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「知る権利」と「知らせる義務」(その2)  \?\᡼\? 1 \?\᡼\? 1
 
放送には、「公正原則」や「公平性」は必要不可欠!
アメリカの「通信法」において、「公正原則」は、公的に重要な争点に妥当な放送時間を割き、その争点を扱うに際し、対立する見解を公正に報道する義務を放送事業者に課したものだった。しかし、レーガン政権は、通信法の公正原則を1987年に撤廃してしまった。
一方、アメリカと共同歩調を取るサッチャー政権下のイギリスでは、1990年11月、放送法が成立し、1991年1月1日に発効した。「放送法」における公平性は、「十分な公平性」という文言で規定され、6条の(1)cに「十分な公平性は、政治・経済上議論になっている事柄を尊重するような放送を提供し、また最近の公共政策に関連する事柄を放送する事業者によって維持されなければならない」と規定されている。
「公正原則」や「十分な公平性」という縛りがなくなれば、国民にとって重要な争点に対し、多様な意見を表明する手段が失われ、政府や放送事業者の恣意的な選択による報道のみになることは自明の理である。
 
NHKは、公共放送となりえるのか?
NHKの報道姿勢は、アメリカ「通信法」の「公正原則」やイギリス「放送法」の「十分な公平性」の基準と比較すると、全く一方的な報道内容である。報道内容に精通した専門家の意見を紹介するなど、一見「公平性」が保たれているような印象を一般視聴者与えているが、専門家の選定はかなり限定的である。街中で一般人から意見を聞く場面も目にするが、茶番である。また、ニュース解説などをみても、かなりの分析をしているようにも見えるが、思い込みが強く押しつけがましい。単純な人はそれらの内容を疑うことなく信じてしまう。一種のプロパガンダと思えなくもない。
一方、自然、伝統・風土、歴史・遺産、真理探究・学識、技術、産業、工芸、芸術などの紹介番組、NHKスペシャルやBS世界のドキュメンタリー、ETV特集など歴史や現実世界の矛盾や病弊を詳細に取材した一見に値する番組も豊富である。しかし、これらの教養番組で社会性のあるものは、一般の人々が見ないような時間帯に組まれるものが多く、興味があっても生活習慣上なかなか見られない人々も多いはずである。
 
NHKはあまりにも巨大化し過ぎた。地デジ民放と同列のワイドショウ型の番組やドラマ、紅白歌合戦など無用である。民放一局の3倍分ものチャンネル数を持ち、あらゆるメニューを揃えており、その費用を受け手側の視聴者に負担させようとすることは、公共放送の名を借り国民を欺き、不要かつ一方的な情報を押し付け、国民の「知る権利」を阻害することにもなる。
公共放送が「公的に重要な争点に妥当な放送時間を割き、その争点を扱うに際し、対立する見解を公正に報道する義務」を果たさず偏向報道を続ければ、「公衆がその必要とする情報を、妨げられることなく自由に入手できる権利」を行使することはできない。
 
NHKを公共放送と位置付けるならば、「公正原則」や「公平性」は必要不可欠である。同時に、報道・教養番組と娯楽番組を切り離し、ニュース、討論、特集報道、教養番組等に特化する必要がある。
 
国家機密と民主主義

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