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ポチ港の黒海艦隊

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1941年6月22日、ソヴィエトへの侵攻を開始したナチスドイツ軍は、ウクライナ各地を次々と占領、
1941年9月からは、クリミア半島のセヴァストーポリへの攻撃が開始されました。

セヴァストーポリ攻略を任されたのは、かの有名なエーリッヒ・フォン・マンシュタイン上級大将です。

黒海艦隊の艦艇も、逆上陸作戦や陸上砲撃で友軍を支援しましたが、
翌1942年6月、セヴァストーポリは、ドイツ軍(マンシュタイン率いる第11軍)の包囲下に置かれました。

こうなっては、黒海艦隊はセヴァストーポリに留まる事は出来ず、
コーカサス地方へ脱出する事になりました。

1942年7月3日、セヴァストーポリ陥落。

黒海艦隊主力は、それ以前にセヴァストーポリを脱出し、
コーカサス沿岸のポチ(Poti、Поти)港へ移動しました。

上掲写真は、ポチ港の黒海艦隊艦艇です。

1枚目:戦艦パリージュスカヤ・コムーナ(1942年撮影)
2枚目:巡洋艦クラースヌイ・カフカースと潜水艦(1942年撮影)
3枚目:嚮導駆逐艦タシュケントと潜水艦Ш-212(1942年撮影)
4枚目:嚮導駆逐艦ハリコフ(1942年撮影)
5枚目:駆逐艦ソーブラジテルヌイ(1943年撮影)
6枚目:駆逐艦ボイキィ(1943年撮影)
7枚目:修理中の巡洋艦モロトフ(1942年撮影)
8枚目:修理中の巡洋艦モロトフ(1943年撮影)

これらの主力の他、建造途中の巡洋艦フルンゼ(チャパエフ級)も曳航されて来ました。

巡洋艦モロトフは、1942年8月3日、イタリア海軍魚雷艇の雷撃で艦尾を吹き飛ばされ、
ポチに帰港後、1942年10月から1943年7月に掛け、同港の浮きドック(第201工廠)で修理されました。

この時、モロトフは、未成巡洋艦フルンゼの艦尾を流用して修理されました。


上掲画像9〜11枚目は、現在(2005年5月27日)のポチ港です。

南側に見える浮きドックは、モロトフを修理したものでしょうか。

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かっこいいいーーーーーーーーーーーーwww

2008/6/30(月) 午後 9:23 [ - ] 返信する

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