入っているアルバム(同名CD)の国内版は生産されておらず、HMV通販を通じオーストラリアからの輸入盤で手に入れた。なぜオーストラリアなのか?実は彼女の育った地がオーストラリア(誕生はイギリスで父親の仕事の都合で移住)なのである。そのため同国では彼女のCDを積極的にリリースしているようである。これは日本でも同じ事で、自国の歌手をひいきする事と同じだと解釈していいだろう。このアルバム中でシングルカットされ、同時にヒットした曲として「恋する瞳(Compassionate Man)」と名曲である「サム(Sam)」が入っている。このたそがれの恋は必ずヒットするパターンの曲調なのだが、日本では図らずも翌週!にあの「カントリーロード(Take me home country road)」が大ヒットしてしまい、名実共に隠れた名曲となってしまった。
一昨年リリースされた国内アルバムでは「ラブ・ソングズ」があるが、この中にやっと先の「たそがれの恋」が入ったが、オリヴィアの完全なヒット曲をカバーするに至っていない。今までにいろんなHPを通じて情報を入手し、ヒット順別のリストを作成してみたが、全てを発表年とヒット順で揃えるには地道に各アルバムを入手するしか手は無いとの結論を得ている。
非常にマニアックな話であるが、彼女の歌う曲の中で日本の曲名として改題されているものがある。原題(Where Are You Going To My Love)が新アルバム発売と共に改題されており、最初の日本題は「愛はいずこに」が「愛のゆくえ」に変更されたのだが、その後のアルバム「麗しの瞳(Soul Kiss)」に日本題で「愛の行方」という同名異曲が入っておりややこしくなった。さらに、夜明けの天使(Angel In The Morning)と朝焼けの天使(Angel Of The Morning)、青空の天使(Long Life Love)と言う曲があり、もう訳がわからなくなる。とにかく似た曲名が多いので集め出した頃は混同したものである。えてして原題と日本題ではその相違が大きいものだが、オリヴィアの曲はその差が顕著である。近年の曲名は原題をそのままカタカナ表記するようになったが、曲名を付ける担当者は、過去の曲名をきちっと把握するべきではないだろうか?と思う。
現在入手できない曲は「私の夢(Would You Follow Me)」と言う曲で、初期の集大成レコード(2枚組)に入っていたのだが、当時シングル盤でリリースされたらしく、個別のアルバムには入れられていない。ただし、ネット配信で入手は出来る(\150)が、拡張子が.wmaのため不可である。
彼女の近況を少し。現在は妙齢となってしまったが、1992〜1998年位の間、活動を止めた時期があった。このことはファンのHPにも書いてあるが、女性特有の胸部ガンを患っていたということで、切除手術を受けオーストラリアで静養していたとのことである。静養後は完全に歌を止め、のんびりと余生を過ごすつもりだったらしいが、あるプロデューサから熱心なアプローチを受け、活動を再開したと言う。確か2〜3年程前に日本に再来日したはずである。最新の情報では今年(2006年)3月に来日コンサートがあるそうだ。
詳しいことは別のブログとして書く予定だが、あるきっかけで集め出した過去の曲は、3年の時をかけて4000曲をゆうに越えた。多少、同じ曲がだぶって入っているが、なるべく入っていないものを手に入れる事を心がけて集めている。過去の曲を完全に網羅する事は不可能であろうが、青春と共に駆け抜けていった名曲は、いくら年月がたっても色褪せない。1曲々々にその瞬間の思い出が隠れており、どんな曲でも聴いている時に、まぶたを閉じれば記憶が甦る。これが僕のタイムマシンなのかも知れない・・・
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今までに集めたオリヴィアのCDです。これ以外にもありますが車に載せたままなので、後日改めてアップします。レンタルのもの画像はありません。

少年合唱団のこと

小学校を4回転校した事は以前に書いたが、その中で非常に貴重な経験をした事を記したいと思う。
3回目の転校は小学校5年の時である。父親の転勤で名古屋から花の東京へ異動になった事による。初めての東京生活は板橋(東武東上線の中板橋)だった。この小学校での転校生はあまり多くなく、学校生活での楽しい思い出も記憶に無い。そんな中で転校して間もなくクラスの担任を通じ、音楽の先生から合唱団に入らないか?と声をかけられた。学校から帰り、母親にこの事を伝えたら「ぜひ入りなさい」とこれだけ言われ、翌日乗り気もしないまま担任と一緒に入団の意思を音楽の先生に伝えた。この時点では、後に知る著名な合唱団とは知る由もなかった。
この合唱団は「上高田少年合唱団」と言う。先ごろ、朝日ソノラマのソノシートの話を書いたが、過去にこの合唱団が歌っていたアニメソングは枚挙に暇が無いが、知っているものだけでも、鉄腕アトム、ビッグエックス、スーパージェッター、宇宙少年ソラン、宇宙パトロールホッパ等々。音楽室にはこれらアニメのソノシートが山ほど置いてあった。この合唱団の事実を知り、子供心ながらかなり驚いた。
歌の練習は土曜の昼からが多く、毎週2〜3時間練習があり、何度か合唱コンクールにも出場した。一番の相手は強豪の「西六郷少年合唱団」であった。こちらは童謡系のレコードが中心で、かなりいろんな童謡を歌っていたようだ。当時はこのような名を持つ小学校の合唱団がたくさんあったので、小学校で合唱団を持つ事が一種のブームだったのかもしれない。
この合唱団での一番の思い出は、歌手の森山良子さんと一緒に歌った事である。この歌は、翌年行われるあの「大阪万博」のテーマ館の中で、住友童話館のテーマソングとして使われるものであった。レコーディングには皆で麹町のスタジオに行き、2時間ほどかけてレコーディングを行った。終了後にはサイン色紙と共に握手をしてくれた。今でもたまにTVで見かけるが、あの時の声とほとんど変わらぬ美声はすばらしいと思う。
今年の春頃、仕事で下板橋に行く用事ができ、仕事が終ったのち中板橋まで歩いてみた。東上線のこの区間は駅間の距離が短く、沿線伝いに歩けば最短距離で歩ける。30〜40分程度で中板橋付近に到着し、以前住んでいた我が家や、通っていた小学校を懐かしんだ。町並みはすっかり様変わりしていたが、駅へ続くメインストリートは変わっていない。子供の目線と、大人になってからの目線とでは全く違って見えるものだが、道幅が狭く感じるのは何処に行っても同じなんだな、なぞと思いながら通り過ぎた大きな思い出を胸に抱きながら駅へと向かった。

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