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ソヴィエト連邦が1930年代に計画した戦艦・プロジェクト23(23号計画艦)ソヴィエツキー・ソユーズ級
満載排水量は6万トン以上という巨大戦艦です。


1936年に承認された建艦計画では、戦艦は8隻建造する予定でした。

【1936年に承認された艦隊整備計画】
・戦艦×8隻
・重巡洋艦×16隻
・軽巡洋艦×20隻
・駆逐艦×145隻
・潜水艦×344隻

しかしこの計画は、実行前の1938年には早くも改訂作業が行われ、
上記の数字は「下方修正」される事になりました。

翌1939年、海軍総司令官に就任したばかりのニコライ・クズネツォフ提督が中心となって
作成した改訂艦隊整備計画では、1947年までに以下の艦艇を建造する事とされました。

【1939年に承認された艦隊整備計画】
・戦艦×6隻
・重巡洋艦×4隻
・軽巡洋艦×21隻
・駆逐艦×100隻
・潜水艦×201隻

計画立案時には、上記の他に空母×2隻も有ったのですが、スターリンに拒否されました。

ただ、下記で述べるように、未だ「ソヴィエツキー・ソユーズ級15隻建造」を信じている人は多いようです。
(特に、2ちゃんねる軍事板あたりでは)

なお、「23号計画」(プロジェクト23)を、当時のソ連海軍全体の艦隊整備計画だと思っている人が
けっこう居るようですが、あくまでも、ソヴィエツキー・ソユーズ級だけの計画です。


最終的に6隻が建造される事となった「23号計画」戦艦ですが、実際に起工された艦は4隻に留まりました。
そして、ソ独戦争などの影響により、竣工した艦は1隻も有りませんでした。

[ソヴィエツキー・ソユーズСоветский Союэ]
1938年7月15日、オルジョニキーゼ造船所(現バルチースキィ・ザヴォート)で起工
1941年7月10日工事中止

[ソヴィエツカヤ・ウクライナ Советская Украина]
1938年10月31日、マルチィ南造船所(現チェルノモルスキィ・ザヴォート)で起工
1941年7月10日工事中止

[ソヴィエツカヤ・ベラルシアСоветская Белоруссия]
1939年12月21日、モロトフスク造船所(現セヴマシュ・プレドプリャーチェ)で起工
1940年10月19日工事中止

[ソヴィエツカヤ・ロシア Советская Россия]
1940年3月21日、モロトフスク造船所(現セヴマシュ・プレドプリャーチェ) で起工
1940年10月19日工事中止


この4隻のうち、ウクライナのニコラーエフで建造されていたソヴィエツカヤ・ウクライナは、1941年のドイツ軍の侵略により、建造していた街自体がドイツ軍に占領され、当然ながら、造船所ごとドイツ軍の手に陥ちてしまいました。
その後、1944年には反攻作戦に出たソ連軍がニコラーエフを奪回したのですが、
ドイツ軍はニコラーエフから退却する際にソヴィエツカヤ・ウクライナを破壊してしまったので
建造の再開は不可能になってしまいました。

レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で建造されていたソヴィエツキー・ソユーズは、進水の手前まで工事が進んでいたのですが、ソ連を侵略したドイツ軍はレニングラードの目前にまで迫り、同艦の装甲板とかは全て剥がされて他に流用されました。
大祖国戦争終了後、「抜け殻」は1949年に解体されました。

北洋方面のモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)で起工された2隻も、大して工事が進まないうちに建造は中止されました。

と、このように大祖国戦争の影響をモロに受けたソヴィエツキー・ソユーズ級ですが、
ソ連海軍は、この4隻を各方面艦隊(バルト、黒海、北方、太平洋)に1隻ずつ配備し、
各艦隊の旗艦にするつもりだったようです。
ちなみに、当時、同級の建造期間は、60ヶ月と見積もられていました。

当初の予定通りに4隻とも竣工していれば、ソヴィエツカヤ・ベラルシアかソヴィエツカヤ・ロシアのどちらかが太平洋艦隊に配備されたでしょうが、当時ソ連は、極東方面にこのような大型艦艇を整備できるドックを有しておらず、配備されたとしても、定期修理のたびに建造元の造船所に回航しなければならなかったでしょう。



さて、ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦に関して良く言われているのが
「ソ連は、同級の主砲を製造できなかった」
という事です。

例えば、↓このページ(超甲巡タカチホ)
http://www.akane.sakura.ne.jp/~ckj/88freet/soyuz.htm
「主砲などは制作の形跡もない」と書かれてます。

「浅想ろぐ」
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=97756&log=200301
◎ソ連は、WW2時の戦艦(未成)『ソヴィエツキー・ソユーズ』級の主砲をアメリカから輸入する考えであった。
自国に大口径砲の製造技術が無いのに自国での建造が計画されたと言う点で、本クラスは戦艦史上に例が無い存在である。

2ちゃんねる軍事板過去ログ「信じられないが、本当だ」より
http://mentai.2ch.net/army/kako/970/970533362.html
125 名前: ふぁいるず 投稿日: 2000/10/07(土) 11:30

>116,120
更に言えば、40センチ砲の購入をアメリカに断られ、当時条約を結んでいた独にも38センチ砲を断れ・・・・たにも関わらず建造開始。
しかも、ソビエツカヤ・ウクライナ、ソビエツカヤ・ベルルーシア、ソビエツカヤ・ロシアまでも・・・
ひょっとしたらキーロフやマキシム・ゴーリキーの18センチ3連装を30門ぐらい装備する超ドキュン巡洋艦計画だったの鴨。


まあ最後の2ちゃんねる軍事板は問題外ですが(失笑)
(「超ドキュン」は、この「ふぁいるず」とかいうマカーキの方だろ)

では実際にはどうだったのかと言うと・・・





B-37型50口径40.6cm砲
http://www.navweaps.com/Weapons/WNRussian_16-50_m1937.htm

というわけで、実際に「製造」されておりました。
上記の御三方、残念でした(笑)

要約すると、B-37型40.6cm砲は、1939〜40年に掛けて12門が製造され、
完成した砲は、レニングラードの陸上砲台に転用されたようです。

砲撃試験を行ってみたら、結果はイマイチだったようで、
砲弾発射用の火薬とか散布界などの問題は有ったようですが、
この辺りは、テストを繰り返しながら改良していくものです。
しかし戦艦の建造が中止されたのに伴い、砲の開発もストップしたので
改良される機会も無くなった事も考慮すべきでしょう。

ソ連・ロシアの大口径砲の開発は、帝政時代末期の30.5cm砲でストップしており
それから20年以上のブランクを経て、いきなり40.6cm砲を造ったのですから
当初は不具合が続出するのは当然の事。


少なくとも、上記の「超甲巡タカチホ」や「浅想ろぐ」などに書かれているのは、完全なデタラメです。
ロクに調べもせずにデタラメを書けるという点で、「超甲巡タカチホ」や「浅想ろぐ」は例を見ない存在(失笑)、
と言いたいところだが、ロシア・ソ連海軍に関しては、軍事専門誌でさえ平気でデタラメ書いているからなあ・・・

だいたい、サンクトペテルブルク市の海軍博物館には、この40.6cm砲の砲弾が展示されているわけだが(^^;
砲弾だけ造って、砲本体は造らなかったとでも?


ただ、本級の構成部品のうち、21万馬力の大出力蒸気タービン機関は、スイスBBC社に発注されました。
ただしこれは、蒸気タービン機関をソ連国内で製造出来なかった為ではなく、
当時、ソ連は巡洋艦や駆逐艦用の機関の製造で手一杯であり、
蒸気タービン機関が足りなくなる恐れが有った為に外国に発注したものです。


上記の「超甲巡タカチホ」などで書かれているほど非現実的な計画では無かったんだよね。
少なくとも技術的には。


なお、一部で、本級の建造費が当時のソ連の「国家予算」の「3割」などと書かれていますが・・・

http://mentai.2ch.net/army/kako/970/970533362.html
120 名前: >116 投稿日: 2000/10/07(土) 10:50

ソビエツキーソユーズ3隻の建造にかかった費用はその年の国家予算の1/3。
しかも6年間で同型艦を15隻建造する予定だった。
何を考えてたんだスターリン!


「同型艦を15隻建造」というのは、冒頭で述べた通り、全くのデタラメです。
建造費に関しても、正確には、本級4隻の建造費が、当時(1940年頃)の「海軍関連予算」の「1/3」です。


何を考えてたんだ、2chのマカーキども!!

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