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siokazeさんのステキなクラシックギターの演奏と編集も素晴らしいので勝手に紹介します。
先日、熊本から札幌までゴミを拾いながら日本縦断中の上村さんにも室蘭で出会った。
蟹の差し入れも見せてくれた。
彼のリヤカーを見つけて本輪西(もとわにし)の駅舎に飛び込んできた真っ黒に日焼けした青年がいた。
聞くと数ヶ月前福島で出会ったそうだ。お互いの無事を抱き合って喜んでいた。
沖縄からサーフィンをしながら北上してきたY青年だ。誕生日が龍馬と同じ11月15日で33歳。
「ちょっとヤバイです」と笑顔で語った。
「北海道の蚊は刺されるとイタイ」と二人とも言っていた。
リヤカーのスポークは振動に耐え切れず壊れていた。2日後登別に替えのタイヤが届くらしい。
今度の日曜日、我が家で泊まらせる約束をした。
一緒に酒を飲みながら『龍馬伝』を観よう。
この日出会った二人は満面の笑みを湛えていた。
「笑顔 ありがとう」
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2010年08月31日
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トロイカ体制出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年にソ連でスターリンが死去すると、ゲオルギー・マレンコフが党第1書記、首相を兼任し権力を掌握した。しかし集団指導体制を目指すマレンコフは党第1書記をニキータ・フルシチョフに譲った。最高会議幹部会議長にはクリメント・ヴォロシーロフが就任しトロイカ体制が成立する。
権限の分散を狙ったマレンコフであったが、党が国家を指導するという共産主義国家では必然的に党第一書記の発言力が強くなった。フルシチョフとの対立の結果マレンコフはわずか2年で首相の座を追われた。後任にはニコライ・ブルガーニンが就いた。フルシチョフは1956年に自身の失脚を画策したマレンコフらに反党グループの烙印を押し逆に完全に失脚させ、実質的なソ連の最高権力者となった。ブルガーニンはこの時フルシチョフ支持を明確にしなかったことが原因で1958年に首相を解任させられる。首相職はフルシチョフが兼任することになり、トロイカ体制は終焉する。
「政治と金で」一線から退いた「とろ」と「いか」が復活した。真ん中はさしずめアガリだろうか。
まぐろやイカ、たこ、、アガリのないすし屋はすし屋といえないから当然の帰結だ。
今夕「とろ」と「たこ」が会談する。
「雪の白樺並木 夕陽が映える 走れトロイカ朗らかに 鈴の音高く」の原曲は
金持ちの村長に好きな女性を奪われた若者の悲しみが描かれているらしい。
「とろ」に「イカ」を奪われた「たこ」の悲しみの歌だそうだ。
ちなみに私は友人の握る「しめさば」が大好きだ。いつも千円で腹いっぱい食わせてくれるから。
関係ないけど。
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