熊本産業遺産研究会

ヘリテージ(産業遺産)は面白い!熊本の眠っている宝をいっしょに探しませんか。

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 熊本産業遺産研究会の活動として、9月9日(日)10時から3時間、旧三菱重工業熊本航空機製作所の工場建屋等を見学しました。場所は、陸上自衛隊健軍駐屯地の中です。まず、広報館において、司令業務室長の橋本さんよりこの駐屯地の概要の説明を受け、昭和29年に旧三菱工場の跡地に発足した時の写真を見せて頂きました。

 その後、広い敷地を歩いて今は「支処棟」と呼ばれている旧組立工場を見学。いわゆるノコギリ屋根の下に、鉄骨スレート造りの巨大な空間があり、今は、主に整備工場として使われていますが、かつては、ここで、爆撃機「飛龍」が建造されていたのです。北側の、巨大な引き戸式の入り口とレールは、他の軍事施設と類似点が多く、1943(昭和18)年の三菱熊本航空機製作所時代の建物ではないかと推定されます。建物としては、この旧組立工場が戦時中に建設された飛行機工場の唯一の生き証人です。他に当時の面影を残すものとして、駐屯地西北角にコンクリートの敷地跡と基礎跡が残っていますが、これは発送場・木材工場跡ではないかと思われます。このあたりに、水前寺駅からの鉄道線路が通って現在の県健康センターあたりまで延びていました。いわゆる「引き込み線」で、いまでもこのあたりで「ヒッコミセン」という名前で呼ばれている道路の前身です。駐屯地内にはその痕跡は残っていません。

 さらに、敷地内には義烈空挺隊の碑があります。これは1945(昭和20)年5月24日に陸軍熊本飛行場を離陸した12機の九七式爆撃機による米占領下の沖縄の飛行場への挺身攻撃を行った軍人を記念した碑です。後でビデオを見ましたが、このような壮絶な犠牲の上に今の平和があることを改めて思い知らされた次第です。

 最後に、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室長で、中部産業遺産研究会の会員でもある岡野允俊さんの話を広報館で聞きました。岡野さんは、海軍予科練を経て、戦後、三菱熊本機器製作所で整理業務に従事されて後、長らく三菱名古屋航空機製作所に勤務された方です。岡野さんは、このまま、熊本航空機製作所の資料が散逸して人々の記憶から消えるのは残念との思いで、精力的な資料収集や聞き取りを続け『健軍三菱物語』(平成元年発行)をまとめられました。このような願ってもない講師による、具体的で、ユーモアも交えた話に参加者一同引き込まれてしまいました。
 
 全国の都道府県の中で、航空機を作った経験をもつところは限られます。熊本の人はもっとこの経験を語り継いでいく必要があるのではないでしょうか。

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 福岡県飯塚市の炭鉱王が華族出身の妻、柳原百蓮のためにつくった豪邸、伊藤伝右衛門邸が、大人気です。

 老朽化し、取り壊しの危機にあった同邸の保存を産業考古学会などが訴えた結果、市が買い取る形で存続が決まった時は実に嬉しく思ったものです。一定の手入れの後、この4月から一般公開されていますが、すごい人気で、まもなく10万人を突破しそうです。秋には、将棋の女流王位戦の開催も決まったそうです。詳しくは以下を。

 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/20070828/20070828_001.shtml

 石炭王、美人の百蓮、彼女と宮崎龍介(熊本人、宮崎滔天の息子)とのロマンなど第一級の物語性、話題性を備えた豪邸。林真理子さんの小説『百蓮れんれん』を読んでから訪ねると感激は倍加することでしょう。

 写真は5月に見学した時のもので、左上の部屋がたしか百蓮の部屋で、彼女が一人もの思いにふけった部屋です。

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 管理人がしばらくドイツに行っていたために更新が滞ってしまいました。

 ドイツでは、週末の時間を利用して、ヘリテージを見学してきました。なかでも、1994年にユネスコ世界遺産に登録されたフェルクリンゲン製鉄所には圧倒されました。その規模とディスプレイの巧みさに。

 世界遺産というと、隅々まで手入れされているように思いますが、決してそうではありません。フェルクリンゲン製鉄所で整備されているのは、見学用の通路とショップや展示空間くらいで、あとは野ざらしといっても過言ではありません。

 いま、九州でも軍艦島をはじめ世界遺産の動きが活発化しています。フェルクリンゲン製鉄所のように見学順路のところだけ手入れをして、あとはそのままにしておくという、いわゆる見守り保存という手法からは大いに学ぶところがあるのではないでしょうか。

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 出張で京都にいく機会があり、少し時間があったので琵琶湖疎水を訪ねてきました。

 昔と違い、整備が進み、散策ルートが整備され、壮大な「琵琶湖疎水」計画に取り組んだ若きエンジニア田辺朔郎の仕事の全体像がわかります。

 琵琶湖疎水記念館を中心に、水路閣やインクラインなど第一級の産業遺産は、「もうひとつの京都観光」ルートとしてお勧めです。

 なお、疎水記念館(見学無料)の展示物を見ていたら、この疎水計画を策定した第3代京都府知事北垣国道はその前に、高知県令(知事)を2年、さらにその前に熊本県の大書記官を2年務めていたという情報を見いだしました。

 説明パネルでは、高知県は安積(あさか)疎水の開墾予定地に多くの旧藩士を送り込んだ県なので、「北垣はその情報(琵琶湖疎水のモデルとなった安積疎水の情報)を高知時代にすでに得ていたと思われる」とあります。

 この安積疎水(福島県)の基礎となる安積開墾を策定し実行に移したのは、熊本出身の福島県令安場保和です。横井小楠の弟子で、実学党の主要人物の一人であった安場は、用水や干拓の技術が進んでいた熊本の技術を何らかの形で安積に移転した可能性もあります。北垣知事が明治初期の熊本の行政にも携わっていたことも含めて、安積疎水も琵琶湖疎水も、熊本と関係しているのかもしれませんね!

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7月15日(日)の午後から夜にかけて、熊本市で「九州伝承遺産ネットワークシンポジウムin熊本」が開かれ、予想外の100人を超える人々が県内外から集まりました。

7月として異例の大型台風4号が過ぎ、曇ってはいましたが、さわやかな天気に恵まれました。また、その前後が欠航するという航空網の大幅な乱れの中、都市経済評論家の加藤康子さんの飛行機が無事に熊本に飛んだこともラッキーでした。

まず、第1部の「トークセッション」は、ピーエスオランジュリ(旧第一銀行熊本支店)で開催。この建物に初めて入ってその内部空間に「ステキ、まるでニューヨークみたい」と驚かれた加藤康子さん。その特別講演「九州世界遺産トレイル」では、九州・山口の産業遺産は世界史的にみて重要で、世界遺産の価値を持つことを、イングリッシュ・ヘリテージ総裁のニール・コソン卿の言葉も踏まえて説得的に話されました。とくに、各地の産業遺産を数珠玉のようにつなぐという「シリアル・ノミネーション」という言葉は心に残りました。その後、冨士川一裕さんが「城下町熊本と近代化遺産」というタイトルで、熊本が400年前の加藤清正の町割を維持しており、江戸期・明治期・大正昭和期の3層の重なりが見られることを古地図を利用しながら解説。その後、「世間遺産」の東川隆太郎さんらのコメントや各団体の活動状況の報告がありました。

第2部の「街歩きセッション」は、古町・新町をみんなで歩き、ところどころに立ち寄り、三原宏樹さんと梅元健治さんの講演を聞くことができました。三原さんの「佐賀の古民家再生」では、住民や子供たちを巻き込みながら古い建物を再生し、活用する事例に感心させられました。「長崎さるく博と伝承遺産」の話をされた梅元さんは、昨年の長崎さるく博に深く関わった人だけに、話は「地道力」などの新鮮な言葉を取り入れ、具体的で、新町案内人の丸山歳之さんなどから感心の声が寄せられ、活発な質疑応答が行われました。

その後、坪井川に移動し、復活3年目を迎える精霊流しを見学。一部の人は、山野潤一さんの案内で、市民会館1階の最近改築されたレストランを見せてもらい、現代的センスと木の香りのマッチングに感心させられました。

第3部の「懇親会セッション」にも40人を超える参加者があり、気持ちよい天気のもと、熊本城の夜景を眺めながらおいしいビールを傾け、ワイワイと盛り上がりました。ボランティア・スタッフとしてがんばってくれた崇城大学・熊本県立大学・熊本学園大学・熊本大学の学生たちの挨拶も、若者たちが確実に今日のシンポでそれぞれに何かを学びとったことが伝わってくるものでした。おじさん・おばさん達の想いが若い世代に伝わっていくのは嬉しいことですね。


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