駆逐艦ソブレメンヌイ型

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ロシア(ソ連邦)最後の「正統派駆逐艦」ソブレメンヌイ級について。
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現在、ロシア海軍に在籍する956型(ソブレメンヌイ級)駆逐艦は、この10隻です。

[北方艦隊]
アドミラル・ウシャコフAdmiral Ushakov
ベズジェルジュヌイBezuderzhny
グレミャシュチィGremyashchy
ラストロープヌイRastoropny(修理中)

[太平洋艦隊]
ブイストルイBystry
ベスボヤズネンヌイBezboyaznenny
ブールヌイBurny(修理中)
ボエヴォイBoyevoy

[バルト艦隊]
ナストーイチヴイNastoychivy
ベスパコイニィBespokoiny

1980〜1994年に掛け、ソ連・ロシア海軍に計17隻が就役した956型ですが、
1990年代末に6隻が除籍され、2002年に1隻が除籍されました。

この7隻は、1980年代前半に就役した956型の前期建造艦であり、
ちょうど1990年代にはオーバーホール時期に差し掛かったのですが、
この頃はソ連邦解体後の混乱と極度の財政難により、修理資金を出せず、
早期退役を余儀なくされました。

現役にある10隻も、造船所で修理中の艦や、実質的に予備役となっている艦もあり、
10隻全てが稼働状態にあるわけでは有りません。

この状態を指して『世界の艦船』などは、本型を失敗作、駄作艦と決め付けています。

しかし当ブログでも何度も書いているように(ウィキペディアにも書いたが)、956型の稼働率が悪いのは、
ガスタービン機関が主流の現代海軍において、蒸気タービン艦は維持整備に手間が掛かり、
取り扱いも難しいので、今のロシア海軍には、いささか持て余し気味である事、
必要な乗員数が1155型よりも多い為(1155型は249名に対し、956型は296名)
慢性的な人員不足に悩むロシア海軍にとっては、1155型よりも使い難い艦である事、
更には、かかる状況下でロシア海軍は、無い袖を振って大型の巡洋艦や「空母」を維持している為
そのシワ寄せが来ている事などが挙げられるでしょう(特に北方艦隊所属艦は)。

加えて、ロシア海軍では、蒸気タービン機関は重油、ガスタービン、ディーゼルは軽油と
2種類の艦艇用燃料が使われていますが、ソ連邦解体後、蒸気タービン艦が激減したので
燃料の重油の割り当ても少なくなっている事も有るかと。
ましてや北方艦隊の場合、なけなしの重油は、空母クズネツォフに持って行かれるだろうし。

もともと、プロジェクト956が蒸気タービン推進艦になった理由の一つは、
ガスタービン用燃料の供給不足を懸念しての事だったのだが、
ソ連邦解体後、これらの「配慮」が、完全に裏目に出てしまったと言える。

結果からいえば、プロジェクト956はガスタービン艦にするべきだったが、
本型が計画された1970年代、ソヴィエト連邦が1990年代初頭には無くなり、
今日のような事態に陥るであろう事を、誰が予測できたか?
もし、そのような者が居たとしたら、それは人間ではないだろう。

「ソ連邦の解体(崩壊)は、歴史の必然だった」などと「したり顔」をするヤツは多いが
それは、ソ連邦が無くなった今だからこそ言える事であってね。
酷いのになると、「アメリカはソ連を崩壊させる為に軍拡競争を行なった」
などと抜かすヤツも居るし・・・

あと、ソ連の海軍力増強が財政を破綻させた、などと信じているヤツも結構居るようだしね(失笑)

『世界の艦船』2004年10月号(特集・原潜の50年)「原潜は海軍作戦をどう変えたか その半世紀の歩み」より。
「国家予算の40%を使って作り上げた海軍は、共産主義経済を世界に広め、国家に富をもたらすシー・パワーの性格を持っていなかったのである」
(橋本金平[元一等海佐])

日本海上自衛隊で「キャプテン」にまでなった人ですら、
こんなデムパを専門誌に書いているくらいだからなあ・・・(失笑)


「国家予算の40%」って、ソ連の艦艇はダイヤモンドと純金とプラチナで造っていたのかい?(笑)

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ソヴレメンヌイ級駆逐艦の16番艦ナストーイチヴイНастойчивый

1988年4月7日起工
1992年進水
1993年3月27日就役

起工当初の予定名はモスコフスキー・コムソモーレッツМосковский Комсомолецでしたが
1992年12月5日、ナストーイチヴイに改名されました。

建造中にソ連邦が解体され、進水したのはソ連邦解体後になりました。
起工されたのは15番艦ベスパコーイヌイより1年遅かったのですが、完成は本艦の方が9ヶ月ほど早くなりました。

本艦は就役後、バルト艦隊に配属され、同艦隊の旗艦となりました。
バルト艦隊には、ミサイル巡洋艦2隻が居たのですが、ソ連邦解体後に退役した為
その穴埋めとして、本艦とベスパコーイヌイが配属されたようです。

就役間もない1993年6月19〜26日、ドイツのキール市を訪問、
その数日後の6月28日〜7月2日には、ウィヘルムスハーフェンを訪問。

翌1994年7月には、フランスのルーアン市を訪問。

その後も、バルト海諸国海軍合同演習BALTOPSにたびたび参加するなど、
ソ連邦解体後の混乱と財政難の中で、本艦は良好な状態に維持され、活発に行動していました。

1996年夏には、当時のロシア連邦大統領ボリス・エリツィンが本艦を訪問し
2000年7月には、ウラジーミル・プーチン大統領の訪問を受けました。

2005年には、サンクトペテルブルク市で開催されたIMDS-2005に
新型潜水艦「サンクト・ペテルブルク」と共に「出展」されました。

2006年当時の艦長は、セルゲイ・ピンチュク一等海佐(カピタン・1ランガ)です。

本艦の舷側番号は、1992年には「675」でしたが、1993年以降は「610」となっております。


[写真の解説]
1枚目:洋上テスト中のナストーイチヴイ(1992年12月撮影)
2枚目:就役後にドイツのキールを訪問(1993年6月撮影)
3枚目:バルチースク基地にて(2002年7月14日撮影)
4枚目:ポーランドのグディニヤ訪問(2003年6月撮影)
5枚目:バルト海諸国海軍合同演習BALTOPS-2003に参加(2003年7月9日撮影)
6枚目:BALTOPS-2005に参加(2005年6月6日撮影)
7枚目:BALTOPS-2005に参加(2005年6月8日撮影)
8〜10枚目:IMDS-2005に展示(2005年7月1日撮影)
11枚目:サンクト・ペテルブルクのネヴァ川にて(2005年7月29日撮影)
12枚目:バルチースク基地にて(2006年7月28日撮影)

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ソヴレメンヌイ級駆逐艦の15番艦ベスパコーイヌイБеспокойный

1987年4月18日起工
1990年6月9日進水
1992年2月11日就役

建造時期がソヴィエト連邦解体と重なった為、進水と竣工が遅れてしまい
本艦より後に起工された16番艦ナストーイチヴイの方が先に完成してしまいました。

ソヴレメンヌイ級の本艦以降は改良型のプロジェクト956Aとなり、
エリア防空ミサイルが「ヨーシュ」(SA-N-12)に
対艦ミサイル「モスキート」も射程延長型(3M82「モスキートM」)に換装されました。

それまでソヴレメンヌイ級は、北方艦隊か太平洋艦隊に配属されていたのですが、
本艦は、バルト艦隊に配属されました。

おそらくは、バルト艦隊に配備されていた旧ソ連時代のミサイル巡洋艦が退役したので
その代わりに配備されたものと思われます。
あと、ソ連邦解体後の混乱により、北方艦隊なり太平洋艦隊の
根拠地に回航する余裕が無かったという事も有るでしょう。

2001年にはバルト海沿岸諸国の海軍合同演習「BALTOPS-2001」に参加。

2003年にはサンクトペテルブルク市で開催されたIMDS-2003にて「展示」されました。

2004年よりカリーニングラードのヤンタリ・ザヴォートでオーバーホールが行なわれ、
2005年末までに復帰しました。

本艦の舷側ナンバーは、1992年までは「678」、1993年以降は「620」となっております。

[写真の解説]
1枚目:洋上のベスパコーイヌイ(1994年撮影)
2枚目:洋上のベスパコーイヌイ(1997年撮影)
3、4枚目:BALTOPS-2001に参加するベスパコーイヌイ(2001年7月撮影)
5枚目:バルチースク基地に停泊するベスパコーイヌイ(2002年7月26日撮影)
6〜8枚目:IMDS-2003に展示されるベスパコーイヌイ(2003年6月撮影)
9枚目:バルチースク基地のベスパコーイヌイ(2006年1月撮影)

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ソヴレメンヌイ級7番艦「ストイーキー」Стойкий

1982年9月28日起工
1985年7月27日進水
1986年12月30日竣工

本艦より、蒸気タービンエンジン用の高圧ボイラーがKVG-3型に変更されました。
ちなみに本艦以前の艦(1〜6番艦)は、KVN-98/64型ボイラーを搭載していました。

1987年2月24日、太平洋艦隊に編入。
同艦隊に配備された3隻目の956型になります。

1980年代には活動していたものの、1991年12月のソ連邦前後には洋上に出る事も無くなり、1993年10月22日からウラジオストクの艦船修理工場ダーリザヴォートでオーバーホールが開始されたものの、資金不足で工事は進まず、ついには修理を断念して1998年5月30日除籍。

その後、ストレロク基地(アブレーク湾)に回航され、同地で係留保管される事になりましたが、1999年4月8日、係留中の本艦は浸水し、湾内で沈没してしまいました。

「ストイーキー」は2001年に浮揚され、スクラップとして中国に売却されました。

なお、本艦の舷側番号は、以下のように変遷しています。

1986年:679
1987年:645
1989年:719
1990年:727
1993年:743

[写真の解説]
1枚目:1987年撮影の「ストイーキー」
2枚目:1989年撮影の「ストイーキー」

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ソブレメンヌイ級5番艦ベズプレチュヌイБезупречный

1981年1月29日起工
1983年7月30日進水
1985年11月16日就役
1986年1月7日、北方艦隊編入

本艦と4番艦は、艦橋頂上部のレーダーが「フレガートM」(プレートスティア)となっております。

就役後の本艦は、大西洋や地中海で行動し、
1990年7月9〜13日、ブリテンのポートスミスを訪問
1991年12月20〜24日、エジプトのアレクサンドリアを訪問しました。

1993年11月3日、オーバーホールの為サンクトペテルブルクに入港。
1994年からセーヴェルナヤ・ヴェルフィでオーバーホールが開始されましたが、
財政難により工事は進まず、2002年、修理を断念して除籍されました。

なお、本艦の舷側番号は、以下のように変遷しています。

1985年:820
1986年:430
1987年:681
1988年:459
1991年:413
1992年:417
1994年:455
1995年:439


[写真の解説]
1枚目:北大西洋のベズプレチュヌイ(1986年8月30日撮影)
2枚目:北大西洋のベズプレチュヌイ(1986年9月撮影)
3枚目:地中海のベズプレチュヌイ(1990年12月17日撮影)
4枚目:地中海でNATO軍の動向を監視するベズプレチュヌイ(1990年12月撮影)

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