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プロジェクト1143.5は、キエフ級(1143)に続く旧ソ連の航空機搭載艦であるが、当初から、現在のような形として計画されていたわけでは無かった。

ソ連邦海軍の航空機搭載艦建造計画は、ヘリコプターのみを運用するプロジェクト1123(モスクワ級)からスタートし、次に、СВВП(VTOL)機を運用するプロジェクト1143キエフ級が建造された。
だが、これらの艦艇では限定的な能力しか有していないことは明白であり、「自前の艦隊援護用航空戦力(艦上戦闘機など)」を展開できる母艦の必要性が認識された。即ち、全通甲板と蒸気カタパルトを備えた航空母艦である。
もっとも、造船関係者にしてみれば、プロジェクト1123にせよプロジェクト1143にせよ、「本格的な空母」建造に至る「過程」でしか無かった。
当然、これらの先には、カタパルトを備えた原子力空母が有るはずだったのである。


こうした状況を踏まえ、1968年より、「本格的空母」建造計画がスタートした。同時に、本格的空母用の各種装備、例えば蒸気カタパルトなどの開発もスタートした。
この計画は、暗号名「オリョール」と呼ばれ、1973年には、排水量85,000トン、全長323.7m、幅39.5m、飛行甲板最大幅75.5m、喫水10.7m、原子炉4基搭載、蒸気カタパルト4基を備え、搭載機85機の大型原子力空母プロジェクト1160の設計案が固まった。
この「原子力空母」は、海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥の要求により、艦首に長距離対艦巡航ミサイルの垂直発射機が装備される事になった。
当時の国防大臣アンドレイ・グレチコ元帥は、陸軍出身者にしては珍しく海軍力にも理解があり、「原子力空母」の強力な推進者でもあった。
彼は、回りの人間が「原子力空母」建造に消極的な事が我慢ならず
「諸君は何を躊躇しているのか?アメリカのような空母を造るのだ!我々にも、格納庫とカタパルトを備えた空母が必要なのだ!!」
と部下達を前に檄を飛ばし、彼らを前にして、自分の望む空母を絵に描いて見せるという事までやってのけた。
グレチコ元帥の描いた絵は、米ニミッツ級に近いものであった。

一方、軍需産業関連官僚出身のドミトリー・ウスチーノフ元帥は、原子力空母の建造には反対しており、キエフ級を改良しながら建造し続ける事を強く主張した。
結局、ウスチーノフ元帥の意見が通り、8万トン級空母の計画は中止された。
ウスチノフ元帥は、海軍・造船関係者及びグレチコ元帥ほどには自国の造船能力を信頼してはおらず、また、大型の原子力空母建造に必要な巨額の資金を拠出する事にも消極的だったのである。

8万トン級空母が「葬り去られた」後、1976年に規模を縮小した7万トン級原子力空母・プロジェクト1153の計画が立てられることになった。
1153型は全長265m、幅30.5m、喫水10m、搭載機も50機程度となり、カタパルトは2基に減らされた。
だが「原子力空母」の推進者であるグレチコ元帥は1976年に死去し、後任の国防大臣に空母反対派のウスチノフ元帥が就任した為、計画推進の後ろ盾は消えたに等しかった。

この「空母」は、黒海沿岸のニコラーエフ造船所で建造される予定であったが、ウスチーノフ元帥は
「この艦を建造するのは、ニコラーエフよりもレニングラードの方が良いのではないかね?この点を検討したらどうか?」
などと、またも余計な差し出口を挟み、現場を混乱させた。
ウスチーノフに予知能力が有った事は証明されていない。彼は、10数年後にはソ連邦が崩壊し、独立したウクライナによってニコラーエフ造船所が接収され「空母」の建造が継続出来なくなるという未来を予め予知し、このような発言をしたのでは無論無かった。
彼が気に掛けたのは、1975年にニコラーエフ造船所で竣工した「航空巡洋艦」キエフがボスポラス、ダータネルス海峡を抜けて地中海に出た際、アメリカなどが「(「航空母艦」の両海峡通過を禁ずる)モントルー条約に抵触する」と非難したという事実であった。
案の定、このプロジェクト1153も、ウスチーノフ元帥の横槍によって「撃沈」された。

海軍部内にも、副総司令官ニコライ・アメリコ提督を筆頭に「本格的空母」の建造に反対するグループは存在した。
そのアメリコ提督は、民間用コンテナ船をベースにしたヘリコプター母艦を提案し、これを受けて、プロジェクト10200「ハルザン」の設計案が作成された。
アメリコ提督に有ったのは、総司令官ゴルシコフに対する対抗心や反感であり、その魂胆を反映したのか、この「ハルザン」計画は、非常にいい加減な代物であり、到底、軍艦としての使用に耐えられる物ではなかった。 外見こそ、アメリカの強襲揚陸艦に似ていたが、元が民間用コンテナ船だけに、防御力はゼロに等しかった。
ゴルシコフ総司令官に加え、ウスチーノフ国防相までも、この計画は支持せず、ハルザンは幻と消えた。
だがそれでも、一時期、この計画が真面目に検討されたのは事実であり、これが、空母建造計画の足を引っ張る結果に繋がった事は言うまでも無い。

こうして「蒸気カタパルト付き原子力空母」の計画が次々と葬られていく中、カタパルトの開発は、艦とは無関係に着々と進み、1980年代初頭には、ウクライナ共和国沿岸のサキ飛行実験センターに蒸気カタパルトの試作品が組み上げられ、これとスキージャンプ台、着艦拘束装置を備えた「地上空母」とも言うべき発着艦シミュレート施設「ニートカ」が稼動を開始した。

当時、他のソ連海軍艦艇が、例外なく大型化していく中、なぜか「空母」のみは「出来る限りコンパクト化」が求められていた。

「原子力空母」計画が消えた後、計画は練り直され、1979年11月、排水量65,000トン、搭載機52機、通常動力で蒸気カタパルトを2基備えたプロジェクト11435の設計案が海軍総司令官の承認を受けた。しかし、連邦軍参謀本部が反対し、この時は参謀本部の海軍担当次長になっていたアメリコ提督も、ここぞとばかりに反対し、国防相ウスチーノフ元帥も、排水量を抑える為に蒸気カタパルトではなくスキージャンプ台の採用を指示し、この案も潰された。

これを受けて1980年7月、排水量を55,000トンに抑え、搭載機も46機に減らし、蒸気カタパルトを1基備えた11435計画の修正案が作成されたが、ウスチーノフ国防相は、この案の承認も拒否。
これにより、「カタパルト装備空母」は、完全に葬り去られてしまった。

そこで、キエフ級の排水量を1万トン増やして全通飛行甲板化し、スキージャンプ台と着艦拘束装置を備えた搭載機50機程度の55,000トン級の航空巡洋艦の設計案が最終的に承認された。これが、11435計画の最終的な姿となった。この艦は、開発者の間では「ピャチョールカ」と呼ばれていた。

最初に計画された8万トン級原子力空母「オリョール」よりも大分見劣りする艦が「ピャチョールカ(「5番目」という意味の他に、成績等の評価における「優等」も意味する)」と呼ばれたのは、皮肉としか言いようが無い。
ピャチョールカは1982年9月に起工した。 これが、後のアドミラル・クズネツォフである。

本格的な原子力空母の計画がスタートしてから10数年が経過し、8万トン以上の船体は6万トン以下になり、原子力推進は通常の蒸気タービンとなり、4基装備されるはずだった蒸気カタパルトは、1基も残らなかった。
そこには、いかなる技術的な問題も存在していなかった。既に艦隊には大型の原子力巡洋艦キーロフが就航し、黒海沿岸には蒸気カタパルトが組み上げられてテストを繰り返し、造船所のドックは拡大され、さらに、外国からも大型ドックが購入された。
1980年代前半、既にソ連邦は、蒸気カタパルトを備えた大型原子力空母を建造できる能力を有していたのである。


ソ連邦政府及び軍上層部が「本格的空母」の建造に乗り気では無かった理由には、1970年代のアメリカを始めとする西側海軍の動向も有ったと思われる。
70年代、西側では、建造や維持に巨額の費用が掛かる大型正規空母の必要性について各所で疑問が出されていた。
世界初の空母アーガスを建造したブリテンは、そのアーガス以来の伝統を持つ正規空母の全廃を決定し、当時、まだ艦隊に有った正規空母「イーグル」「アークロイヤル」は除籍され、より小型の「全通甲板巡洋艦」VSTOL軽空母が建造される事になった。
アメリカですら、原子力空母の建造を続ける事に疑問が投げ掛けられていた。
1975年に海軍作戦本部長に就任したホロウェイ大将は、「オールVSTOLネイビー」構想を掲げ「21世紀までに、米海軍の主力はVSTOL空母と成るべし」を主張し、VSTOL機運用の軽空母である「制海艦(SCS)」の計画を推進した。
制海艦は、のちに「VSTOL支援艦(VSS)」に発展し、当初は1万トンを超える程度だった艦が次第に「大型化」していき、最終案では3万トン級にまで膨れ上がり、果てはハープーン対艦ミサイルまで搭載する「航空巡洋艦」と化してしまった。
これらの艦に搭載される超音速STOVL戦闘機XFV-12の開発も行われたが、計画は頓挫し、艦の構想も消えて行った。

このような流れの中、1975年に「世界初のVSTOL空母」キエフが就航した事は、ソ連軍上層部(特に、上述のウスチノフ元帥)に、「自分達は西側海軍に先駆けている」という「錯覚」を与えたとしても、何ら不思議ではない。
アメリカでさえ、原子力空母の建造を止め、「オールVSTOLネイビー」に移行すると言うのならば、こちらも、わざわざ金の掛かる原子力空母を建造する必要など無い、と考えるのも、当時の状況下では不自然では無かったであろう。
折りしも、この当時、Yak-38よりも大幅に能力を向上させた超音速STOVL戦闘機Yak-41(のちのYak-141)の開発がスタートしていたとあっては、尚の事であった。


だが周知のように、アメリカは結局、「高価な金食い虫」ニミッツ級の建造を継続する事になり、さすがのソ連邦軍部内でも、プロジェクト1143.5では中途半端であるとの見方が強くなった。
「空母反対派」急先鋒のウスチーノフ元帥も1980年代に引退した事もあり、同型の建造は2隻で打ち切られ、拡大型で、待望の蒸気カタパルトと原子力機関を備えた1143.7(ウリヤノフスク級)の建造に移行する事になった。
しかし、ウリヤノフスクは建造途中でソ連邦が崩壊し、ロシアには結局、クズネツォフしか残らなかった・・・・・

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