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書庫実録家系調査

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陸奥国 伏見さんの場合

陸奥国の伏見さんから家系調査の依頼が来ました。調査の手順としては、先ず、戸籍除籍謄本の取得から始まります。その後、墓地調査に移ります。本家等を訪問して、位牌、過去帳の確認はもちろんの事、伝承等も丹念に調べていきます。

伏見家一党の本家筋の墓碑に、享和4年(1804)に徳四郎さんが祖父母、父母の為に建立したものがありました。そこには、祖父母、父母の戒名、命日等記されておりました。また、○○寺とお寺の名が記されておりました。現在の菩提寺と全く違う名前でした。いろいろ調べてみると、このお寺は石巻市にあるお寺でした。

このお寺を訪ね、墓碑に記されていた戒名、命日から俗名の確認をしました。すると、過去帳にきちんと記されており、先祖がもともとそのお寺のある○○村に居住していたことが判明しました。

総合すると、玉造郡伏見村の出身にて、屋号伏見を号したようです。本姓は鈴木氏であるとの事でした。
明治の新政を迎えて、伏見屋の屋号から苗字を「伏見」と名乗ったようです!!

東京都にお住まいの○○さんから調査依頼があり、早速電話でお話を伺いました。菩提寺は、栃木県のあるお寺であり、そこに墓地があるとの事、また本家の方には、訪ねてほしくない旨を伝えられました。

最近では、戸籍調査においても保存が80年と限定されており、大正末期ごろまでのものしか入手することができません。そして、もっとも古い戸籍のに記載されている住所には、現在○○姓は一軒もなく、菩提寺がある所と全く関係のない場所でした。この○○姓というのは、この地方に多数あり、先祖が居住していた場所を探し出すことが非常に困難に思えてきました。近隣の○○姓とは、家紋も違い、別系統であると思えてなりません。

いろいろと机上で考えてもはじまりません。とりあえず、墓地に行き、お墓を丁寧に調べました。
すると、そこには、初代の人の妻の実家が群馬県碓氷郡松井田宿と墓碑に記されており、群馬県と非常に関係が深いことがわかりました。また、群馬県内の○○姓について調べると、何と当家と同じ家紋を使っており同族の可能性が出てきました。
ようやく、先祖探しの糸口がが見つかり、本格的な調査に入りました。

先祖探しで重要なことは、江戸時代の先祖の居住地を見つけることです。そして江戸時代の菩提寺を見つけることです。最近ではこのことが非常に難しくなっております。それは、戸籍が大正末期頃までのものしか取得することができず、明治時代の状況を推量することが難解なためです。

先祖探しを思い立ったら早く戸籍を取り寄せよう!!

以前出会った人の中に、このような人がおりました。
「父が本家の系図の写しを残してくれた。昔は何とも思わなかったが、今、定年を迎えて、、、
ふと思うと、父が残してくれたものを非常にありがたいものだと思っております。」と、、、
また、自分でも家系を研究しているとのことであった。
この家は、山口県の山奥の一族であり、古くは庄屋を勤めていた家のようです。しかし、本家筋も系図を流失しており、今となっては、このお父さんが本家の系図の写しを残してくれたことが幸いしました。
このお父さんが家系に興味を持ち、本家へ行って家系図を写していなかったら、全く血筋がわからなくなるところでした。この系図は、この山深い土地に土着してからの家系が記されておりました。
今日、様々な資料が失われつつあります。
除籍謄本等は、80年間の保存期間を経て失われつつあります。
また、都市整備により、区画整理がなされ、古くからの墓地がなくなろうとしております。
本来の菩提寺も檀家の減少と共に後継者がいなくなり、無住や廃寺になってしまったところも少なくありません。
気がついたら何もわからなくなってしまったというようにならないように!!
早く、我が家に関する記録を整理したらいかがでしょうか。。。

屋号の通じる村

越後国の○○村にて
以前、□□家の家系調査の依頼があり、新潟県のある村を訪れた。
その村は、現在でも家々を屋号で呼び合う村でした。惣右衛門、清右衛門などの先祖の名前が屋号として、現代においても通じている。話しよると、冠婚葬祭等においての祝儀等も屋号で出しているとのことでした。驚いたことに、現在の戸主の名前では、どこの家かわからないとのことでした。屋号が現代においてもいきづいておりました。水田風景を眺めていると”まるで江戸時代にタイムスリップしたような感じさえ受けます。おそらく、どの家も何代にもわたって代々襲名してきた家であろう。

上野国鎌原村にて!!

上野国鎌原村にて。。。
その村は、天明3年7月8日浅間山噴火の折、村全体が泥流により埋没したところです。今回、○○家より調査依頼がありました。
ご本家を訪ね位牌を見せていただいたところ、命日が天明3年7月8日の仏様が2人おり、浅間山噴火の犠牲になられておりました。
記録によると、村全体では、477名が犠牲なられ、生き残った人は、僅か93名とのことでした。
家族、夫婦共々亡くなった家、片方亡くなった家、子供を亡くした家、親が亡くなった家等さまざまであろう。。。

ここにおいて、この村の復興のため、とられた政策は驚くべきものでした。この93名を身分とか、財産とか、血筋とかすべて関係なく、”血族である”と宣言して新たに家族(家)を作ったのである。それは、妻を亡くした男性と、夫を亡くした女性を結婚させたり、親を亡くした子供と、子供を亡くした夫婦を結びつけ家族としたのである。こうして次の年までに10組の新しい夫婦が誕生した。

また、近隣の名主さんたちが私財ををすべてはたいて難民を救済していることを見れば、この当時の人間性も知ることができる。

このような史実を見れば、現在この地に生まれてきたことは、非常に奇跡的である。この200年前の困難を乗り越えてきた人々の子孫であり、このことを未来に語りつくすべきであると思えてならない。
200年前に新しく村づくりをはじめた先祖たちの苦労、心情を知ることは、現代の我々にとって必ずプラスになるであろう!!
今、生きていることは、多かれ少なかれ先祖たちが多くの困難を乗り越えて奇跡的に命をつなげ、血統をつないできたことがわかる!!
”今、自分が存在していることは、奇跡である”といっても言い過ぎではない!!

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