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新自由主義の終焉(2) \?\᡼\? 1  \?\᡼\? 1

新自由主義の限界 

 ” We are the 99%”、 アメリカ社会が抱える格差拡大の現象はひとりアメリカだけの問題ではなく、アメリカン・スタンダードによるグローバリズムとボーダーレス社会の浸透で、全世界に及んでいる。

 欧州危機問題では、経済統合と通貨統合だけで、政治的統合が出来ていないために、各国が独自の判断でそれぞれに国債や通貨を発行できるようにしていることが本質的な問題である。その上、GDP、所得、失業率について加盟国間格差の問題と加盟各国の国内における地域格差の問題が存在する。これは、安全装置の付いていない爆弾をいたる所に放置したまま、できるだけ爆弾に近づかないようにしながら日常生活を送っているようなもので、誰かが誤って触れるようなことがあれば、即、大事故が惹き起こされることになるのは自明の理である。
 統合欧州内では最も裕福なドイツが、問題発生の都度、その対応を一手に引き受けなければならないため、ドイツは徐々に疲弊する一方で、ドイツにどれほどの耐性があるかで欧州全体の破綻の時期が決まってくる。そこに至る前にドイツの堪忍袋の緒が切れてしまえば、統合通貨ユーロのデフォルトが決定する。しかし、ドイツが離脱を図っても痛みを伴わなずに切り抜けられる訳ではなく、現在の日本と同様、ドイツは強烈なマルク高に見舞われ、ドイツ経済はデフレとなり、全ての域内対外債権は紙切れとなる。ドイツ国民もしばらくは耐乏生活を余儀なくされることになる。
 ドイツ統合後、希望に溢れ西ドイツ側に移住した元東側の人々にとっては、住みにくい環境から逃れ、所得が下がっても故郷での落ち着いた生活を求め、帰郷する人々が増えていると言う。これは既に、新自由主義的なグローバリズムとボーダーレス社会は終焉を迎え、新たな価値観による改革が進められなければならない時期に来ている証拠であり、一つの改革のヒントになるのかも知れない。

 ロシアもかつてのソ連時代と比較し貧富の差が拡大し、企業による環境汚染は度を越し、従業員や周辺市民への健康被害も広がっている。ソ連崩壊後の自由競争社会は、一握りの成功者を除けば、その他大勢の人々は労働条件も悪く、旧ソ連時代を懐かしむ声が増えている。
 社会主義市場経済体制へ移行した中国も、「官の意思とプランニングによって作りだされ、官がその恩恵のほとんどを享受する資本主義である。この結果、党・政府幹部、国有企業経営者、新興資産家及び一部の党に協力する知識人に富が集中し、一般庶民は所得の伸びが低迷するなかで医療難・就学難・住宅難に苦しむこととなり、改革派・新左派双方から現行路線・政治体制の変革が求められている。」という。

バブル景気の陰に隠された急激な円高 

 1985年当時、アメリカは経常収支と財政の莫大な双子の赤字を抱えており、日本とドイツをターゲットに同年9月22日(日)にG5による「プラザ合意」が交わされ、ドル高是正のために、為替変動相場制移行後における恣意的な相場誘導のための協調介入策がとられた。これによって円/ドルは240円から2年後には120円台に高騰し、一時的には160円近くまで減価する場面もあったが、1995年4月には79.75円/ドルの最高値を付け、以降リーマンショックに至るまでの間、100-130円の比較的安定したレンジ内で変動していた。
 また、急激な円高は、製造業などの対外競争力が弱められ、円高不況に陥った。この不況を脱するために、日本の輸出企業は、売上を国内に移したり、国内生産を海外での現地生産に切り替えたり、部品調達を海外から行うといった対策をとり、その結果、多少の円高は、輸出企業にとって大きなマイナスではなくなった。一方、円高は、対外投資を活発化させ、輸入企業にとっては、コスト減による増収効果など、国全体でみると、円高は景気へのプラス材料と考えられるようになって行った。
 プラザ合意と期を同じくして、中曽根内閣は、経済的自由競争を重視し、民間活力による効率やサービスの向上を目指す公共投資を中心とする内需拡大政策が推し進めた。これらの内需拡大策に加え、日銀は1986年1月に公定歩合をそれまでの5%から4.5%に引き下げ、それを皮切りに、その後約1年の間に計4回の利下げを行い、その結果1987年2月には、公定歩合は当時としては史上空前の低金利である2.5%にまで低下した、また、1986年の逆オイルショックでは原油価格が前年の27ドル台から一気に半分以下の13ドルまで下がった。これら円高・低金利・原油安を契機として、日本は資産の高騰と企業業績の上昇により株価も高騰するバブル景気(1986年12月〜1991年2月)に突入した。土地の最高値時には、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという算出結果となるほど日本の土地価格は高騰し、日経平均株価は1989年12月のピーク時には高値38,915円を付けた。この時点では、誰も円高が日本経済にとって、重大なマイナス要因になるとは思っていなかった。むしろ、急激な円高が「日本の自信」となり、バブル景気を加速度的に推し進めた感も否めない。
 バブル景気が始まっても、全ての国民や全ての業種が恩恵を受けるわけではなく、全く蚊帳の外に置かれる業種も少なくなかった。不動産バブルは資産の買い替えなど、投資を伴わずに新たな資産を取得できる者にとっては有利なものとなったが、値上がり目当ての土地転がしに手を染めた不動産・建設業者・個人資産家や一般企業、土地の高騰に伴い最高値で戸建住宅やマンションを購入した者にとっては、バブル経済崩壊後に大きな痛みを伴ってその反動が訪れることになる。また、上昇トレンドと信じて株を信用買いで増やししていった投資家にも悲劇は訪れた。それは、資産価格の暴落による評価損の発生である。結果として、投資に失敗した個人の破産や企業の倒産、それら従業員の失業問題、資金を貸し付けた金融機関の破たんに繋がる不良債権問題が発生した。バブル崩壊ではマネーゲームに奔った者だけでなく、多くの国民や一般企業がその影響を被った。虚言に惑わされ妄想を抱いた結果が大きな損失に繋がったケースも数多い。
 しかし、その後の政府の救済策などを見て誰もが感じたことは、巨大な損失を被った金融機関や大企業は、国費投入や会社更生法や民事再生法などの破綻処理ルールで、債務の減免や経営の合理化案などが示され、それに合意すれば、簡単に救済され、時期がくれば再上場の道も約束されている。しかし、個人や中小企業の場合は、破産や倒産に見舞われ自らの命を絶たなければならなくなる者もでた。バブル経済崩壊とともに「日本の自信」「喪失」することとなった。

   結局、
この新自由主義的社会は、進む方向の正邪はさておき、間違いが起これば事後修正を加えながら、常に上を目指して進むことが求められており、誤った場合の事後修正は、弱者の切り捨てで決着が付けられる。
   ということだった。

   もう一つの問題は、バブル期のドサクサに紛れて、恣意的に焦点がぼかされたと疑いたくなる
円高
   である。

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