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先日、05年度のアカデミー作品賞ノミネート作品、『ブロークバック・マウンテン』を見た。 見てすぐに頭をよぎったのはとにかくレスリー・チャンとトニー・レオンの激しいキスシーン。 まったくこの作品と無関係なのに、なぜかあの二人の事が思い出され、結局このブログにレスリー・チャンというタイトルの記事をアップしてしまった(笑)。 さて、本題に。 同性愛を描いた作品は、隠れた名作が多いというのは、私の自論。 『渚のシンドバッド』『ハッシュ』(橋口亮輔監督) 『乙女の祈り』(ピーター・ジャクソン監督) 『苺とチョコレート』(トマス・グティゴレス・アレア監督) 『ブエノスアイレス』(ウォン・カーワイ監督) など、素晴らしい作品が多い。 理由は、同性を愛するという行為、心理がすでに異常であり、ドラマを生んでいるからだと言える。 勿論、同性愛を異常と捉えるのは、自分はマトモ、ノーマルだという認識を持っている人間のみなのだが、性的にノーマルである事が一般であるという大前提が崩れてしまうと、同性愛を描いた作品の根本も崩れてしまう。 そこが、面白いところ。つまり、彼らは存在が異端なのであり、異端者の悲しみと苦しみを、言わずとも表出する存在になれるのだ。 しかしながら映画として描く場合、大抵の監督はそこに同性愛以外の様々なパートを挿入している。 『渚のシンドバッド』では、強姦疑惑のある少女の存在が、男女の性についてリアルに考えさせられる効果を生んでいる。 『ハッシュ』はノーマルなんだけど、ちょっと違うかしら?という女性を配する事によって、本来アブノーマルな男性同士の愛情が、もの凄くピュアに見えるように描かれている。 『乙女の祈り』は思春期特有の大人社会への反発を、異常な同性愛との絡みで描き出している。 『苺とチョコレート』は自由な芸術活動ができないキューバの現状を、ホモの芸術家と青年の友情を通して描き、同性愛をもっと社会的な側面から見つめている。 『ブエノスアイレス』は比較的愚直に男二人の愛を描いた作品。だからこそ、『ブロークバック・マウンテン』を見て、思考が繋がったのだろう。 話を『ブロークバック・マウンテン』へ戻そう。 この作品は、男同士の純愛を真摯に見つめ、淡々と描き出している。 イニス、ジャックの二人はそれぞれ結婚し、子供も生まれ、一般社会でも普通に適応しているかのように見えるが、心の底にあるお互いへの想いを断ち切ることが出来ないでいる。 その結果が、イニスの離婚。ジャックの死へと繋がっていく。 彼らが終生夢見ていたのは、お互いの青春期であり、出会いの場だったブロークバック・マウンテンの美しい光景と、牧場での生活。 どんなに歳をとっても、生活が変わっても、山への憧憬だけはくすぶり続け、それが二人を繋ぎとめるキーワードにもなっていた。 率直に言って、同性の純愛。それだけの作品だと思った。 決して面白くない作品ではないし、個人的にはこういった淡々と流れる作品は好き。いらぬドラマを排し、主人公二人の生活に寄り添って物語を紡いでいく事は、実はかなり難しいことで、派手なドラマを内包させた方が、一見ドラマチックに見れる。しかし、そうはせずに、あくまで静謐な映像に拘ったアン・リー監督はさすがだなと思った。 役者陣もかなり体を張った演技を見せており、好感が持てる。 ただ、好感は持てても、それがすなわち高い評価には繋がらない。 彼らの原点であり、友情が秘密の感情へ繋がったブロークバック・マウンテンについての描写が少なすぎるため、彼らがなぜにそこまでの愛を貫けるのか、少々分かり難いし共感し辛いのだ。 同性の私が見てそうなんだから、女性が見たらもっと意味不明と思った方が多いのではないか。 それぞれの奥様方の悲劇も、もう少し丁寧に描いてあげると良かったようにも思う。 ミシェル・ウィリアムズ演じるイニスの妻アルマは、実にいい味を出していただけに、もっともっと鋭く彼らの深層へ踏み込んでも良かったように思う。なぜなら、イニスが結婚に不向きなのは、ジャックへの純愛だけではなく、人間性にも問題がありそうだからだ。 記述の、同性愛を描いた作品が本題とは別の要素を挿入して物語を構成していたと書いたが、その観点でいうと、この作品はそれらを描いていない。つまり、徹頭徹尾男二人の純愛に絞って物語を構成している。その不器用さがこの作品の良さでもあるが、やはり物足りないと感じてしまった。 結局、同性愛を描いた作品の中では、残念ながら私の中の高い評価を得られなかった。
イニスの素朴さと愚直さ、ジャックの純粋さと情熱。それらをまとめる静謐な映像と雄大な自然。 作品としては良い作品なのだが、面白くは無かった。 |

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