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1990年12月25日、ソヴィエト海軍へ引き渡された重航空巡洋艦「アドミラル・フロータ・ソヴィエツカヴァ・ソユーザ・クズネツォフ」は、就役後も黒海で訓練を行なっていた。

むろんソヴィエト海軍としては、アドミラル・クズネツォフを北方艦隊に配備するつもりだった。

翌1991年1月20日、アドミラル・クズネツォフはソ連邦海軍旗を初掲揚し、北方艦隊に編入された。
(公式には、この日がアドミラル・クズネツォフの就役記念日とされる)
同年8月には北方艦隊基地へ回航される予定だった。

黒海と地中海を結ぶボスポラス、ダータネルス海峡の「航空母艦」通過を禁ずるモントルー条約に従い、ソヴィエト連邦政府は、両海峡を管理するトルコや、アメリカなどに対し、「8月中に"重航空巡洋艦"クズネツォフがボスポラス、ダータネルス海峡を通過する」旨を通知した。
しかし、人員不足により、この時のクズネツォフ回航は実現に至らなかった。

"北方艦隊所属"のクズネツォフが黒海に留まっている間、ソヴィエト連邦は消滅への道を確実に歩みつつあった。
ウクライナも、ソヴィエト連邦からの離脱に向けて動いていた。

ソ連海軍黒海艦隊を手中に収めようと目論むウクライナは、"北方艦隊所属"のクズネツォフまでも接収しようとする「暴挙」に及んだ。
ウクライナ大統領は、直接クズネツォフに宛て「空母はウクライナの財産である。直ちに帰港せよ」と"命令"した。

むろん言うまでも無く、"北方艦隊所属"のクズネツォフに対し、ウクライナ大統領が"命令"出来る法的根拠など、有る筈も無かった。

ウクライナがクズネツォフ接収を企てている事が分かった為、北方艦隊司令部は、急遽、クズネツォフに対し、北方艦隊基地へ向かうよう命じた。

12月1日深夜、クズネツォフは、セヴァストーポリを出港、「約束の地」へ向かった。
この時、クズネツォフには、正規乗員の3割しか乗っておらず、搭載機は、数機のヘリコプターのみであった・・・

黒海艦隊所属の警備艦プイトリーヴイが護衛としてクズネツォフに随伴した。

出航直後、乗員2名が脱走を企てて拘束された。

ボスポラス、ダータネルス海峡を通過したクズネツォフは、エーゲ海に出た直後、地元漁船の網がスクリューに絡まるというハプニングに見舞われた。

地中海を航行するクズネツォフは、西側の注目を浴び、常時、艦艇や航空機が張り付いていた。

ジブラルタル海峡で警備艦プイトリーヴイと別れたクズネツォフは、大西洋を抜け、バレンツ海に入った。

12月24日、クズネツォフは、ムルマンスク近郊のウラ・グバ(ヴィジャエヴォ)に到着した。

1991年12月25日、最初で最後のソヴィエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフ辞任。
連邦構成共和国は主権国家として独立、ソヴィエト連邦は解体された。

これは同時に、クズネツォフの所有者が、ソヴィエト海軍からロシア海軍に移る事を意味していた。



[写真の解説]
・1枚目:セヴァストーポリを出港後のクズネツォフ(1991年12月2日撮影)
・2〜5枚目:地中海を航行するクズネツォフ(1991年12月10日撮影)
クズネツォフの近くに居る「989」の艦は、アメリカ駆逐艦「デイヨー」
・6枚目:ジブラルタル海峡までクズネツォフをエスコートした警備艦プイトリーヴイ(1991年12月撮影)

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