脱!竜馬がゆく

『小説は小説として楽しみ、史実は史実として理解したい』、そんな思いからのタイトルです。

龍馬を考える

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新オコゼ組

「竜馬がゆく」を読みなおしているが、少々さぼっていた。ようやっと単行本で二巻
を読み終えた。
『脱藩』の項で、昔、掲示板で盛り上がった単語が出てきた。「新オコゼ組」だ。

こういう、東洋引き立ての新官僚のことを当時家中では「新オコゼ組」といった。な
ぜこの出世組がそんな奇妙な異名でよばれるかについてはおもしろい話があるのだ
が、ここでは本筋から離れるために、説かない。

とある。
「脱!竜馬がゆく」の掲示板で、当時この話題が盛り上がったのだが、常連さんから
「オコゼ」は魚ではなく、貝であることを教えてもらった。ホームページのコーナー
である「脱!竜馬がゆく こぼれ話」にこの事を書いた。




平成12年に作ったコーナーだが、すっかり「新オコゼ組」のことは忘れていた。
確かに、「オコゼ」の意味は解ったのだが、司馬先生がおっしゃる「おもしろい話」
とはいったい何だったんだろうか。。。。。

おやべ

竜馬がゆく。とりあえず、200ページまで読んだ。

この段階で、お田鶴様・寝待ノ藤兵衛・信夫左馬之助・お冴と創作人物が結構出てきた。

「乳母のおやべ」も出てきた。
「おやべ」という人物は龍馬の手紙に出てくるが、これは「坂本龍馬101の謎」(新人物往来社、菊地明・伊東成郎・山村竜也著)の「10 乳母・おやべ−おやべとは誰なのか」を読むと、龍馬の手紙であて先を「権平・乙女・おやべどの」としているが、同じ手紙の追伸で乳母の消息をたずねているので、同一人物ではないとある。おやべは「春猪」ではないかとの推測にも、「乙女・おやべ」あての手紙に「春猪がかんざしよこしてくれよと申し来たりけれども・・」とあるので、これも同一人物ではないとしている。最後に、「坂本家にごく近い誰か」という結論に達している。

最近、あるところで「毎日ひと言坂本龍馬」(扶桑社)という本に「おやべという姉がいた」と書いてあると知ったのだが、どんな内容なんだろうか。。。。明日、本屋へ寄ってみようかな。。。。

坂本栄の墓

まずは、私のHPの坂本栄考察を読んでいただきたい。
これは2000年に書いたものだ。

ここで訂正したいことが2つある。

2004年に高知へ行ったとき、前田秀徳氏とお会いすることができた。前田氏は丹中山を守り抜いた高知在住の写真家であり、歴史研究家である。まさに侍のような方で、この方がいなかったら丹中山はなくなっていたかもしれない。
その前田氏とお話しすることができた。実は、この事をネットで書くのは初めてだし、一緒にいた仲間以外にはほとんど話したこともない。なぜか判らない。それだけ、氏に神聖なものを感じたのかもしれないし、丹中山のあまりにひどい景色に私自身が記憶を止めようとしたのかもしれない。
色々お話させていただいた中で、上記のHPに書いた「坂本栄のお墓」の話になった。

前田氏の著書に「龍馬からのメッセージ」があるのだが、そこに「栄の墓であるかどうかの結論は、敢えてさけておく事にする」という一文がある。なぜあれだけの証拠を示しておきなながら、結論を避けたのか。このことを聞いてみた。
特にとめられた訳ではないし、もう話しても良いと思う。前田氏は師匠のある有名な龍馬研究家が「栄自殺説」を過去に書いているので、ご自分の意見をストレートに出す事で師匠批判になることを避けられたようだ。やはり侍だ。

その時、氏が私に言ったことが、墓石の文字の剥がれに関して、「あれは自然に剥がれたものだよ」とおっしゃっていた。丹中山の事を知り尽くした方からの言葉なので、まず間違えはないだろう。

改めて書く。坂本栄は柴田家の人間として亡くなったのだ。龍馬の脱藩で自殺したのではない。

龍馬の靴

イメージ 1 龍馬の靴について考えてみた。
ご存じ桂浜の像のモデルに使用された写真はブーツを履いているが、このブーツは「サイドゴアブーツ」というタイプだ。ロンドンのチェルシー地区で流行っていたため「チェルシー・ブーツ」ともいう。1836年に考案されたものだが、龍馬が撮影したころには30年近くたっていたので、それなりにメジャーなデザインだったのだろうか。
これは、ニッポン靴物語(新潮社版・\1,200・山川暁著・1986年)という本だが、第一章が「靴をはいた武士(さむらい)」である。最初の項は「坂本龍馬の靴」というタイトルになっており、6ページある。靴の歴史の本なので、龍馬を知らない読者のために簡単な説明に半分を割いている。そのため、龍馬の靴についてそれほど詳しく書かれているわけではない。内容を簡単に説明すると、以下のようになる。

・龍馬は数多く旅をしているが、普段から履くと攘夷派に狙われる。
・長崎市中も危険に変わりないので市内を歩くときも履いていないだろう。
・靴のことを書いた手紙が残っていない。
・残された写真が龍馬が靴を履いていた唯一の証拠で、これら以外の資料はない。ゆえに龍馬の靴に関しては推測するしかない。
・写真撮影のために履いたのではとも考えられるが、だったら洋服や帽子もつけるであろうから、個人所有のものだろう。
・その気になれば、靴は長崎で入手できた。
・一番確実性があるのは、船の上で履いていたのではないか。
・でも全て謎である。

映画や小説では長崎の古道具屋で買ったり、ある本ではグラバーから入手したのではと書かれているが、最後の「全て謎である」がまさに全てで、どこの国で作られたか、どこで買ったか、どんな素材だったかなど知るすべはない。


イメージ 2 イメージ 3
この本は、平成13に発行された「週間 TIME TRAVEL 再現 日本史(講談社・\560)」の 「第3号(幕末・維新)」である。
27ページに「生活日本史」という項目があるのだが、サブタイトルが「和服にブーツが幕末最先端!龍馬の靴はなぜ大きめだった」となっている。ここではサイドゴアとは言わず、「深ゴムブーツ」と表現しており、以下の文章がある。(右の写真は、龍馬がはいていたものと同型と紹介されている)

「甲高幅広の日本人がはくには、大き目のものを選ばなければならかったようで」


龍馬の足のサイズを考える

「どこの国で作られたか、どこで買ったか、どんな素材だったか」は解らないが、写真があるのでサイズは身長からの換算で推定できる。
龍馬の写真から考えてみる。立っている方は、靴の長さが分かりづらい。座っている方は腰以下のサイズ換算が難しい。そこで立っている方で、身長から顔の長さを割り出す。その長さを座ってる方にあてはめ、顔の長さと靴の長さの割合から求める。

イメージ 4


ここで、龍馬の身長を169cmとしたが、これはENAK というニュースサイトをご覧いただきたい。
この換算で、31.8cmという数字が出たが、これは靴のサイズではない。靴というのは、足の長さ(かかとから、人差し指か中指の長い方までの距離)が25cmの人が履いてちょうど良い靴を「25cmの靴」というのだ。靴のある部分が25cmあるというわけではない。
では、靴の中身のサイズはどう考えるべきか。外寸(ソールの全長)と内寸(中敷きの全長)の比率で考えてみる。イギリスのチャーチという靴があるのだが、その通販にデータがあった。これらを調べてみると、「内寸×1.09=外寸」という式が成り立つ。
写真より、外寸が31.8cmなので、「31.8÷1.09=29.2」。内寸は29.2cmとなる。靴には捨て寸という余裕がある。つま先が直接当たると痛いし、普通に歩けない。捨て寸は通常、成人男子の靴で1〜1.5cmある。これを考慮すると、龍馬の靴は28.0cmの靴となる。

さあ、これで解決とはいかない。
「週間 TIME TRAVEL 再現 日本史」の「甲高幅広の日本人がはくには、大き目のものを選ばなければならかったようで」という文章が引っかかる。靴のワイズ(幅もしくは周囲)の問題だ。
では、実際に日本人と欧米人ではどれくらいの差があるのだろうか。

シリオ という靴販売のサイトがある。ここに欧米人と日本人の足型の違いについて書いてある。欧米人の足長と足幅の比率は10:3.5であるのに対して、日本人は10:4ということらしい。
サイズ28.0cmのブーツを日本人が幅で合わせるには、(4÷3.5=1.14から)実際のサイズの1.14倍の長さが必要ということになる。28.0cmのブーツを幅で合わせて入手したと考えると、(28.0÷1.14=24.56から)足のサイズは24.5cmと推察される。

いかがだろうか。身長169cm、足のサイズ24.5cmの龍馬はずいぶんと身近に感じるのは私だけだろうか。
映画などの寺田屋遭難の場面で、龍馬がピストルを扱いかねていることをよくコミカルに描かれる。龍馬は当時、「S&Wモデル2アーミー」というピストルを所持していた。私は子供のころからモデルガンなどにあまり興味がない方ので、「S&Wモデル2アーミー」を30歳を過ぎてから入手したのが最初の一つだった。それまでは「なんで龍馬は寺田屋遭難時に弾装(シリンダー)を落としたのか?」が良くわからなかった。

まず、は実際に龍馬が書いた手紙の内容である。

龍馬が兄である権平(と周りの人)にあてた手紙から
慶応2年12月4日 [坂本権平、一同あて]

此間に銃の玉込ミせんと銃の◎此様なるもの取りはづし、二丸迄ハ込たれども先刻左右の指に手を負ひ、手先き思ふ様ならず、阿屋まりて右玉室を取り落としたり。

※「◎」は実際の手紙では、大きな円と小さな円の間にさらに小さな「●」が5つ均等に書いてある。いわゆる蓮根のような絵だ。

「竜馬がゆく」での場面は

竜馬がゆく・怒濤篇(伏見寺田屋)から
 「ばかめ!」
 と、竜馬は上機嫌でわめいたが、そのときすでに左手の親指に傷をうけていたのであろう。銃身で受けはしたが、刃がざくりと親指に切り込んだにちがいない。
(指からもこれほど血が出るものか)
 とおほうほどに弾の装点をしていても血がどんどん流れて、短銃、弾、部品が濡れ、思うように操作できない。それに左手の親指がきかないため、右手まで、こまかい作業を受け付けないのである。
 ついに竜馬は、掌のうちから、ぬるりと蓮根型の部分を取りおとした。

この様に、玉室・蓮根型の部分(弾装・シリンダーのこと)を落としている。

弾装はそんなに簡単に落ちるのだろうか。。。。
S&Wモデル2アーミーは、西部劇でよく見かけるものとは少々違うのだ。弾装が簡単に落ちるのである。

イメージ 1この画像は「お〜い!竜馬」で寺田屋遭難の時、指を怪我していることに気づいた場面だ。銃身が真っ直ぐ(通常の銃なら普通だが)になっており、シリンダーが横にスライドしている。これが間違いなのだ。

ここで次の動画をご覧いただきたい。



どうでしょう。
「S&Wモデル2アーミー」は銃身を上に持ち上げ、シリンダーを取り外してからでないと弾丸を入れ替えることができない。
暗闇の中、指をけがして、血だらけで手でこの銃を操作するのは相当やっかいなことだったのだろう。



HPのBBSの常連さんで詳しい方がいて、その人が自然堂というサイトに「幕末の銃器について-龍馬とピストル編」という投稿をしているので、ぜひ一度ご覧になって頂きたい。

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