龍馬 ひねもす よもすがら

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき

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ホイットフィールド船長  ジョン万次郎      ブルック大尉
写真左は、土佐沖から鳥島に漂流したジョン万次郎ら五人を救出し、地元マサチューセッツ州フェアへヴンで万次郎を学ばせたホイットフィールド船長。写真右は咸臨丸で木村摂津守、勝海舟ら日本人全員が船酔し、なにもできないでいる間、孤軍奮闘したジョン万次郎を全面的に助けたブルック大尉。今日は万次郎のエピソードを紹介しよう。なお先日紹介したブルック大尉の日誌は遺言があり、死後五十年間は公表されなかった。

五ヶ月間にわたり無人島生活をおくった万次郎ら五人はホイットフィールド船長のジョン・ハウランド号に救助される。ちなみに万次郎のジョンは船名ジョン・ハウランド号から名づけられた。Where is john? で用が足せる通り、アメリカではjohnはトイレのことだ。「漂巽紀畧」で万次郎は「チョンとは卑しきもの発語ならん」と説明している。救助後、数日で体力を回復させると万次郎は鯨の見張り番をかってでた。

「 There she blows,blo-o-ws! 」sheは鯨で「鯨が潮を吹いているぞ!」これが万次郎が最初に覚えた英語だと言われている。

ジョン・ハウランド号は五人を乗せてハワイにつくが、万次郎一人だけジョン・ハウランド号に乗り一年半捕鯨船員として働く。天保十四年(1843)五月、ホイットフィールドは万次郎を連れてフェアへブンに帰るが妻が亡くなっていた。そのため近所の航海士のもとに身柄を預けられることになる。そこでは娘さんが塾を開いており、万次郎は小学生に混じって英語と数学を学んでいる。

弘化元年(1843)ニ月、パートレット校に入学し中等教育を受けたときのエピソードがある。

成績はいつもトップだったので、同級生はいつも二番手に甘んじているテリーをトップにしたいと思っていた。その年の冬は大雪が降り続き、家畜の世話や家事があるために一ヶ月学校を休むことになった。誰も万次郎にノートを貸さなかった。しかし試験の結果またもや万次郎がトップだった。テリーが万次郎に授業の内容を正確に教えていたのだ。テリーはこのことを誰にも話さなかった。
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万次郎とテリーは親友となり、その後捕鯨会社設立の資金稼ぎにと、テリーとニ人でカリフォルニアに砂金堀にでかけている。そのときの金は沖縄に上陸した際没収されている。

あの西部劇の舞台にジョン万がいたんですね。テンガロンハットに、腰には拳銃を下げて歩いていたんでしょうか。あの場に日本人がいたなんて、まったくもって驚きです!
「侠客(やくざ)と称号し、党を結び、方便を以って人の財を奪ひとり、甚だしきは人を銃殺するに至る。暴横なること制すべからざるに至る者すこぶる多し」と「漂巽紀畧」にある。
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オヤマの売春宿やダンスホールでは太った男が女役をやっていたそうだ。

漂流だけでも大変な経験なのに捕鯨船に乗り、フェアへヴンの人々に愛され、西部劇の真っ只中で砂金を堀り、帰国後は日本に欧米の様子を伝え、多くの門下生の教育にあたっている。偉人はすごいから偉人なのだが、万次郎こそ正真正銘の偉人だ。

来年の大河は龍馬で、再来年の大河も決まったそうだ。なんとかジョン万次郎をとりあげてほしいと思うが、捕鯨に西部劇では大河じゃ無理かもしんない!

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※ 参照 「幕末漂流 ジョン万次郎 永国淳哉」 「坂本龍馬と海援隊 坂本藤良」

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おはようです^^
万次郎が漁師にならず、あるいは漂流という事故に遭わなかったら一体どのような人間になっていたでしょうね。あるいは、日本の歴史に大きな違いがあったのだろうか…。漂流から始まった万次郎の一生涯は、一国の歴史をも動かすものだった。これが偉人の証ですね。
村+傑作ポチ☆

2009/6/20(土) 午前 5:49 tokachijiman

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時代が彼の存在を求めていたのですから、彼がいなければ似たような
存在が頭角を現していたことでしょう。。。と思います。。。。。。
攘夷派から名指しで命を狙われていましたが、無人島生活や捕鯨、アメリカ生活で受けた教育や経験すべて総合した利用価値が自身の身を守ったのでしょう。
ジョン万次郎と龍馬は「無私・利他」で共通しますが、派手さは龍馬にありました。それは龍馬は士分だったからです。
生きるための生産手段を持つ庶民と、喰う手段を考えなくていい侍とは根本的に考えが違いますから。
人生いろいろ。。。男もいろいろ。。。女もいろいろ。。。いずれにしても「一生懸命」さに感動します。。。感動して生き続けたいものです。朝から意味不明なことを徒然なるままにかきつくればあやしうこそものぐるおしけれだべ。

2009/6/20(土) 午前 8:19 衝動 行動 感動

コンニチワッ(。・_・。)ノ♪
なつです
*:..゚☆○o。長い間の漂流は凄いですね・・・今では考えられない。o○☆゚..:*
('-^●)Good
ポチ━━━━\('(ェ)')/━━━━ット・!!!

2009/6/20(土) 午後 5:31 なつつばき

なつさん
ありがとうございます
万次郎にならって密航するように、佐久間象山は吉田松陰に勧めました。また水戸の斉昭は万次郎をスパイと疑いました。万次郎の帰国は様々な波紋を呼びました。

2009/6/21(日) 午前 7:40 衝動 行動 感動

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