龍馬 ひねもす よもすがら

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき

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今日は井伊直弼についてです。
 
前回記事のコメントで書きました。
「これから池田屋事件や禁門の変などなど血なまぐさい話のオンパレードになります。これからの展開で心配なことがあります。このドラマを観て政治改革のためには暗殺もやむなしという考えを持つ若者が出現することです。たかだか140年前のことです。時代が変ったとはいえ、人間そのものは同じです。井伊直弼は開国派でした。彼は桜田門外で攘夷派の水戸浪士らに暗殺されます。攘夷派は復活しますが、結局は攘夷派は開国派に変貌して行きます。ブームもいのですが、怖さもあります。できるだけ中立的な眼で歴史を眺めたいものです。」
 ドラマごときで何をかいわんやと言われるかもしれませんが、政治経済の閉塞感が蔓延している時です。ただただ 鉄砲玉が現れないことを祈るばかりです。
 
イメージ 1
 
画像は井伊直弼です。
 
 ご存知の通り、家康以来大政は幕府に委任されおり、鎖国についても勅許は得ていません。したがって開国するにあたっても勅許は必要ありませんでした。ただ尊王攘夷派を配慮して勅許を得ておいたほうが良いだろうと、阿部正弘や堀田正睦が考えたことが間違いの元でした。
 
 阿部正弘が開国の是非について各大名に意見を求めた際、大半の大名が攘夷論を展開した中で直弼は「交易は国禁なれども、時世に古今の差あり」として現実的な開国論を述べました。また、井伊家は「京都守護」の家格であり、彼こそ真の尊王家でもありました。
 
 ペリー来航後、12代将軍家慶が亡くなり、13代将軍家定も病弱のために将軍後嗣問題がおこり、くわえて八方美人の阿部正弘が病死するなど、直弼には不運でした。
 
作家徳永真一郎氏が「維新の道 第32号 昭和59年1月10日」で彦根藩主井伊直弼についてこんなことを書いています。(・・・部分・・・)
 
・・・『のちに安政の大獄で直弼に殺された吉田松陰も、このころ旅の途中直弼の評判をきき、「恵までは あるべきものか 道のべに 迎ふる民のしたふ誠に」という直弼の和歌を紹介し「実に仁君の歌と一唱三歌感涙にむせび候」と実兄の杉梅太郎あての手紙の中で、直弼の仁政の名君ぶりを賞賛している。』・・・
 
・・・「今日拒絶して永久に国体をはずかしめるのと、勅許を待たずして国体をはずかしめないのと、いずれが罪が重いか。勅許を得ない責任は、この直弼一人が甘んじてうける」と決断し、六月十九日、日米修好通商条約の調印に踏み切ったのである。・・・
 
・・・大小名が、幕府の許可なくして朝廷から位階をうけたり、政治的取引をした場合は、お家断絶、身は切腹というのが徳川幕府の憲法であった。直弼は幕府の最高責任者として憲法違反者を処罰したのに過ぎない。しかも、時局柄身分の高いものに厳刑を科せば混乱を招くとして隠居、謹慎にとどめ、その走り使いをした者だけの処刑にとどめた。大獄でなく小獄であった。・・・
 
イメージ 変りませんか?
井伊直弼は赤鬼なんかじゃなく、名前の通り、「いい人」で安政の大獄は「安政の小獄」だったんですね
 
 
 

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現代のように、様々な情報を入手することが困難であった時代には、己の信念に基づいて行動するしかなかったでしょうね。それが間違っていた場合は「腹を切る…」と。
現代では、「出来なかった場合、責任はどのようにとるか?」と聞かれると、「出来ないことを考えずに頑張る…」と応えるている総理とはずいぶんと違いますね(^。^)
☆☆☆!

2010/4/10(土) 午前 7:11 tokachijiman 返信する

トカレフさん おはようございます(^^ゞ
あの人はリーダーの自覚がまるでありません。ガキの頃から誰かれになんでもやってもらっていたのでしょう(^^;)
周りにヨイショされているだけのボンボンです。鳩山、小沢、石川、小林よくもまぁ揃いも揃って国民は小馬鹿にされたものですo-_-)=○☆

2010/4/10(土) 午前 8:10 衝動 行動 感動 返信する

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