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正月が明けてすぐに、母の友人のサカタさんに見台を貰った。サカタさんは暮れに大きな病気を患ってから、もともと薄れかかっていた仕舞への情熱が本格的に冷めてしまった。それで稽古道具の処分にかかったようである。 見台は折りたたんだ状態で、ハトロン紙に包まれ、薄い箱に収まっていた。組み立ててみようと取り出すと、手に白い粉が付いた。見台の表面にうっすらと付いている。木板をヤスリをかけると出るような粉である。一度も使っていないようだ。その粉をきれいに拭くのが面倒で、また元通りにハトロン紙に包んで箱に納めて、そのまましばらく忘れていた。 私はそれまで見台を持っていなかった。しかし家での稽古に全く不都合は感じていなかった。立派に見台の代わりを果たす道具があったからである。それはアイロン台だ。アイロン台には腰掛ける高さとか、立ったままの高さとかいろいろあるけど、私のはいちばんスタンダードな正座の高さのものだ。これが丁度良い高さである。 自宅での私の稽古スタイルは、おもむろにアイロン台の上に謡本を置き、正座して謡い始めるというものだ。稽古に飽きれば、謡本を横にほうり出して、そばにある洗濯かごからハンカチやブラウスを取り出しアイロンがけをする。その際は、霧吹きの水(というかアイロンスムーサー)が謡本に飛び散らないようにしなきゃいけない。このように私の謡の稽古とアイロン台は切っても切れない関係にあった。 話は変わって。前回の稽古でちょっとショックなことを指摘された。 「姿勢が悪いね。背筋伸ばして。」 今まで姿勢には気を付けていたつもりなので、驚いて思わず「背筋、曲がってますか?」聞き返してしまった。 「見台が近すぎるんだ。もっと遠くに離してみなさい。」 確かに見台は、私の膝頭のほぼ近くにある。私は近視気味なので、この近さでないと見えない。5センチほど前に出したけど、「もうちょっと出して」と言われ、結局15センチ近く前に出しただろうか。 「膝がしらは少し開けて。顔を上げて。胸を張って。少し前傾で。手は膝がしらへ。そう、それでいいです。素謡であっても舞台に上がったら人から見られるんだから、常に美しい姿勢でいなさい。」 見台が遠くなったぶん、首はうつむかない。気道も確保できるような気がする。姿勢が悪いのは、背中が曲がっているという意味ではなかったようだ。そういえば、義太夫の見台はちゃんと顔が前を向くように斜めになっているよなぁ。なんで謡の見台はこんなに小さくて、しかも水平なのかしらん。 その翌日、自宅で稽古しようと、エッサエッサといつものアイロン台を持ち出した。昨夜の稽古で言われたように正しい姿勢でアイロン台に向かう。でもなにか腑に落ちない。違和感がある。昨日とは何かが違う。ちょっと考え直して、忘れていたサカタさんの見台を押入れから引っ張り出した。きれいに拭いて、組み立て、その前に座ってみる。うーん、バッチリかも。 ちなみに、愛用のアイロン台と見台を並べてみたら、高さは全く一緒だった。じゃあ今までどおりアイロン台を使えばいいのだけど、それに違和感を感じるのは、単に私が雰囲気に流されやすい人間、ただそれだけだ。幼稚園から小学校低学年にかけて、食卓にハンバーグが出ると、自分でナイフとフォークを出して皿の両脇に並べ「レストラン、レストラン」と喜んでいたような子供だったのだ。いい大人になっても、見台でその気になるぐらいわけないのだ。こうして、私の謡の稽古とアイロン台の蜜月は終わることになった。ちなみにこのタイトルは、先日観た映画のパクリである。この映画の主人公の映画監督は、ハリウッドに別れを告げて恋人とパリへ行くんだけど、私の場合はせいぜいアイロン台に別れを告げて見台で稽古する、それぐらいのものである。
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アイロン台と見台、似て非なるものではなかったのですね♪姿勢は大事かもしれませんね。1月のおさらい会の前は、謡よりも歩き方や坐り方、所作ばかりチェック!!せめて格好だけでも、、、。という師匠心ですね。
2007/4/16(月) 午後 10:14 [ ししまるさん ]
こんどの日曜日は謡うのですか?
2007/4/17(火) 午後 0:38
ししまる奥さん>私も姿勢以外に、扇の抜き方、立ちかた座りからまで事細かに教わりました。しかし師匠もまさかアイロン台で稽古しているとは思いもよらないでしょうねぇ。
2007/4/17(火) 午後 10:06
げんきくん>師匠がね〜。げんきくんも行くの?
2007/4/17(火) 午後 10:07
このまえ、ようやく「さよならさよなら〜」を観ましたよ。目が見えるようになった主人公が試写室で観ますよね、あのカットがなんか良かったなー。関係ないんですけど、今、奥さんはミシン購入計画中です。
2007/4/19(木) 午後 10:13
アイロン台と見台、高さが一緒だったというのがすごいですね。自然と同じ高さの物を見つけてたんですね。アイロン台は出番が減ってかわいそうですけど、やっぱり見台の方が気持ちは入るんじゃないですか
2007/4/21(土) 午前 2:04
ゆうおおさん>私は二人でパリにいくというラストが軽くて好きです。でも、まさか目が見えないまま撮り終えるとは思ってもみなかったですねー。奥さん、何を縫う予定なんでしょう?
2007/4/21(土) 午後 9:17
GENさん>そうなんですよ、意識して同じ高さのものを使ったわけじゃなくて、いつのまにかごく自然にアイロン台を使っていたんですよ。しかし見台だと俄然ヤル気が出ます、流されやすいタイプなので(笑)
2007/4/21(土) 午後 9:20